• 2020.02.08 Saturday
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「衆愚の果て」を読んで
第46回衆議院選挙が行なわれ、自民党の圧勝の結果となったのだが、そんな中、政治家を主人公に扱った興味深い小説を読んだので、ご紹介したい。
「衆愚の果て」という題で、作者は高島 哲夫さん。この方は、原発事故が起こる前に
メルトダウンを想定した小説を書いていたことでも有名になった作家だが、岡山県玉野市のご出身ということでも親近感を感じていた。


内容は、27歳の無職の男性が、思わぬことで比例当選し、国会議員になる。いざ、国会議員になると、高収入の上に、宿舎も都会の一等地にありと、様々な特権があることを実感する。その一方で、議員自身の身を削らずに、負担を国民に強いることに疑問を感じ、
ついには制度改革に自ら乗り出していくという、おもしろおかしく現在の国政を綴った小説である。すべてフィクションなのだが、実際のモデルがいるようで、読んでいて、わが国の閉塞感をぬぐえないのも無理ないかなと感じてしまった。

デザインの世界では、とっくにグローバルな視点で仕事をしている方が世界中に大勢いる。わが国でも世界を股にかけて活躍されているデザイナーが限りなくいらっしゃる。それなのに、政治の世界では、まだまだ国内ばかりに目を配っているようにしか思えない。
3年3ヶ月前に行なわれた選挙と全く逆な結果となり、小選挙区の制度では、致し方ないのかも知れないが、これだけグローバルな社会になっているのだから、国益を大切にした政治を望みたいものである。
最近のつれづれ
はてさて最後に書いたのはいつだったかというほどに久方ぶりのブログです。いや〜もう自身のFacebookも気がつけば「いいね!」を押すだけの日々。ダメですね。
さて、最近とはもはや言えないんですが、先月の10・11日に参加してきたデザインフェスタvol.36のことなんかを。といっても子細に書いてるとダラダラになっちゃうんでスパッと簡潔に。
デザインフェスタは弊社も過去数回、VOXとしての出展をしておりますが、今回は僕と友人2人とのプライベートなものです。自身初の出展だったんですが、予想以上に良い反応がいただけたので調子に乗って来年も出そうと画策中です。
ちなみに出展したものは三者三様で、僕は昔から大好きな「恐竜」をモチーフにカッティングシールを制作しました。己の画力の低さが今のゆるブームにマッチしたのか、老若男女、はては国境を越えてのありがたいお言葉頂戴いたしました。

恐竜シール2
恐竜シール1
そしてさらにありがたいことに、シールを発注した熊本のデザイン事務所さんのブログに制作事例としてUPまでしていただいちゃいました!

これで少しでも受注量が増えてくれると、なんかいいことした気分になれます。みなさんもぜひ。
デザインフェスタ当日の写真を何枚か弊社HP「側道散歩」にてUPしております。あ、あまりというかほとんどアナウンスできておりませんが、実はHPをリニューアルしました!Facebookにも登録したりと、どんどんなにかしらを発信できるサイトに育てようと若いスタッフ(僕も若いですが)が今なお現在進行形でもりもり製作中です!乞うご期待。(ハードル上げちゃったよ〜)
錦秋と哀惜の郡上八幡城:青山藩



秋晴れの晴天下、念願の「郡上八幡」へ行った。讃岐観音寺からは相当遠いが、愚息の冬物運びの手伝いに便を借りて足を伸ばした次第だ。名古屋市内から高速道1時間半程度で行ける別世界であり、名古屋の都会に比べると時間が止まった街と言っては失礼だが、観光立市として江戸の歴史を色濃く残している素敵な雛である。

戦国期や江戸期、城郭フリークの私には憧れの地でもあった。目的は「郡上八幡城」と「郡上八幡の街並み」であるが、現在の基盤は秀吉全盛の時代:稲葉貞通によって整備されたようだ。徳川幕府後は遠藤常友が3代目城主としてほぼ完成を図る。

その後、井上家、金森家と交代し江戸中期:1758年に青山幸道:48千石の藩政を得、7111年間で明治を迎える。戦国期、山内一豊の妻で有名な千代がこの郡上八幡の当時の城主:遠藤盛数の娘であるというのが今日の定説である。その点でも注目される城なのだ。






江戸時代は3層の天守?をいただき、深い山あいに位置した孤高の姿は、全国屈指の美しい名城として讃えられたとか。

現在の天守は大垣城をモデルに、昭和8年:1933年に全国初の木造で模擬再現。正真正銘の天守ではないが深い山あいに歴史を重ねた分、十二分な風情となって溶け込んでいる。なお郡上藩:青山家江戸屋敷跡は、明治維新後東京に返納され、それが今に名だたる青山墓地となったことは意外と知られていない。






紅葉のまっさかりに急で狭い坂道を車で登りながら本丸駐車場へ。地元の方は大半、急な登城道を歩くのだがこれは結構きつい。しかし山頂は本丸しかないのだが紅葉の木々と相まって得もしれぬ雰囲気に酔いしれるなぁと訪ねて正解だった。しかし風情に期待しただけで訪ねたのでは実はない!!

凌霜隊”ってご存知だろうか?


来年のNHK大河ドラマは「新島八重」であるが、彼女は会津藩の砲術師範家の娘で自らからも砲術家でならした。

会津藩は幕府への忠誠では抜きん出た藩で、早乙女貢の「会津士魂」で有名だが、日本人として誇るべき思想の原点でもある。幕末戊辰戦争で賊軍の汚名を一身に受け、藩民全てが官軍に対抗した清烈な姿勢に涙するほど感動した。その姿勢は浅田次郎の「壬生義士伝」、中村彰彦の「落下は枝に還らずとも」という泣かせる小説につながると思う。


この戊辰戦争のさなか、会津藩内での激戦に実は郡上藩もこの戦いに応援部隊を出しているのだ。官軍が一気に京都を制し東上する中、小藩である青山家:郡上藩は表では官軍に恭順せざるを得ない戦力、しかし藩内は幕府への支持論も強かった。そのため家老の息子、若干17歳の朝比奈茂吉、以下47名で構成された支援部隊の名前が「凌霜隊」である。江戸まですら、さらに江戸以北と各地で戦いを重ね最後、会津若松城での籠城線も戦った。会津藩の降伏後は官軍(=心ある歴史好きは単に西軍としか言わないが)に拘束され凌霜隊の生き残りは郡上八幡へ戻された。藩命を背負い出かけながら戻ってからの扱いは、藩は明治政府におもねり3年間も牢屋同然の寺院で囚人扱いとした。ボロボロになって釈放された隊員は無念の思いで城下を去っていったという。現在はその隊士の生き様を顕彰し、凌霜隊を称える記念碑が本丸入口にある。これが私の目的の一つだった。・・・こうした史実に触れたのは澤田ふじ子の「葉菊の露」である。葉菊=青山家の紋章。藩命をおびたのに結果は露のごとくの扱い、はかない凌霜隊隊員の小説であるが、この本での感動が訪ねたい思いの背景だった。


江戸幕府ではとりわけ親藩の代表格だった高松松平藩の官軍への卑屈なくらいの恭順、尾張徳川家の官軍の自藩通過(=阻止せずに)・・・と幕府側にありながら意気地も見せなかったのである。尾張藩と会津藩の藩主は兄弟ながら最後まで武士の矜持を見せた会津とは?!・・・“会津士魂”に描かれた精神風土に誰しも感慨を得ることだろう。悲しい結末に至り官軍にボロボロにされた会津藩はじめ東北諸藩だったが、西郷隆盛の西南の役以降は、各界で活躍する優れた人材は会津藩や東北・北陸諸藩から輩出されているのも皮肉な話だ。


清々しい生き方とは???経営の最前線に立ち、これだけ経営環境が厳しいとそういう姿勢を全うすることは正直難しい。しかし少しでも真似られたら良いなぁと秋景色のなか郡上八幡城と城下町を歩いて思いは深まった。合掌






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