• 2020.02.08 Saturday
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紅葉を思う
今月の出張の合間に、紅葉が見ごろを迎えているということで、京都にある東福寺に行ってきた。紅葉を見るなら、この場所という定番の一つになっているだけあって、大勢の人が来られていた。


紅葉を観賞し、物思いにふけっていたら、先月、読売新聞に掲載されたコラムが思い出されたので、是非、紹介したくなり、全文を掲載したい。

 紅葉が美しく色づくには、3つの条件があるという。
 昼間の日差し、夜の冷気、そして水分である。
 悩みと苦しみ(冷気)に打ちひしがれ、
 数かぎりない涙(水分)を流し、
 周囲から温かみ(日差し)に触れて
 人の心も赤く、黄いろく色づく。
 紅葉の原理は、どこかしら
 人生というものを思わせぬではない。


自然の営みの凄さに、人はただ、学ぶしかないのだろう。
錦秋の旅路 木曽近辺の研修旅行


去る11月6〜7日の両日、3年振りらしい商工会議所の研修旅行へ参加。

本社を離れる10年前は、まちづくり研修で「黒壁ミュージアム」で有名な長浜〜近江八幡や名古屋覚王寺などへ出かけた体験上、今回は厳しい日々の合間で無理をして参加した次第。スケジュールに飯田の「水引き会館」「野沢菜の漬物工場」とデザイン上での参考となるコースや「馬籠・妻籠」という伝統の町並み見学が予定されていたからだ。

天候は不順な曇天か小雨模様の予報の中での出発だった。


1:予想外の紅葉に感動!

研修ではありがちな風景散策として、そう期待もなかった恵那峡と富士見台高原の2箇所は、じつは黄葉一色(=もみじ、はぜなどの赤が少ない色系統が多いので敢えて黄葉に)の絶好機で驚くばかりの錦秋風景だった。

まず恵那峡は日本最初の水力発電となった人造湖。開発者は福沢百助=福沢諭吉の娘婿で、関西圏へ配電するために開発された。この恵那峡は錦秋に覆われ様々に形容された名称が付く奇岩の多い絶景の渓谷で、観光資源としても相当の価値である。






次は富士見台高原。スキー場のリフト乗り場のある山腹までは勾配の急なリフトで上り下りする。一面が錦秋の山肌、リフトごと包み込まれた臨場感と、見回せば日本アルプスを遠望する木曽の山深さに驚くのである。さすが1500メートルを越すと冷たさが一段身に染む。それゆえ黄葉がより鮮かさが増すのだろう。ここも赤系の木々はなく黄色系の木々の色ばかりだが微妙なトーンの多彩さはまさに圧巻だった。






2:さすがに馬籠・妻籠である!


  



  



       



江戸時代は中仙道の宿場町として栄えた伝統の町並みが残ることで、あまりに有名なのが「馬籠・妻籠」の宿である。馬籠は坂道を下るようにて視察。風情はあるが残念ながら、明治の大火で焼け残存家屋は少なく再整備された点が惜しまれるが、よく復元された景観である。

ここでの珠玉は「島崎藤村=“夜明け前”が有名な作家」である。出身地であり、当時の生家を模した資料館がきちんと整備され、文学の源泉が薫っている。

また「栗菓子」であろうか?銘店が少なからずあるが、人気店も含め品薄気味?でどのお店も賑わっている。町並みは坂道を下るが、視察として逆=登りはきつい!お薦めできないなぁと脚力不足に苦笑い。


「馬籠」のとなりは「妻籠」宿。こちらは実に路面がフラットで往復路とも楽である。また道幅が狭いのは古さを余すところなく現存しているからで、風情では「妻籠」である。特に午後5時半、観光的には終了後というタイミングで現地入り。家々の灯りがぽつねんと路地を照らす、夜景目前だったので野趣に富む雛そのもの。

ふと街路から明かりの灯る旅館が見えたが、うら若き女性グループ客が二階部屋=15畳程の座敷部屋でこたつを囲んでいる姿に、この時節、何故もこんなに優雅に?と不思議な思いがした。日々消耗戦に向かう私には別世界の観を覚える彼女らだが、なんとも風景に溶け込み、お似合いであった。



どちらにしても、古さが価値を持つ全国あまた残る歴史の町でも秀逸であること間違いない。羨ましい限りだ。四国にも徳島の脇町=うだつの町並み、愛媛の内子の白壁土蔵の町並み、というそれなりのところがあるが何歩も譲るしかない。四国の方が地方なのになぁと、歴史が残らなかったことが惜しまれる。



・・・以上、長々と散策レポートとなったが、その町その地のアイデンティティーの継承こそ(=これから都会が疲れる社会になるだけに)、ローカルが価値を持つこととなる。でも“癒し”ではなく“たゆとう”というか、気品または上質な時間の流れがスローに伝わるような地方でなければいけないと思うような研修だった。「水引き細工」や「野沢菜漬物」は次回に。企画頂いた商工会議所に感謝。合掌


「信じること」の難しさ
今年のプロ野球で、3年ぶりにパリーグを制した栗山英樹監督がずっと頭の隅で気になっていた。そんな折、先日NHKで今年の栗山監督の活動を追いかけたドキュメント番組が放送された。タイトルが「ただ、選手を信じる」と付けられた45分番組だ。

タイトル通り、昨年の11月に監督に就任以来、すべての選手に声を掛け、対話をし、その選手の特性をどう生かしたらよいのかを考えながら、ペナントレースを戦った様子が映し出されていた。
特に辛抱強く選手をつかい、中でも4番を任された、中田翔選手は、打てない時期が続いても、4番として使い続け、見事その期待に応える活躍を見せた。投手では、入団から3年間、勝ち星がなかった、左腕の吉川光夫選手を「選手をその気にさせる」栗山語録で見事に花を咲かせた。

しかし、番組の中で特に私が印象に残ったのは、野球の場面ではなかった。栗山監督はまさに苗字と同じ、北海道栗山町に住居を構えていて、庭には手作りの野球場を作ってしまったのだ。すべて自らが土地を耕し、ベンチも作ってしまう懲りようである。
その作業中、栗山監督が「自然もチーム作りも同じだと思う。すぐには結果が出ないかもしれないが、肥料なり、手塩に掛けて育てた場所は、いつの日か結果がでる。決して嘘はつかない」というのだ。

我々現代人は、ともすれば、目の前にある結果を追い求めてしまっていないだろうか。ある意味、長いスパンで物事を見る視野に掛けてしまっているのではないだろうか。
人も自然もすぐには変われないし、それでも正当な方法で接していれば、自ずと結果がでてくることをつい忘れてしまっている。

これから若い人たちが育っていくのをお手伝いしたり、見る側になるだろうが、まずは、自分の気持ちに余裕をもち、心から相手を信じられる人になりたいものである。

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