●愛知県半田市ってご存じか?
愛知県の知多半島の付け根に位置する半田市、現在の人口約12万人の産業と交易の盛んな歴史に彩られた市。東海地区でも名だたる町あるが、我々香川の人には馴染みは薄いか?と。私が”町づくり、振興関係”で参考にしたらと思う町の一つであるが、地元で話をしても関心が深まった様子にはない。百聞は一見に如かずなのだが・・・。そういうことで以下、さらりとお知らせする次第。
●童話作家「新美南吉」と”ごんぎつねの物語”にちなんで。
新美南吉は郷土出身の童話作家。幼少期より童話に親しみ東京外国語大学卒業であるが、卒業後は童話作家に。惜しまれながら結核により29歳の若さで夭折した。作品「ごん狐」が有名であるが、記念館もそれが主体で構成されている。
01:記念館のデザインがユニーク。
童話の森として整備された公園内に、地中を擬した記念館となっている。新美南吉の生涯は無論、挿絵画家の紹介や、カルチャー教室など多様な施設となっている。
02:挿絵は、鈴木靖将画伯が記念事業として手掛ける。
童話のストーリーもさることながら、それを子供たちにより浸透させるには挿絵がの魅力も不可欠。記念館で物語の情景が浮かぶジオラマとともに、日本画家:鈴木画伯の手による挿絵が展示されている。
03:記念館すぐの矢勝川岸の曼殊沙華が咲きほこる美しさ。
”ごん狐”にちなんで、記念館横手の矢勝川沿いの岸辺には、曼殊沙華のじゅうたんのような景観が広がる。「ゴンの秋祭り」と銘打って300万本の曼殊沙華が咲きほこるのである。
私は30年前から、地域観光には小細工などせずに市内を流れる3本の川=財田川〜一の谷川〜柞田川の河川敷に、季節を分けて花を植えるだけで十分な観光資源になりことは伝えてきた。半田市:矢勝川の曼殊沙華はその成功例の1つ。今回は1週間早かったか?全面的ではなかったが、人・人・人の散策である。
●祭り山車は最高潮。東海地区を代表する保有数を誇っているようだ。
あと1週間遅ければ5年に一度の市内全域からの総そろい踏み=31輌の山車が集結する、荘厳で迫力のある祭りに出会えたのだが。
来場者は年々増えて、前回は53万人だったとか。
愚息の就職関係で犬山市に在留していたときに体感したが、春祭りのからくり人形を最上に備えた山車が、13輌でも50万人の動員というすさまじい祭りの中を歩いた経験がある。添付画像を見ていただければ、そのスケールに驚きかと。
01:五穀豊穣の神事だけではない、現代ならではの視点で。
半田市は湊が充実し、様々な物資や生産品の積み出し受け〜中継拠点として、中世〜近世に最盛を誇っていた。我々の郷里の太鼓台祭りは、農村が占める町ゆえ、五穀豊穣の秋祭り中心で伝統が引き継がれてきた。しかし昨今は地域の産業構造も変化し、また市民のライフサイクルも激変で、秋祭り=太鼓台文化の継承と繁栄が杓子定規のままでは存続すら危惧されてきた。
02:東海地区は柔軟性を感じる。
祭り屋台としては京都以東から東海地区までは、基本形は同形状に近い。ただ滋賀長浜のような子供歌舞伎の舞台(=相当手狭ながら)、犬山〜飛騨高山〜半田はから繰り人形舞台と特色が際立つ。少なからず観光目的を意識している点であろうか?
私たちの郷土「太鼓台(ちょうさ)文化は、五穀豊穣のまま、ほんの一部の春開催を除いて、95%の太鼓台は10月中で完了となる。集合の多い神社が日程で被ると、どちらかが観れないことに。当然、蠣手である若い衆は、他の町どころではないのである。
03:保有台数:約130台の秋祭りに人を呼び込むことは、地方にとって正か否か?
若手が毎年流出し人力に頼る太鼓台の運行や祭りそのものの開催が危惧される。1台:約7000万〜1億円以上もかかる造作の大変さ。またそれを運行するに100名を必要とすること。次世代へバトンタッチするには観光面でのしたたかな戦略が必要ではないだろうか?市内最多数の集合地区=豊浜で24台。歴史が古い観音寺で9台なのである。あまりに市内に点在してインパクトに欠ける。市制50周年記念で、市民に参加を募ったものの130数台の内50台程度となんともいわんや?!との声も・・・。
04:観覧に見合う文化かどうか?
東海地区の山車の多くは絡繰り人形が組み込まれた舞台をしつらえていて、多くの観衆はその演目の動きに魅了されている。無論、木彫の見事さや山車そのものの雰囲気も伝統が醸し出され素晴らしいのだが。当然、しずしずとした運行は、乱れることもなく暴れ出すこともなく、観衆は安心してその優美さに酔いしれる。
我々の太鼓台文化はどうか?造形物としての装飾美もまといながら、100名に及ぶ搔き手の暴発で喧嘩沙汰や死亡事故すら呼び込む荒々しさが、どこか自慢げでもある。また伝統と言いながら、太鼓打ちのリズムや運行〜掻き揚げの所作もどことなくあいまいで、100数十年の伝統も訝しい。
絡繰り人形は子供たちが、保存や修理を担うことで、モノづくりの基礎につながるという。さすがに我々の太鼓台も地区住民の手で補修はされるのは救いであるが。
●まだまだ類似点があるのだ・・・。
太鼓台文化を支える観音寺市&三豊市は、もともと同じ生活圏で合計12万数千人。太鼓台数でいえば150台を超す。また産業は多彩で、過去には上場企業も存在しながら、故有り今は中堅企業群となっているが、冷凍食品の国内最大の生産地。また同じ太鼓台文化を担う四国中央市(=愛媛県)は、衛生材〜製紙メーカーの世界最大の拠点。半田市は醸造関係の多い東海地区では酢で有名なミツカンさんの企業城下町である。
また新美南吉氏ではないが、美術においても「門脇俊一画伯、田中たかし画伯」を生んだ郷土でもある。・・・よくよく見ると類似性がありながら、なぜか半田市のような集客はない。産業基盤の規模や隣接する市町村の人口規模が東海地区とは比較にはならないが・・・言い訳や目移りしてばかりでは、地方振興のキーポイントを見逃してしまうのでは???
いつもそう思う半田市での半日だった。