金沢城と兼六園は、日本人のほとんどが名前を知り、また訪問もしている有名観光地である。当日も北陸新幹線効果が冷めやらず、外国人客も含めて、もう渋滞か!というほどの人出だった。今更ながら金沢城?!なのでブログにするのも気恥かしい。名古屋から車ででも、名古屋環状〜東海北陸道で3時間少々、あっという間の気がする。
❶駐車場の関係で先に兼六園へ。日本三大大名庭園ともうたわれ、その規模は随一かとも。いやはや大変な人出でしたが、隅々まで丹念に回っているのは案外と外国人(=ヨーロッパ系)。ここでは写真も解説もしないが、昭和に建立された日本武尊の像が気になった。翌日の高岡城巡りで関連を知った。また城巡りに時間がかかりすぎ、21世紀美術館もあまりの順番待ちでキャンセル、県立歴史博物館はガラガラでじっくり見れて、施設的にも赤レンガ倉庫づくり(=元陸軍の倉庫を転用)でとてもよかった。しかし隣の県立美術館はもう時間切れ。
❷金沢城は全国的に有名であるばかりか、その縄張りの広さ、それぞれの多門櫓、隅櫓の豪華絢爛さは秀逸な城で、こればかりは姫路城をも凌駕している。江戸時代に大火災で天守閣は消失してと伝えられ、元御三階櫓跡が天守閣代わりと伝わる。明治以降は陸軍本部が置かれた関係もあり、太平洋戦争での空襲で多くの遺構を消失して現在に至る。特に見どころではないが、本来の手つかずで埋もれた感のある本丸は、ほとんどの観光客は行きたがらない。うっそうとした森のようで遺構が少なく魅力はないが、下城し21世紀美術館方面から振り返ると3段くらいの高石垣が見える。つまり往時の天守閣の立つところである。ほとんどの人はそのすごさには思い及ばない。
❸見どころ解説は観光資源としてあまりに有名なので端折るが、他の大城郭、大名城にない金沢城ならではの特色のみ記しておきたい。
★往時も現在の再建遺構でも「なまこ壁仕様」である・・・火災防止や火矢の攻撃に堪え得るよう、白壁に燻し瓦を埋め込み、周りを漆喰で固めていること。その手間の分だけ秀麗で統一感とともにリズミカルな上、何とも気品が漂う。新潟の新発田城、熊本の人吉城の塀に一部、そうした施しは残るが、あの規模の城で全での隅櫓、多門櫓にというのはあり得えないレベル。
★屋根がすべて鉛板葺き仕様であること・・・凍害に弱い燻し瓦は寒冷地の城には不向きで、銅板葺きや萱葺きが多い。特殊な例では越前丸岡城のような地場石材を削った屋根瓦も例もある。軽くて強い、またいざという時はその瓦を溶かして、鉄砲玉に仕立て直せるとかともいわれる。年数が経つことで鉛が白い粉を吹き、藩士の健康に悪影響もしたそうだが・・・白々と輝く様は美しい。
★いたるところに唐破風(=出窓の装飾)が採用され、その意匠性では金沢城が突出している。もともと唐破風は権威の象徴、しかも格がかなり高い場合に限られ許されていた仕様である。江戸時代に唐門・唐破風が許される藩屋敷や仏閣は限られていた。軍事拠点の城にここまで華美を施すのは、戦仕様を想定するよりも政庁としての機能をアピールすることで、百万石を守ろうとしたり金沢文化を奨励するためのシンボルにと考えたのだろう。
★出窓や窓の格子内側には銅板が巻き付いている。ガラス窓のない時代、また窓に雨戸がない場合は、吹き込んだ雨滴を逃すために水抜き用に竹管が埋め込まれ、排水処理されている。しかし金沢城はすべて内側に銅板を巻いて格子木の腐食を防いでいるのである。何とも手の込んだつくりである。
★菱櫓という見通しの良い櫓構造・・・すべてではないが、籠城後にやむなく攻め込まれた折、“〇〇の丸”と呼ばれる兵士の待機場所、もしくは敵兵を集めるところ。これに対して菱形の櫓なら見通しが良いこともあり、わざわざ平行四辺形的な形で櫓を構えている点も大変貴重な見どころ。大工の力量に大きく左右されるが、再建した櫓でつぶさに事例展示し、その技術力を解説している。
城好きにはたまらない魅力にあふれ、わざわざ訪問する価値は十分あるのだ。しかし前田利家、利長親子は一体、予算をどう工面したのだろうか?現在の予算にして450億円くらいといわれる安土城の建設費よりも多くかかってるはずである。大坂城を築いた秀吉は、当時500万石程の収益を誇っていたのでわからなくはないが。借金嫌いの前田家、まつ夫人が賢夫として名高いがまさに真骨頂を見る思いだ。