• 2020.02.08 Saturday
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ネコもシャクシも。
ここ数年、ネコもシャクシもアートアートで、もういいかげん避けて通りたくなっているのですが。
始まりました、瀬戸内国際芸術祭2016。

行けるかどうかわからないけど、一応パスポートも購入。パスポートに用意されているスタンプの数は243。長期休暇をもらってカヌーなんかで回ったらちょっとした達成感を得られるかもしれません。

今回パートナーシップという制度が出来、タイトルの横に「瀬戸内国際芸術祭2016パートナーシップ事業」と書かれている展覧会が香川県にはたくさんあります。芸術祭の開催効果を県内全域に波及させるために設けられたものらしいですが、こんぴら歌舞伎までこのパートナーシップ事業になっていて、なぜそこまで瀬戸芸中心なのか??です。

が、まぁそれはそれとして、こちらは知り合いが出品している『坂出アートプロジェクト 人工の地層と人の夢』。

この中のイベントのひとつ『DASA☆ナイト』に行ってきました。

ドレスコードは「持っている中で一番ダサい服」。つい先日、とある目的のために購入した。けど二度と着る機会はないだろう。ああもったいない。と諦めていた赤いTシャツの出番がこんなに早くやってくるとは!

ダサさ不合格の人のために、キリンが微笑んでるブラウスとかガリバーサイズのTシャツとかいろいろ用意されていて、何の会だったのかわからないけど、洋服には一捻りが大切だと感じた楽しい夜でした。


たぶん私が気に入らないのは、アートの外側にいる人の「アートアート」で、その中で生きている人はまっすぐで気もち良く、そこを守ろうと試行錯誤しているのが、かがわ・山なみ芸術祭であり先生方なのではないかと感じるようになりました。

一ヶ月後に開催が決定しているとはいえ、まだまだ前途多難な『かがわ・山なみ芸術祭2016』。できる限りのお手伝いはしていきたいと思っています。

地元のテーマ:太鼓台(=ちょうさ)と歌舞伎:市井の研究家を思う。
●まず太鼓台or曳山の系譜とのかかわり。

城巡りをしているとそこには城下町文化を継承する太鼓台or曳山(山車)という独特の文化が残る。もともと京都祇園祭が原点かと思うが、曳山:山鉾巡業の山車に近い形で、安土桃山時代に城下町が形成されたところには、こうした有形文化財的なシンボルが、今をにぎわすように伝えられている。先般、駆け足だったが長浜を訪ねたのは、近江湖国で平城をいただいた最初の城下町:長浜にその系譜があるからだ。



●長浜型曳山とは、子供歌舞伎の舞台をしつらえた優美なもの。

秀吉がその功績を認められ、織田信長軍団での城持ち大名となった最初がこの長浜。その意気込みを反映してか優れた城下町経営の形跡が残る。現在もその色合いを伝える中で、特筆できるのが商店街とこの曳山である。動く美術館とも例えられる、この曳山は現在13基、3年に一度の催事公開だそうだ。ただ毎年4月中旬には半月にわたり祭事が執り行われる。やはり子供歌舞伎が中心だ。



●曳山自体は秀吉が京都に造営した聚楽第がモチーフか?

長浜城は秀吉没後、江戸幕府開府時点で彦根藩管轄となり廃城。しかしこの曳山文化は商人や町民たちの熱意で営々と引き継がれた様子。詳しくは現地に「曳山博物館」があり常時2基が展示されているのでご覧いただきたい。優美さを醸しているうえ、四畳半の舞台がしつらえてあり、この点は他の曳山とはずいぶん趣が違う。ここ最近よく目にする東海地区の曳山は、最上段がからくり人形の表演だ。


●故郷:観音寺も布団型太鼓台という分類の祭屋台では全国屈指。

瀬戸内を渡り継いでいくうちに、播州地域で盛んな屋台=布団型、引き回しで有名は泉州地域の屋台=宮型と、それぞれの地域でさまざまな変化する太鼓台。とりわけ香川県西部、愛媛県東部は、布団型が変化してかなり独自の太鼓台=”ちょうさ”の形状を為す。
特に太鼓台を飾る、豪華絢爛な金糸銀糸による立体刺繍が際立つ。この立体刺繍の図形の根源が歌舞伎衣装の図柄と重なるというのだ。確かに地方において”農村歌舞伎”は五穀豊穣の喜びとともに、厳しい農作業後の大きな娯楽、楽しみだったことは相違ない。
その歌舞伎衣装をヒントにして、太鼓台の立体刺繍や図柄に影響しているという学説が定まってきた。


●市井の研究家による学説として、歌舞伎との深い関係。

太鼓台保有数、全国トップクラスの町=観音寺市とその周辺。観音寺市だけで大型で約120数台、小型で約20数台と、人口6万人を切る町にしては群を抜く保有数である。力技で担ぎ運行する太鼓台だけに、少子化は悩みの種(=1台に約100人は必要)だが、地区内で助け合って運行している。
江戸末期始まりに昭和初めにはほぼ現状の広がりを持つようになった太鼓台文化。無論、修繕に始まり新造まで、自治体別に幾星霜を経ている。最近になり新造された地区もあるが、それだけに故郷の人の心をとらえて離さない、誇らしい文化財であり伝統である。
その歴史を後世へより正確に伝えんとして40年以上研究を深め広げている研究家がいる。その方が最近まとめた資料に、この太鼓台の立体刺繍の意匠と歌舞伎衣装の図柄との共通性を、多く見出して発表しているのだ。もともと文献的に正確な伝承がされてこなかった太鼓台を、惜しみ没頭し研究を重ねてきてきたことは、地元のみならず太鼓台文化圏に立つ関係者には広く知られた存在。その方の研究成果の一端が、太鼓台と歌舞伎のつながりである。

長浜の曳山文化は、まさにその極地だと思い、改めて見学したかったということだ。・・・興味や関心のある方は、お問い合わせくださればと。研究成果は実費にて販売:送料も実費にて。合掌
あぁブルーインパルス!!来ると来ないでおお違い。県営名古屋空港=小牧基地祭にて。
●岐阜基地祭に続いて小牧基地祭へ。
初秋のころ、すぐ近くの航空自衛隊岐阜基地祭へ初めて行った。国内でも歴史のある航空隊基地で、現在は航空実証試験基地でもあり、川崎重工業さんの岐阜工場も併設している。ここではヘリコプター〜戦闘機〜輸送機までの展示と実演を見た。いやはやスケールと迫力に驚いた次第で、基地のエプロンには7〜8万人が来場していた。
そういう経験の下、長男の異動?の関係で春物入れ替えですぐ近くまで。それで航空自衛隊小牧基地祭へ。ここは実戦部隊でおもに、給油〜輸送業務〜防災支援が主な舞台だ。だから展示は、大型輸送機や大型給油機というジャンボジェット機サイズの展示機が目を引く。・・・何より県営名古屋空港と滑走路を同じくするため、基地祭の最中にLCC路線ばかりだがFDAの色鮮やかな小型ジェット機の離着陸があるのが面白い。
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●大型輸送機や任務の機種は小牧基地ならでは。
100機を超し、日本の洋上防衛の要=対潜哨戒機の展示、空挺部隊を運ぶ輸送機の機内見学、陸上戦力や防災設備・物資を運ぶ大型輸送機などは、ここが実働部隊なので収納するためのハンガーは巨大だ。岐阜基地は実証機、主に戦闘機やヘリコプター。たまに最新鋭輸送機など多彩ながら戦闘機サイズが多く、ハンガーは小さかった=でも半端なスケールではないが。・・・しかし小牧基地はスケールに驚くばかり。四国ではまずお目にかかれないなぁと。


●最初はそうでもなく1〜2万人が、昼前には6〜7万人へ。
基地祭は9時半ごろに始まるがマニアや目前で見たい人は7時半には基地入口へ並ぶ。そうして2時間以上待って入場だ。当然、カメラと望遠レンズのすごいのを下げているし、空軍ジャンパーがお約束のファッションだ。そういうマニアに圧倒されても、航空機エンジニアの長男のアドバイスで適当な場所を確保し、各機の模範飛行を、時々は移動して展示機を見学。改めて人の多さに驚くが、それでも通常なら小牧基地祭は2万人程度らしい。

ところが今回は間際でブルーインパルスの来訪が発表され、その曲技飛行を見たさに昼間には6〜7万人の来場者に膨れ上がった。空港エプロンは人、人、人で全く隙間がない。小牧基地滑走路は県営名古屋空港滑走路でもあるので、周辺はひろぶろ開放的で制点にもまして清々しいはずの敷地ながら・・・6〜7万人といえば故郷、観音寺市や三豊市のどちらかの人口総数に当たる。

名古屋エリアが日本の航空機産業の中核であることがこれをもってしても理解で切る次第。空港周辺は、三菱重工さんの向上はじめ関連会社の工場が空港を取り囲んでいる城下町。特に県営空港東側:豊山町に新設された旅客機:MRJの組み立て工場のまっさらな建屋が眩しい。12機同時に組み立てるため半端な広さではない!!神戸で潜水艦や護衛艦造船工場を傍目に見ているが、それでも飛行機のスケール感とはすごいものである。

●ブルーインパルス、飛ぶ!!
曲技飛行は昼からで、それまでエプロンにファンを張り付けているのが、7機並んでいるのがブルーインパルスである。Tー4型ジェット練習機による曲技飛行航空チームの愛称だが、今回は(予備機=尾翼にナンバーが付いていないのを含め)7機が整列。
一昨日、母港である松島基地から飛んできている。
航空祭でのブルーインパルスは、その飛行技術の精度でも世界のトップクラスと言われ、熱烈なファンがいる。本日の6〜7万人もそれが要因である。曲技飛行前はパイロット本人のキャリア紹介が行われ、否が応でもファンの気持ちを駆り立てる。滑走路に向かう時も手を振りながら移動する。宝塚やアーティストコンサートと変わらない!!


いざ、空へ!快音を残して一気に上空へ。6機編隊でまさかにと思う間隔(=接近危険度ぎりぎり)での様々な隊列飛行。さらにスモークによりオリンピックの5リングや大型ハート形を青空に残すサービスまで。
実はこれでもかなり短縮しているそうで、後日ネットニュースにより、地元民が曲技飛行は墜落の危険性があるので短縮をと反対運動をしたらしい。・・・残念なことであるが。
確かに昔、浜松基地で1機墜落したのでトラウマなのだろうが。航空自衛隊各パイロットの教官で、しかも特別メンバーだ。もう少し信じてみたらどうかと。世界では文句なくトップクラスの評価なのだから。

とにかく時間がない中、無理して見学したが、航空機産業の国内市場規模ではうかがえない技術力や製造の能力の結晶、世界に打って出れるように育つ過程であることを思い知る。モノづくり日本の夢がここにはある。
 
何度行っても彦根城!
●3度目の正直で「百名城スタンプ」。

長男の異動含み❓やら季節物の入れ替え(=自身の分は間にあわず)で、つい名古屋ではなく彦根で合流。過去に訪ねていてもスタンプが押せれていない城巡りでも、出色はやはり彦根城。
❶まず縄張りが二の丸、本丸、三の丸と残っている・・・❷天守が国宝現存12城の1つ・・・❸徳川幕府体制確立のため築城を急いだこととで実戦的・・・❹周辺に魅力が多い(=築城後は一度も戦火にまみえていないが)・・・などであろうか。今回は満を持してのスタンプ押し!やれやれ・・。


●家康を天下人にした徳川四天王の1人が藩祖。
藩祖は井伊直政公で家康の天下取りの貢献者として有名で、しかも四天王でも一番若年だっただけにいかに、勇猛かつ治世能力にも長けていたかということある。城作りも巧みで、また城下町整備も入念である。歴代藩主では最後の井伊直弼公が”桜田門外の変”や”安政の大獄”で有名であるので、本来の彦根の良さもネガティブイメージかも知れない。


●ひとまず登城とぐるりと一巡。
入場口には井伊家の大層立派な資料館から。井伊家の歴史を示す武具から能関係の衣裳や面などの優美な伝統工芸品。さらに御殿建築、書院建築の粋を伝える旧藩主邸。

次はいよいよ本丸と天守目指して。資料館前の入場口から本丸は近い。攻め手の勢いをそぐ変則な石段を登りながら、遺構では有名は天秤櫓の丸木橋をくぐり、本丸入り口の虎口へ。さらにここを過ぎれば本丸。今日はお天気も良いせいで団体客から家族連れ、若いカップルなど人は多く、まさに城巡りブーム再来も反映しているかと。

天守閣は国宝でもあるが、旧佐和山城(=石田三成の居城)を解体し移設しながら、近在からいろいろ寄せ集めたという剛毅な気風が残る一方、華頭窓の気品が醸す良い見栄えだ。彦根城自体は20年の歳月をかけて完成しているが、築城当時はまだまだ不安定な徳川幕府を支え、西国有力大名の東上の押さえとして重要な位置にいた。名園”玄宮園”などは江戸時代が進み安定してからだ。


●じっくり味わっていただきたい、彦根城と庭園と商店街。
時間があれば玄宮園内の茶室で抹茶を喫するのも乙なのだが、スタンプ目的と他を駆け足で回るため風雅さとは無縁。普通ならこういう点もお楽しみあれ!!国内に唯一残る馬厩舎、直弼公の部屋住み時代の埋木舎、中堀内の遊覧船など散策はいろいろ。



さらに商店街整備で全国に知られた”彦根キャッスルロード”は説明の必要もないだろう。元の大手筋の商店街を全面リニューアルし歴史を感させれ外観整備と、新たな販売シーズの開発として再生し。次代の商業ゾーンとして画策した点で全国の先駆けとなった。本来の商店街もそれなりに立派で、このゾーンから少し離れたところに営々と続いている。
賑わいとしては羨ましい限りで。城下町として対抗できるのは四国では松山城か高知城というところであろうか・・・羨ましい限りである。合掌
ご縁を長らえて感謝なり、明石二見島!!
明石市の工業団地:二見島。ここは明石市でも西寄り、高砂市や加古川市に隣接する。電車ならJR土山駅、山鉄なら東二見駅か西二見駅が最寄り。ここには大手企業の主力工場や生産拠点、中規模企業の生産拠点として多くの企業が進出している。
周辺は磯釣りポイントとして、明石大橋を望みながらのんびりと魚釣りができる上、開発に当たり工場勤務者や市民向けに屋外プ−ルや遊具場〜散策の公園整備、さらにヨットハーバーも併設するハイカラな工業団地だった。



●デザイン業界で有名になった、”ファクトリーパーク”=ノーリツさんの工場が有名。
25年前後、国内はもとより海外のデザイン業界で、「パオス」を知らないものは無いほど圧巻の仕事量だった。とにかくあらゆる準大手の企業のCIを手掛け、世界のCI会社(例:ランドアソシエーツなど)に伍していけるプロダクションとして一世を風靡していた。その中に神戸が本社である湯沸かし器メーカー:ノーリツも担当、グラフィックだけでなく、工場はブランドイメージの象徴という考えを導入した工場である。
取引先がすぐそばで、初めて香川県から電車を乗り継いでお伺いした時に、タクシーから見えたインパクトは強く、いまだに印象として残る。・・・ここではその外観写真は肖像権が派生したら嫌なので掲載しない。

●明石大橋はかすんで見えなく残念であるが、豊饒な明石の沖合に地元漁協は多い。
昔は土山駅が最寄りだったが、今は山陽電鉄「東二見駅」が近い。それは新しい橋がつけられ、普段は明石大橋を見ながら訪問するのである。帰りはタクシーを呼ぶのが面倒で、料金もすごくなるおで、帰りはお天気さえ良ければ約20分を歩く。あまり人とはすれ違わず工場関係の車だけで寂しいルートだが、日頃あくせくする私には丁度、保養される感覚。うっすらかく汗も心地よいが、案外と疲れていて帰りの電車はつい居眠りに。




●取引先の担当:常務様が、少林寺拳法を学生時代に。それが発端で25年!
四国で創業された取引先のご紹介で、ここへお邪魔して25年。元は神戸市内で鉄工所をされていた下地がありつつも、現社長様が中学生のころに引き継ぎ、さらにこの二見島へ移転、躍進したという兵庫県では有名な企業。その社長様のご実弟に担当いただき、カタログなどさまざまに。先方は躍進されているが、こちらは取引先大手の倒産やM&Aでなんだか敷居は高くなっているのであるが。
初めてお会いし仕事の話が一段落し、話題が香川県=少林寺拳法=学生時代は本部合宿で・・・とのことで一気に距離が縮まり、それでも10年以上、四国から通うことに。取引先の急成長に合わせて弊社へも頑張れ!と、いつも発破をかけていただいた。ますます輝いていただきたい取引先である。



★東二見駅⇒ 東二見漁港⇒ 波切不動尊⇒ 南二見臨海公園⇒ 取引先・・・という塩梅。本日晴天なり、なれどやや霞。



 
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