• 2020.02.08 Saturday
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姫路のモノづくりへの意志は着実、元気がいい!!

取引先の案内で「トライボロジー:姫路会議」を見学に。
 

トライボリジー:tribology・・・2つの物体が互いに滑りあうような相対運動を行った場合に、相互作用を及ぼし合う接触面、それに関連する実際問題についての科学技術の一分野・・・を言うのだそうだ。

回転機能や切削加工における素材や技術、製造・計測機械のメーカーや大学研究室などの団体の集積である。

何時も新幹線の乗換えで姫路は身近だが、商工会議所は初めて訪ねる。駅からと言い感じだが、市バスで1駅、歩いて20分少々。最初はこじんまりとした展示会程度と高をくくってお邪魔したが、しっかりした展示会や会議であったことに脱帽。

まず立派な商工会議所のビルに入ると、1階でブース展示。それぞれ狭くはあるが、参加企業のセールスポイントが一目でわかる。実物展示と説明パネルやカタログがきちんと用意されているが、さすがに1ブースは狭いので、すぐ横の商談スペースや夕方からの交流会で営業的なことはリカバーできる。

何より7階とかでの3日間に及び細かく区切られたいろいろな研究テーマや企業プレゼンが充実していることである。つまり名前の通り、学会的な会議や交流会である。

 

兵庫県でも姫路エリアは独立独歩型の経済圏。
 

神戸に長くいると姫路エリアは世界遺産ともなった姫路城が核となる観光資源エリア的なイメージが強いが、どっこい数多くの上場企業もあり、大手企業の生産拠点でもある。特に鉄鋼を軸にした関連産業は幅広いし、今は兵庫県立大学工学部となったが姫路工業大学という独自の研究機関も長く擁していた。

阪神淡路大震災の影響も軽微で済んだようで、企業や地域そのものに長年の人や技術、財務の蓄積があるからかもしれない。また後背地に但馬地区という広い

基盤を得て、地元播州地区とともにその中核だからだろう。兵庫県は18兆円くらいの県GDPだったように記憶するが阪神尼崎地区、神戸中央地区などと3分するパワーではないだろうか?姫路エリアだけで香川県の倍はあろうかと。

今回のトライボロジー会議は東京以外で葉初めての地方開催だったとのことで、道理で商工会議所職員に気合が感じられたはずである。我々地方では考えられないパワ―である。

 

四国にも工業出荷額:5000億円以上が何ヶ所かあるが、どうか??
 

徳島阿南エリアのLED産業はとっくに5000億円を超えている。愛媛今治西條エリアは造船・食品・電子関係で、松山エリアは農機、ボイラーなど機械系で、四国中央市エリアでは紙産業でと、何ヶ所か業界ではトップシェアを占める立地拠点はあるが、やはり兆円を超すのは姫路ならでは。

こうした下地に甘んじることなく、全国レベルの研究機能を呼び寄せようとする意欲が羨ましい。また11件うかがっていると、東海エリアの自動車&航空機産業への参入を意識していう面も強く感じた。日本経済が円安効果で輸出型企業の経営環境改善が顕著となった今、東海エリアを目指す志向は当然といえば当然だが。四国、特に我々のエリアのモノづくり基盤の脆弱さを改めて痛感する。

 

取引先の今後に期待!!
 

今回の会議にはより身近な点で、取引先のトクピ製作所様があげられる。洗浄機と油圧部品加工の森合精機様が親会社であるが、大阪八尾でのものづくり企業の一角を担う。自社ブランドを徐々に磨き上げて、こうした全体でのアピールに躍り出ている。

M&Aのころとは打って変わった積極さと自社ブランド製品化は、我々も見習う点が多い。特にキャパ100名で埋まるセミナー会場で、技術系の課長さんが自社の立ち位置と製品化の目論見を説明。立ち見客として拝聴した私には、まばゆい感じである。自社の作り出すものがどう業界や相手先に位置づけられるかを堂々と説明する姿勢は立派だなぁと思う。規模ではなく自身のアイデンティティの問題だからだ。

黒子役ばかりのデザイン屋であり、この2年は若手育成で失敗を重ねてきた。しかし業界でプロと呼ばれるには、その存在感やキャリアがものを言うし、キャリアに甘んじることなく新たなチャレンジも必要。足元を見ながら、これからまた巻き直しや!!と背中を押されている気がした。

余談だが、姫路駅前の再開発はとても洒落た街へと様相が変わった。経営的にどうなのかは知らないが、駅ビルの大変身は客層の流れでもよくわかる経済効果に感じた。合掌




アートでたんぼに
昨日、あまりにもよいお天気だったので、隣町で開催されている「世界農村芸術祭 15thアートでたんぼ」を見に行ってきました。



知り合いの作家さんも何名か出品されていましたが、他の展覧会ではやらないようなこと、というか、出来ないようなことを思い思いにされていて、そのあたりの解放感が、自然と人が集まってきて15回も続いている理由なんだろうなと思いました。

山間いの、とても気持ちのいい場所です。
時間のある方はぜひ行ってみてください。 




















勉強しながら旅をする
4月に入学した学校の、おもしろそうな授業を徳島校で見つけたので、先週末泊まり込みで行ってきました。


『薬草』のお話です。
とてもお茶目な先生で、"MMK84"という自作の香水をみんなの手首にスプレーしながら、この名前の由来について「モテテモテテ困るハッシー(橋本)」とうれしそうに説明されていました。
今回の授業でいちばんおもしろかったのがこの香水を作る実習で、私は、ベルガモット+メイチャン+ゼラニウム+ローズマリー+イランイラン+ローズウッドの6種のオイルを組み合わせました。ただいま熟成中ですが、1ヶ月後がたのしみです。


普段、特に気を留めることのないもの。お刺身の隣のタデやワサビ。お寿司に添えられているショウガ。桜餅の葉っぱ。赤飯の上の南天の葉。ちまきを巻いてる笹。焼き魚の大根おろし、などなど、それぞれの効能を改めて学び、コンピュータも電卓もカメラもない時代に、誰がそれに気づき、どれくらいの時間をかけて確定されていったのか、
人間て、個人個人に見えるけど、大きな流れでみれば繋がって進化していってるんだなぁと感じました。



城山の散策とか、何十種類もの薬草茶の試飲とかの実習が多い上に、ポリフェノール摂取のための蘭入り赤ワインやら、先生自作の皮膚の万能薬"紫雲膏"やら、蘭の飴玉やら、先生が飲んでいるお勧め漢方薬やら、お土産いっぱいの充実した2日間でした。そして、記念すべき最初の1単位です。

勉強するために入学したのか、旅をする口実に入学したのか怪しいところですが、いちおう卒業を目標に、あちこち旅をしながら勉強していきたいと思います。



快作!“浅田次郎流”「 一路 」を読んで。


誰しも江戸時代といえば、思い浮かべるのが“参勤交代”という言葉。幕府の重要施策の一つとして、各大名に経済的負担させ幕府に逆らう財政余力を持たさないという厳しい策ながら幕末まで引き継がれていった。

華やかな時代絵巻的に伝わる参勤交代、案外と最近時代小説になっている。土橋章宏氏「超高速!参勤交代」は映画化で異彩を放ち、佐伯泰英氏「酔いどれ小藤次:御鑓拝借」も視点が見事である。そうした中で、ストーリーテラーの名手:浅田次郎氏の「一路」である。






浅田流が随所に光る、まさに快作!!
 

浅田次郎氏は自衛官を経て独学の作家として大成しただけに、表現されるディティールが大変リアルでありながら、しっかりとした筋道とともに泣かせ処が絶妙であり、国民的な人気作家である。私は偏屈志向でしか本を読まないので「壬生義士伝」が浅田氏の著作では第一としているが、今回の「一路」はまた何とも浅田氏らしいと感嘆した。「五郎治殿始末」にも似た洒脱感も感じた次第。

主人公は旗本:蒔坂左京大夫(まいさかさきょうだいぶ)という旗本では最上位に当たり、江戸城では他の大名と同じ定鑑間に詰めるほどの家柄。その旗本家の参勤交代の最高責任者が“御供頭(おともがしら)”と言い、小野寺一路という急遽、火事で焼け死んだ父親になり替わったものの、何一つ仕事を知らない若者である。全体のストーリーは参勤交代だが、この裏には藩主交代を狙う陰謀が仕組まれて、参勤交代途上の藩主失脚と担当藩士とその家族を犠牲にしようという時代小説らしい事情を含んでいる。

文章にも殿様の舞台好きが高じたセリフ回しが出てくるなど、読み手をぐいぐい引き込む仕掛けが多重である。途中は藩士や家族の生死に関わりがあることで緊張感を伴いながら、最後はハッピーエンド的でほっとさせられるのだが。あり得ないようで、こうあると面白いよな?!というまさに浅田氏の真骨頂。



舞台、役割、名前までがリンクしっぱなし!!
 

蒔坂という殿様の名前も西美濃の田名部という領地も、当然架空だが岐阜、愛知、三重と最近妙に近しくなったゆえに何とも興味が深い。事務所の薄墨桜の幼木:苗の植え付けから約3年・・・の故郷は岐阜県本巣市。ここには樹齢千五百年と言われる日本三大巨木桜:エドヒガンサクラ=薄墨桜で全国に名を馳せる。まさに近いイメージである。

また蒔坂の殿様は交代寄合という旗本。これは佐伯泰英氏の「交代寄合伊那衆異聞」にもある。さらに行列の先頭は家康公伝来の大きい鑓をもつ双子の奴と家伝の十文字槍を持つ先努めの偉丈夫の藩士。この威容な出で立ちが、やはり佐伯氏の「酔いどれ小藤次:御鑓拝借」という人気作品のイメージを彷彿させる。

また主人公の小野寺一路は、代々蒔坂家の参勤交代御供頭の家系で、弥九朗が引き継いできた名前であったが、なぜかこの主人公の代のみ“一路”である。当時としてはあり得ないような名前であるが、これもまた浅田氏らしい。

実は大学時代のクラブ仲間に「○路○一○」君と言うのがいた。名門・報徳学園部活で磨かれた技は、我部では先輩にも敬遠されるほどうまかった。また彼の自動車通学のおかげで部活がない稀な土曜日は、彼の実家近くまでドライブに便乗、六甲や甲山、武庫川当たりの景色を楽しませてもらった。四国の田舎者に目を開かせてもらった恩義があるのだが、彼の名前の語感とダブる!!こうしたかぶる要素を強く感じたのだ。



財政厳しく武士も農民も厳しい時代の参勤交代!
 

財政の厳しさは米価を基準にした経済体制が根本にあるが、それにつけても武家の経済観念に乏しい藩経営での華美、放漫、杜撰さなどいくらも要因はある。特に江戸中期以降は租税も半民半公から四民六公という過酷さであった。百姓の棄民や一揆は頻繁に起こっていたし、武士も藩の借上制度で手取りがどんどん減り、日々が窮乏していたこともある。それだけに参勤交代は藩領を出るまでと江戸に入府した時だけを家格に応じた外観を整え、後はどこまで予算を絞れるか懸命の努力を要した。食事を制限しての空腹、途中で資金不足になり出入り商人に無理やり金の都合を懇願するなど散々な実情が記録に残る。

こうした現実に近い厳しさを表しながら、人としての正義感や努力を伝えながら、終始する小説である。また装丁も上巻&下巻表紙をくっつけると、参勤交代の道中イラストとなっている点も、洒脱な感じが伝わる。まさに浅田流でもあろうかと。相変わらず長いブログだが、疲れ切ったタイミングで、少し英気を養えた作品である。人はどういう場合でも工夫や努力が肝心で、そして前向きに進める仲間がいることで解決できることは多いこと、この歳でも学び直した次第。

私のみどりの日
緑が眩しい季節になりました。

私がときどきおじゃましている山の学校で、毎年この時期にうるし畑の草刈りがあります。
以前は、ヘビやトカゲに遭遇する可能性のあるところになんて絶対出て行かなかったのですが、最近は視力がとても悪くなったこともあり、結構楽しみに出掛けて行っています。

何度か参加すると、草刈り機を使えない人のやるべき仕事もわかり、虫対策グッズも揃ってきました。 

私の道具はこれ。うるしの木の周囲30センチ四方の草を取り除きます。

虫対策グッズはこれ。それでも右頬を刺されましたが。。


しかし、
本気で農業をしている人には許せないであろうこの中途半端な仕事。

これは雑草対策だそうですが、効き目があるとは思えません。全面を覆うわけでもなく、、、ただ唐突に一筋、、、強い風が吹いたら飛んで行って近所迷惑のゴミになるだけではないのかと、、、

それでも順調に成長しているうるしの木。この樹液で作られた器が店頭に並ぶ日はくるのでしょうか。

仕事半分、癒し半分の、今年のうるし畑の草刈りでした。


おまけ)
つついても弾いても懸命に蜜を吸いつづけるブイブイ

見事にかじられた葉っぱ



つかの間の但馬路
5月連休も仕事の身としても、せめて衣替えだけはと車で、神戸と香川の往復。取引先に無理をお願いして午前中の打ち合わせ。午後から帰り道として但馬方面へ迂回。百名城巡りスタンプの一連であるが。

 ●想像外の賑わい、但馬竹田城!!
天空の城・マチュピチュなどと大盛りで喧伝されている竹田城であるが、改めて人気度を再認識。とても昼からの城巡りではおよびもつかない現地の人出。途中までマイクロバスの輸送があるが、来城者は老若男女ともにトレッキング姿。出で立ちからも心構えを感じ感服したが、雨模様もあって本日は断念。
ちなみに黒沢映画「天と地」の居城セットはここで組まれた。当時、木組みは本格的で城壁などは発泡スチロールながら秀逸な城構えだったのがユーチューブにも上がっている。最近では高倉健主演の映画「あなたへ」で、どさ周り歌手の田中裕子との縁が始まる、天空のコンサート会場としても記憶に新しい。 織豊時代に整備された貴重な城だったが、江戸初期の一国一城令で廃却されたことは残念である。


●出石城に切り替えて、そばを堪能!! 
徳川初期に信州小諸から配置された仙石秀久が、山上の詰め城:有木城とあわせて、行政府の城割として作ったのが出石城。風情はかすかに残るが史跡としては大したことはなく残念である。しかし信州そばの職人を呼び寄せたのが、この町の振興を今にもたらせているから羨ましい限り。街中がそば屋さんの集合体みたいな趣き。特に辰鼓楼という史跡前の当たりはそば屋の林立で大変な賑わい。食事時を外せば別なのかもしれないが、いやはや・・・ 讃岐うどん店もにぎわうが、県下に分散して居て風情はない。 せめて名城・丸亀城を有する丸亀市はこうした一体とした城下町再生に取り組んでほしいものだ。

特にどの店も意匠が歴史観を残し、レベルはしっかりしている。讃岐うどんのチープさはない。また味わい方も、はじめにつゆだけで→次は薬味で→さらに、卵ととろろ芋で→締めはお決まりの蕎麦湯・・・と出石流を薦めている。こうした手順で讃岐うどんより客単価が出せている。そば屋がうどん屋より格上的なイメージが定着している所以である。小さな五皿が一人前基準だが、恐るべき出石蕎麦。信州そば、出雲そばと城巡りの度に味わうが、出石そばもまた固有の存在感で光っている。


 

城がなくても良き寺がある、つまり宮本武蔵を感化したといわれ有名な沢庵禅師が晩年を務めた宗鏡寺という臨済宗の名刹が町はずれにある。“すきょうじ”と読むのだが、よほど物知りでなければ難読である。古文書の会元会長で出石へ3度は来ている91歳の父が失念しているくらいである。



境内は小ぶりながら古刹にふさわしい木造建築の枯れた感や、苔むした庭園が小雨に現れて清々しい。また要所の説明用のアナウンスボタンがあり、その場での見所や教えの一端を聞かせてくれるのも、案外とうれしい。ここでも正直、観光地化した四国霊場よりもありがたい。讃岐うどんや四国霊場・・・少しは出石に学ばねばと。 


この1年、若手のなんとも言えない会社離脱の心境に辟易してきた。言い訳がましくないよう(=自身の曇った心に響く沢庵禅師の言葉も記されている)、まずは自戒あるべしと。合掌


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