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VOXの社窓から
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木造建築プロジェクト、フィンランド企業が満をじして参入!!
「オーストリアよりも早くから・・フィンランドからの提案!」
ヨーロッパでは山林国家である「オーストリア」がバイオマス事業や木造建築のイノベーション国として世界の最先端と知って驚いた。それについては以前このブログで「里山資本主義」という優れた地方振興の成功事例を紹介した著書が元である。本1冊、ネット検索、後輩の都市プランナーなどからのにわか仕込みだが。 そのオーストリアの成功事例よりも早く手がけていた国が北欧の「フィンランド」である。60数年の歴史を踏んできたそうだが、ややPR不足だったという。そこで大阪が誇るアジアトレードセンターにあるITM棟にある「輸入家具〜インテリア〜マテリアル展示場」に、参加するという。大阪が誇るとあったが、実は現在は空き室が目立ち、寂寥感は否めない。築後16年という歳月が、デザイン性やコンセプトが華々しかったただけに、却って痛いのだが、それでも地方から見れば相当に立派だ。当然、この輸入品展示場のスケールはかなりのもので、今回「フィンランド」の企業が参入してきたことは喜ばしい。 一世を風靡した「エコシティ」とは言わず、現在は「ライフシティ」というコンセプトらしい。推進企業は「VTT」という企業。フィンランド政府の補助で3分の1、あとは民間の力として世界を相手=300億円くらいの規模・・・フィンランドの建材を駆使しての”家づくり〜街づくり企業”だが、都市プランナーとしての色彩も強い。スカンジナビアデザインとして冠たる評価を持つ、建築デザイン〜インテリアデザイン〜生活家具〜生活雑貨など多岐にわたることはご存じと思う。またそれに合わせて、”ライフ=人の生活”に関わるすべてを考えている点が先駆的なのである。 その中には冒頭にある「里山資本主義」のキーワード:バイオマスエネルギーやそれによる自給自足レベルの安定供給まで含む。建材は集成材だが、既に公共施設を中心に、11階建ても耐久検査が認可される木造建築が顕著な成果となってヨーロッパでも展開中という。 このVTT社は、既に日本支社を宮城県仙台市において進出。なぜ東京や大阪でないの???それは東北大震災〜大津波による災害復興との関係にある。あまたの建設需要に、人工的な復興ではななく、再生可能で自然治癒力のような、また環境に溶けこめる発想力と実績が期待されたからである。既に岩手県では気仙沼市、石巻市でスタートしているそうだ。私の後輩で都市プランナーをしている人物がいるが、彼は大船渡市出身であり、このセミナー後に急ぎ連絡した次第。 また私のように海を渡るなどといってもほとんど瀬戸内海、海外は上海のみという人間にはフィンランドなど永遠の国。ではなぜセミナーに参加したか??このビル内の展示場内を誘致したのが、このフロアに事務局を置く、エイジコンサーンジャパンの塚谷理事長さんのご案内からだ。 「エイジコンサーン」とはイギリスが発祥で世界本部もあるが、高齢化社会をアクティブに前向きに捉えて、常に交流イベントや勉強する姿勢を大切にして、共同生活を通じて充実した健康的な高齢化社会を生き抜くことを世界で提唱している組織。それは名古屋:東海地区から始めて、関西地区でも発行していた介護情報誌「創美」の取材で出会ったことによる。 元イギリス商務省日本事務局職員として、バリバリの英語力を駆使して活躍されていた塚谷理事長が引退後に始めた活動である。介護がご縁でフィンランド、そしてバイオマス〜ライフシティ・・・いやはや情報や人的ネットワークのある方に触れると、いろんなことがつながる。 百聞は一見に如かず・・・アジアトレードセンターのITM棟に9階にデビューするフィンランドコーナーにを覗いて欲しいものだ。合掌 |
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歌とはいいものだ!!また同期とはいいものだ。
「 村山奈緒美さんのディナーショーにて 」
仕事人間で神戸でも12年近いのに、音楽シーンにはどれほど関係しただろう・・・学生時代の親友が神戸でいた時に2度ほど行ったジャズクラブ。取引先が主催した「長谷川きよしショー」・・えぇ随分な話で非道なぁ???なんとなく忙しい、忙しいでコンサートが無縁になっていた。高校あたりから吹奏楽には没入気味で、教員時代の交響楽のコンサート、創業期には仕事でジャズなど何度か・・・でもその程度。 それが従兄弟や取引先の関係で誘われて、神戸でも数少ないシャンソン歌手の村山奈緒美さんのディナーショーへ。場所は旧居留地のレストランGARNEIR(ガルニエ)で、40数人というこじんまりとしたディナーショーだった。彼女は学生時代から吹奏楽育ち、大学から歌手志望に。音大育ちではないが、ずっとプロに師事しながら歌い続けてきた。私より8歳くらい若いがシャンソン界では若手だそうである。実はディナーショーの前に、神戸で発行している女性をテーマにした情報誌「神戸Woman」に掲載をと考え、従兄弟や友人に紹介してもらいお会いした経緯はあった。しかし恐縮にも、冊子での紹介ができなかったので申し訳ない思いもあった。それで案内頂いて、撮影も含めて参席した次第。 会場はゴンチャロフ製菓さんの直営店で、このディナーショーをきっかけにこうしたコンサートにと、グランドピアノを発注され、届いたばかりというメモリアルな日でもあったので、当日はミニくす玉が用意されていたのがご愛敬。参加者の90%は、実は村山さんの高校時代の同級生と聞いて驚き。県内では進学校として有名だが、それだけに彼女のような少し変わった道を行く人は少ないのだろう。皆さんが心から楽しみで来てくれたという、アットホームな感じがした。 彼女もそういう背景があったので、あえてシャンソンに絞らず、ポピュラーな選曲に配慮した構成だった。実はこうして同級生にかこまれたディナショーは初めてのことらしく、終始彼女は歌の合間のコメントで照れに照れていた。う〜ん、同級生の前って、何か甘酸っぱく、高校時代の自身と卒業後30年以上経っての自身のあり方をじっくりと見比べられるような思いからかもしれない。しかしまごうことなく、参加者は村山さんのファンであることは確かで、義理張りではないと思った。それは神戸で、シャンソン歌手、プロとしてずっと育ってきたことを、ごまかしようがないと思うし、彼女が一途に打ち込んできた実力や生き方が認められているからだ・・・それも数十年にわたってである。この業界では5年か10年過ぎたら、マンネリとも思わず根をあげる。新人は1年ももたない・・・夜が遅いとか思いに任せないなど、あれこれ辛いというのだ。笑うしかない・・・スポーツ、音楽、アートに感動しても、その裏の努力には与しない。・・・都合の良い。 彼女が最後に選んだ曲名。実は感動してしまって曲名は忘れた。そなん感動下でも私はすぐデッサン的に人を見てしまう。彼女の歌い上げる喉元の震え、声帯の筋が浮かび上がる緊迫感が迫力だ。不謹慎だが・・・・歌詞も曲の抑揚も村山さんが歌手を選択してきたこれまでの人生観の悲喜交々を歌いきっていたように思えた。一途に続けること・・・30数年。私も絵を描くことのキャリアは長いし、またデザイナーとしても29年が過ぎた。大変才能にうぬぼれがあり、人に負けるのは嫌いだし、そう簡単に負けは認めない性質。それがまさかディレクターや経営が主になるとは思わず、しかも後進を育てることに終始してきたが、こうも若手が育たないと自分より才能がない人を育て違いしてと、自戒の念ばかりになる。だから余計に最後の曲は、染み入ったなぁと。自分より才能がない人をうんぬんするより、自分だけがやればよかったじゃないか???とのたまう自身が現れてくるのだ! 多くの人はコンサートへもよく行くようだ。私は本を静かに読むか体を動かし、音楽はコンサートまで行かずCDででも・・・という限定人間だが、やはり生演奏はいいものだと今日は思った。随分と現金なもので、普段の思いは撤回!!撤回!!村山さんの今後の活躍を益々楽しみに思った神戸の夜だった。合掌 |
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南国土佐、高知城を訪ねて・・・・40数年ぶり。
高知県へは仕事でいったい何回訪ねただろうか???100回ではきかないし、オフも含めると・・・考えるのも大変なくらい訪問していると思う。しかし、いざ高知城となると小学校の修学旅行以来かも?となると驚く。日々仕事疲れの気持ちをほぐしてくれるのは、引退できたら絵描きになりたい、そのモチーフに城がある。全国の城の写真や資料をよく見ているのか、高知城へそんなに長く訪ねていないことが不思議な感覚になった。
言わずと知れた山内一豊が、徳川家康よリ関ヶ原戦の勝利の恩賞に静岡・掛川城主から移封され、土佐藩の創設前に築城したものである。国宝級天守閣を有し、本丸の御殿機能と天守閣が一体化した古式城郭の遺構を色濃く残す貴重な史跡である。二の丸から本丸まで昔のままの縄張りが残り、山内一豊の戦国武将の気風が感じられる男性的な風情である。また見慣れているのか?土佐という風土に見事にマッチしているという感じすら起きる。残念ながら一豊は、完成後数年で没しているが。 訪ねた日は5月4日、GWまっ最中。名物日曜市とも相まって、まさかと思われるほどの人出で、城域内は無論、天守閣まで、人、人、人でびっしり。驚く程の訪問者数で、正直、人疲れした次第。坂本龍馬の大河ドラマの時ほどではないにしろ、これもまた高知人気の表れであろう。野趣に富んでダイナミックな風格が高知城にはある。これは格別、お城フリークや歴史好きでなくてもなんとなくわかるものである。 一豊が入府するまでは、土佐始め四国の大半は土佐の強豪、長宗我部氏が覇を唱えて、現在の高知城よりかなり北側の岡豊に本拠地を構えていた。ここは長宗我部氏が没落した時に廃城となり、また最初は浦戸の小さな城で仮住まいとなった。それから今の場所を選定し、築城したのである。 一豊しかり、当時の戦国武将が勝ち残り、徳川幕府創期にそれぞれの入府先でしっかりとした城を構えつつ、じつは綿密に都市計画とも言える町づくりに見事な手腕を発揮したことも見逃せない。 ただ単なる武勇や蛮勇を誇示する猪侍でないことは、この高知城下の町づくりも示している。 今改めて岡豊や浦戸だったらと思うと、バランスの良い町割りの現在には繋がっていなかったのだろうと。出身地から遠く離れて領国経営に腐心した戦国武将とその家来。引くに引けない背水の陣で領国経営に全力で取り組んだことであろう。また渋々だろうが受け入れてきた地元の民衆。年貢の徴収、文化や行政手法での軋轢は多かったと思うが、今の隆盛の基本はこの城の配置を決めた時点が原点だと思えば、戦国武将で成功した人の行政手腕もまた見事であるやと。 入府以来、長宗我部家の人には郷士扱いで一段低い処遇として、身分差別の不満も下級武士には大きく、それが龍馬などに代表される維新の志士を生むエネルギーにはなった。遠い昔ながら、野趣に富む高知城の天守や遺構を見つつ、ロマンや人、文化に恵まれた城下町を羨ましく思う次第。合掌 |
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島巡り その2(小豆島)
5月は私にとって、適温でいちばん過ごしやすい季節です。 この週末も穏やかないいお天気だったので、このあいだの犬島に続き、"島巡りその2"ということで小豆島に行ってきました。 小豆島への目的はこちら。 藤原慎治展です。 ちょっとした先輩にあたる方で、昨年の山なみ芸術祭で100年ぶりくらいに(感覚的100年です)お会いし、今回のご案内をいただいてから半年。やっと小豆島に渡ることができました。 藤原さんの作品はこの納屋のような倉庫のような小屋の中に展示されていました。 しかし入室はカードキーで。まるでホテルみたいです。 宙に浮き上がれるスポットもあります。 昨日はタイミングが悪くお目にかかることはできませんでしたが、作品だけで十分ご本人に会えたような気がしました。作品て、或る意味では当人よりも正直にその人を表しているかもしれないなぁ、とそんなことを考えつつの帰りのフェリーの中、こちらはタイミングよく、瀬戸の夕陽を拝むことができました。 |
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悪の秘密基地?それとも・・・
これは何? 悪の組織の隠れ家への入口か・・・ 想像を掻き立てる入口だ! 実はドイツのヴィースバーデンにある マンホールだそうです。 六角形の形をした蓋が 六枚に分かれて上に向かい放射状に 開いています。 中には階段で降りられる構造。 まさに秘密の入口 子供の頃、近所にこんな マンホールがあれば、 絶対秘密基地としてありとあらゆる 手段を使い中への冒険を試みただろう。 中は巨大ロボットの格納庫かもしれない。 怪しげな集会が行われているかもしれない。 それとも秘密地下通路になっていて、 どこかへの抜け道なのだろうか・・・ 確かに機能的ではあるように見える。 日本でも模様がご当地イラストに なっているのはよくあるが、 構造は似たり寄ったりだ。 ちょっと気になる画像だったので・・・ 世界のマンホールの蓋、 調べてみたくなりますね。 |
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日本の夏、裏っかわアチチの夏
矢野です。
あっという間に桜も散って、山も青々としております。 いまだに朝夕は肌寒かったりしますが、日中、昼下がりは熱気ムンムンな感じですね。会社の僕の席は午後3〜5時あたりの西日がダイレクトアタックしてくる位置にあるので、今の時期からすでに亜熱帯です。窓際に置いてある温度計は余裕でレッドゾーンを振り切り30℃オーバー!今でこれなら7・8月なんて!ましてや12月なんて!あひ〜!(*_*) ジムスナイパーカスタムも暑そうです。 さて、気温とともにじわじわと上がってくるのがMac裏の温度。真夏はほんと大丈夫かこれ?ってくらい高温になります。もちろん放熱性も考えて作られてるからそこまで神経質にならなくてもいいっぽいですが、どうも心配・・・。というわけで僕は2年ほど前から夏場はMac裏にファンを設置して熱を逃がしてます。無印の仕切棚とデスクファンとその箱を組み合わせると良い位置にくるんだなこれが(^^) はたしてこれがCPUとかにいかほどの効果を生んでるかはわかりませんが、少なくとも裏っかわは「アチチ!」から「ほんのりあったかい」までに冷却可能です。今年の夏もこのシステムで相棒iMacを酷使したいと思います。 |