• 2020.02.08 Saturday
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里山のぼり
どういう気まぐれか、最近山登りを始めました。
香川県の山は、高さが400メートルあるかないかばかりなので、"登り"というよりは"歩き"と言った方がぴったりきますが、いちおう山頂を目指して歩く山登りです。

グーグルマップで調べたところ、私の住む三豊市には、山マークがこれだけありました。

とりあえず、徒歩のみで行けるところから、ということで、尾根伝いに繋がっている七宝山と志保山へ。

登山口もかわいいですが、登山道も枯れ葉をかき集めて焼き芋をしたくなるような楽しさです。

この山の魅力は、弘法大師が七つの宝を埋めているという宝探しみたいな伝説を持っていることと、山のてっぺんに立つと、一方にのどかな平野が、もう一方に静かな瀬戸内海が見える「一石二鳥」的なところにあるのではないでしょうか。




こちらは次の好天日に登る予定の山条山と爺神山です。(富士山の麓で生まれた友だちに言わせると、山ではなく古墳らしいですが、、)


ヘビの問題があるので、山登りを楽しめるのはあと2ヶ月。
週末のお天気チェックが欠かせない毎日です。


ベートーベンと第九演奏会
昨年の話しになりますが、
年末、友だちに誘われて第九演奏会に行ってきました。


ベートーベンというと、音楽よりも石膏像(というか、苦痛だった鉛筆デッサン)が浮かんできてしまうので、少し予備知識をと、ネットで検索をしてみました。そこで目に留まった言葉が「不滅の恋人」。
ベートーベンの死後、引き出しの中に残されていた手紙は誰に宛てて書かれたものか?その相手=不滅の恋人らしいのですが、この相手をいろんな人がものすごく調べ探しています。

興味津々で何冊か本を読んでいるうちに、不滅の恋人にまつわる云々よりも、よくぞここまで時間を費やせたものだとそちらのほうに感心させられました。
100万年調べ続けたところで本人に確かめられるわけではないのに、、、それだけベートーベンの音楽が偉大だということですね。

今回の演奏会はとてもアットホームなものでしたが、お隣の徳島県では毎年6月に少し大規模なものが開催されているそうです。

この600人の合唱隊に友だちのお父さんも参加していて、今年の6月は双眼鏡を持って拝聴に行く予定です。「ウォーリーを探せ」ではないですが、見つけること、できるでしょうか?

日常のちょっとした楽しみですが、これもベートーベンさんが第九を残してくれたからこそ。苦しんだり迷ったりしながら素晴らしい音楽を残してくれたベートーベンに感謝したいと思います。




正月早々、またもや城巡り!
2015年、明けましておめでとうございます。旧年中は多くの方に応援いただきました。改めて感謝いたします。

●年明け、お稲荷さんへお札返しでの城巡り。
年男で、会社も創業30周年を迎える2015年、なにかにかこつけて縁起にしたい心境で迎えた今年。事務所神棚のお札返しで総社の最上稲荷さんへの初詣は恒例の正月行事。そのついでに手の届く範囲で城巡りも恒例行事だ。

さて今年は最上稲荷から、鬼ノ城ー備中高梁ー福山ー今治のルートか、鬼ノ城ー備中高梁ー米子ー富田月山という渋いところも考えたが、年末年始の雪模様に阻まれることに。無論ここらも1度や2度は行っているのだが「100名城スタンプ巡り」もあって2度目、3度目に。総社からは雪仕様でないと高速はシャットアウト・・・断念しおとなしく山陽路へ。

●譜代の名城、備後福山城へ。
JR福山駅の目の前に威容を誇る福山城は、江戸時代初期、福山藩設立とともできた城。戦国期の要塞機能と江戸期の行政機能を融合した名城である。平山城の典型として、そのまま現存していれば全国屈指の観光資源となっていただろうと惜しまれる名城。藩祖で築城は水野勝成、西国大名の押さえの藩・城として10万石で始まり、江戸期半ばから阿部正邦が入封されて、9代で明治維新を迎える。往時の写真は江戸末期に撮影され、それなりに残されているので予算が何とかなるなら、もっと櫓など復興してほしいと切望する。さらに復興天守で鉄筋コンクリート造りは仕方ないが、展示にはもっともっと工夫がほしい!!
同じ城跡に県立歴史博物館、美術館が点在し、公園整備と相まって一大カルチャーゾーンでもあるだけに、展示のチープさは苦言を呈したい。本来なら規模も建物群の美しさも全国有数であっただけに、現状からの整備が進まないことは勿体いないなぁと痛感しつつこれで3度め。寝不足で移動する私は、よく寝過ごし岡山どまりが福山で気が付く情けなさを3度経験しているが、目前に迫る福山城の威容に心が救われている。改めて城下町が羨ましいと思う。





●少し寄り道、鞆の浦。
昼食時間になり鞆の浦で昼食をと考えた。残念ながら正月休みで、お店の多くが休業。営業中の蕎麦屋さんでざるそばを。なんと津和野からの出店。正直、鞆の浦でそばという感覚は微妙。でもついこの間の信州松本の蕎麦屋さんの印象が強いだけに微妙と感じたのだ。
ここは景観が美しいことでつとに有名であり、また坂本龍馬の海援隊の船と和歌山藩の船が衝突して沈んだことで、わが国初の海事訴訟の事例となった「いろは丸事件」でも有名。散策すると坂本龍馬色が濃くなっている。伝統的には「保命酒」で知られていて酒元が軒を競っている。遊覧船がいろは丸仕様???で思わず笑ったが、沈没船が遊覧船ではと少し怪訝に。似ても似つかないのと便乗主義でどうか?と思った、ごめんなさい。



●快適に走って、ぎりぎりセーフ、今治城。
今は山陽道としまなみ海道はつながって、すいすいとスムースに今治へ。強風で時折ヒョウが降ったが、お天気は快晴で見通しは良好、しまなみ海道の良さである。でも今治着は午後4時となって日が陰り始める。駆け足で「名城スタンプ」欲しさに城内へ。今治城は織豊時代からの名将で築城名人とも言われた藤堂高虎が築城した、我が国初とも言われる層塔式天守を持つ名城である。瀬戸内海にそそぐ河口に築かれた海城として画期的なデザインとコンセプトであった。幸いに本丸と内堀がそのまま残り復興天守や復元した門や櫓の威容が絵になっている。のちは松平家が明治維新まで治めている。ただ惜しむらくは復興天守が、実在した天守=層塔式でなく、普通に破風が付いた天守であり、階層と屋根の比率も少し変な点。実は層塔式天守で現在見られるのは島原城だけで、小倉城、丹波亀山城なども層塔式とされるが、あまりのシンプルさに復興時に受け入れ難かったのかもしれないが、歴史の証人としてどうなのかと至極残念である。しかし鉄筋コンクリート製の復興天守ながら展示内容はきちんとして、かつ丁寧で心地よい。先ほどの福山城とは雲泥である。また現状の威容は十分絵になるレベルで、史実とは違う皮肉さも消して余りある今治のシンボルとして美しい。





年賀は31日夕方ぎりぎりで年賀状を。年越しの初詣で疲れ正月1日は寝て、2日はお札返しに岡山へ、3日午前中は親戚周り。それから仕事であっという間だったが、城巡りだけで1年を賄えるエナジーチャージだ。引退したら絵を描きたくて、その原案作りが始まっていると思うと慰められる。いやはや創業30周年、引退は近い!が、企業寿命30年説でもある!!合掌
 
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