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夏休みのような日よう日
早起きをして、近くの公園の朝食会へ。 犬は草を。 私は肉モッソ+パプリカと白桃の冷製ポタージュを。 中間地点でお昼寝をはさみ、 四国村の村茶屋へ。 まずはかき氷。みぞれシロップに練乳とあんこをトッピング。 冷えてきたので温かいお茶を。 お茶うけはぷるるん二色(ふたいろ)わらびもち。 最後にレモンシフォンパイとヨーグルトアイスをいただいて、もうお腹いっぱいです。 表に出ると、玄関先に緑の柿の実。 時の流れの早さに、少しさみしくなった日曜日でした。 追伸) 村茶屋さんの食べものは、かき氷のシロップも練乳もあんこも、わらびもちもパイのクッキー生地もすべて手づくりのやさしい味です。今は古代米を育てている最中らしく、木枯らしが吹く頃には、古代米のおにぎりとしし汁(おそらく自分で獲って料理したイノシシです)のセットがメニューに加わるそうで、今からとても楽しみです。かなり日焼けされてましたが、こんなふうに、静かに着実に歩んでいる人がいるとほっとします。 |
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小さな町の大きな仕掛け!!
福井県といえば、永平寺や東尋坊に代表される
古刹や名勝も多くあるが、“大きいというキーワード”で、 まさに珍しいモノがある。 その2つは両極をなすといっても過言ではないが、 それが全国区のランクでしかも小さな町に存在すると いう不思議である。 01:福井県立恐竜博物館 勝山町は国内最大・最多の恐竜の化石発見地なのであり、 現在も発掘体験ができる現場が、この博物館に隣接している から驚きである。マニアでなくても修学旅行とか研修先として、 すっかり知名度を得ているのではあるが。 その展示内容のレベルや規模は国内最高でもあり、 海外からも高い評価を得ている有数の施設であろう。 ここだけを目的に来館する人も多いだろうが、歴史マニアにも 城巡りのついででこれだけの施設に寄れることは、 大変ありがたいことだ。 学術的も地層学から生物学的にも丹念に展示出され、 復元された骨格モデルや、動く恐竜モデルなど、 実物大が多く迫力満点であり勉強になるものである。 海外からの協力も得てレプリカながら恐竜モデルが実物大で、 こんなにたくさん展示されることは想像以上である。 福井県勝山市では1989年から恐竜の化石の発掘調査が はじめられて今日も継続中であるという。 フクイラプトル、フクイサウルス、フクイティタンなど まさか?と思うほど“福井”の冠がつく恐竜の化石が掘り 出されているのである。まさに日本海が太古には大陸と つながる浅瀬程度だったことを示す。 何時間いてもまるで飽きさせない施設である。 ただこればかりは羨んでもいたし方ない、 福井県の独自のコンテンツなのである・・・いやはやすごい!! 02:大師山清大寺(=現臨済宗妙心寺派)=越前大仏 学生時代にあれこれと世話になった大切な友人が鯖江市で、 伝統の越前漆器の作家として頑張っているが、彼に開設当時、 珍しいので是非来ないかと誘われたのが本寺である。 ご両親がこの勝山市であることで、実業界で大成功され 当時日本一のタクシー会社の創業者だった多田清氏が報恩の 意味で建立したものである。 日本最大の大きさを誇る大仏を鎮座し、 五重塔をはじめ大伽藍を形成した宗教的施設である。 開創当時は大変な賑わいだったが、いわゆる新興のものであり 観光名所化しただけに、やがて関心が薄れ一旦閉鎖の憂き目と なった。当然、寂れた感はあり、門前町を形成した土産物店街は シャッター通りになり、衰退感は否めなかった。 幸い妙心寺派の末寺となり現在、維持されている。 ○○観音、○○大仏というのは全国にいくつもあり、 廃墟化した観音像(=内部が望楼となった)も多いが、 当日も閑散とした境内は我が家くらいしか拝観者はいなかった。 教員を辞め反対をされながら創業した私は、家の財産を 相当食いつぶした親不孝者である。両親への報恩に 500億円近い浄財を費やしたこととは比べようもないが、 同行した91歳となる父に 「財力も別の使い方をしてこそ親への功徳」などと諭された。 ただ不思議な縁だが、自動車修理工場経営で成功した叔父が、 若き頃にこの企業の修理工場で勤務していたのである。 しかし鄙びた山村である勝山町にこうした巨大施設が、 両極端な姿としてあることに驚くとともに、 そのパワーに恐れ入った次第である。 |
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歴史の豊かさを伝える努力。
昔の越前=現在の福井県は、住みやすさや県民所得や 企業の多さなどの指標で常に全国トップクラスの土地 柄である。そういう訳で城好きの戦国マニアの私が 踏破すべきところではあるが、時間がなく常に走り 過ぎるだけだが、今回も息子の要件にかぶせて機会を 作った次第。 ■越前丸岡城 現存最古とも言われる天守閣で有名である。 また屋根瓦が地元産でできた石瓦で葺いている、 3階構造が積み上げ式など独特の特色も持ち、 本来は国宝級の価値だったが、1948年の大地震で損壊、 修繕したため現在は重要文化財。 また6代城主の本多成重の日本一身近い手紙=一筆啓上、 でも有名であるが、実は歴代では明治維新を迎える 有馬家が8代続いたので、こちらの方が治世者としては 歴史を持つ。昔の外堀に位置する平章小学校は、 最後の藩主が藩校を寄贈し設立された我が国でも最も 古い小学校という歴史を持つ。そのため大正天皇、 昭和天皇の皇太子時代に行幸を賜るほどの格を有する。 近辺に学校が多いが、平成の合併で坂井市に含まれた ものの文教の町として、存在感を放っている。 ■越前一乗谷:朝倉館史跡 福井市近くの山間に展開した、戦国末期 (=朝倉5代)の一大城下町だったところ。 長年の盟友である近江:浅井家との縁がありながら、 将軍家とのかかわりで織田信長と対抗したがため、 繁栄の幕を下ろすこととなった。要衝の街道と 一乗川をはさんだ山麓と山を背景に要害の機能と 惣構えをもつ独特の城下町。 ただ次代を読む視点が欠けたように、城下町も近代 戦を生み出した織田信長軍には抵抗し切れなかった。 廃塵と化した城下町も遺跡的に再現できるほど、逆に 言えば山間であったがためという好条件にもなった。 無論、地権者である地域住民の理解と協力がなければ こうした広大な史跡再現は無理だったのだが。 言葉で多くは語るまい・・・現地に立てば往時の 姿が目に浮かぶほどの雰囲気がすべてを語って くれるほど。まだまだ再現すべきことは多いだろうが 着実に整備されていきそうで頼もしい。 香川県でもせめて丸亀市あたりは丸亀城と 城下町整備に腐心してもらいたいものだ。 それだけの構えや縄張りが現存しているのだから。 ■越前大野城 今は丹波竹田城址が日本のマチュピチュ的に言われ “天空の城”としては一歩先んじているが、 どっこい越前大野城も大した雰囲気である。 古来越前と美濃をつなぐ要路にありながらも、 そう目立つ城下町ではなかった。 当時の本丸〜二の丸が山ごと現存しているうえに、 模擬天守とはいえ何とも雰囲気を醸し出している。 特に城下町の風情はどこかしこに保存と整備が図られ、 うらやましい限りである。四国などどう見渡しても そういう城下町はないに等しい。 山間ばかりを領地として織田軍にその人ありと言われた 金森長近が築城し城下の整備も彼の功績による。 飛騨へ転封されたあとは何度か城主は変わり、 徳川方の土井家の治世で約180年、4万石の藩として 明治まで続く。 こうした城下町の整備もさることながら、 銘水の町としての整備にも余念がなく、 至る所に井戸や水場が整っている。 また周辺観光も含めて連携や整備を図り、 人口3万強の鄙びた市ではあるが、城下町、門前町と 整備ができていない四国とは大きな開きを感じる。 私には身近な商工会議所の建物もまた城下町ならではの 配慮がされ、三の丸に位置する小学校も平屋建ての 城下町を意識した建築物として秀逸である。 日ごろ地元で不満と不安があるのは、 イベント=活性化ではないということである。 動員数に左右されるようなイベントではなく、 固有の文化や歴史的な要素を起点に、風情や風土の 色合いをどう毎年重ねていくか・・・ やがて20年くらい経てば落ち着いた独自の風情を 醸しだせるようになるはず。それには若さだけではない、 知性の集積が必要だが高齢社会ならそれも利点かと。 |