• 2020.02.08 Saturday
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兵どもが夢の跡・・・だが月山富田城は鄙びても美しい!

●松江城をやり過ごし、何とか行き着いた月山富田城!!城下がパノラマ的箱庭。

 

1日限りの休日に迷わず選んだのが「月山富田城」。長男の百名城巡りの付き合いの一環ながら、スタンプの押し忘れの「松江城」は何度も足を運んでいるので、足早に失礼して。”国宝認定”ということで、連休とはいえ賑わいはかなりのもの。また堀巡りの船の乗船状態も良好で、全国でも松江城ならではの楽しみ方である。暑さと人の多さに疲れて、出雲そばを味わいたかったがどこも満員で、かき氷で熱中症対策とした。

 

さてはて松江から、安来市の「月山富田城」へと。個々は継続的に保存作業が続けられて、次第に国内最大級の山城の遺構が明らかになりつつある。このお盆中は3日間限定の登城コースが用意されていたので、気軽に参加。然し一番きついコースであったことは後で思い知る。

 

 

●当時と変わらないような登城コースに、息絶え絶え。日頃の不摂生が祟る。

 

山城巡りは慣れた長男と違い、61歳を目前として体力は落ちている。また92歳にしては健脚を誇る父も、今回は途中で休止に。父を置いてあわただしく山頂の本丸、二の丸へ。飯梨川からの遠望で見えていたのがココ。石垣の壁面と、整地され他本丸当たりの木々が屹立しているので目標にしやすい。

 

本丸は今、祠や東屋がおかれているが、往時の本丸の雰囲気は伝わり、また出雲平野や中海を眺望出来る。一段下がって二の丸からは攻撃してくる敵の動きが手に取るように見える出丸の機能を。さらにここからは城下が迫って見える。とにかく、パノラマ状に見回せる景観は、たっぷりと汗をかいて登ってきた甲斐にふさわしい満足度。名城と謳われた山城は多いが、見下ろす景観の良さや周辺界隈の整備で、秀逸なのはこの城だろう。

 

 

 

●静かなる、歴史の語り部へ。整備が続けばより、全国に誇る素晴らしい復元遺構となるだろう。

 

領主:尼子家は尼子経久〜晴久時代が全盛で約11カ国を傘下に。やがて凋落による内部分裂もあり、新興勢力:毛利元就との激戦ののち滅亡する。尼子家の再興は、人気の武将:山中鹿之助の悲願となるが、秀吉軍の援護を得られず上月城で敗北。この悲運の武将を大河ドラマにと地元では運動をしている。

尼子家の後は毛利家の支配に。やがて関ヶ原の戦い後は堀尾吉春が拝領する。然し不便さから松江城を開き、これで月山富田城は廃城となる。実は江戸時代は松江藩の支藩として広瀬藩ができたが、陣屋は街中に設けられ、今の城跡は逆に言えば往時のままでもある。目前を流れる飯梨川の河川敷公園整備も美しいが、それと合まっての遺構整備に期待大である。

 

 

 

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