• 2020.02.08 Saturday
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女性が日本を救う。
今月9日から14日にかけて、IMF(国際通貨基金)と世界銀行の年次総会が日本で48年ぶりに開催された。前回は東京オリンピックが実施された昭和39年以来というから驚きである。そして、この間に、日本の経済を立て直すための緊急リポートがIMFから発表された。この期間中、様々な提言がなされていったが、私の目を引いたのが、「我が国の成長のために女性をもっと活躍させるべきである」といった指摘だった。


日本は、高齢化・少子化にあって、働く人の数をしめす、「生産年齢人口」が今年から実に100万人単位で減少していくことが判っている。近い将来、世界最低レベルになると予想されている。そこで、俄然注目を集めるのが、女性のパワーである。
残念なことに、現在は、出産や育児で仕事を辞めていく女性は、6割以上、ましてや企業や団体の幹部が女性である割合も少ないのはご承知の通りである。
そこで、家庭と仕事を両立しながら、女性が能力を発揮することで、労働力の減少を補うだけでなく、新たなイノベーションも生み出すことが期待されている、というのが今回の提言の趣旨である。
これまでも、女性の視点を生かした商品開発がヒット商品を生み出すことも多く紹介されている。企業もその点を以前に比べれば、考えられないくらい注目している。社会的な状況を考えると、今まで以上に女性の力を借りなければ、日本は立ち行かなくなるというのだ。
特に我々が身を置いている、デザインの世界においても、女性ならではの視点がもっと出てきても良いのではないだろうか。

今年のロンドンオリンピックに見られるように、女性パワーに引っ張ってもらう時代に入っているのは間違いないようだ。
「 天地明察 」江戸時代の日本人は面白い!
 


本社へ帰り少し慣れた頃に、尖閣諸島問題と竹島問題が続き、時間がとれる合間についついネットニュースを見てしまい、時間効率の悪さ、生産性低下に反省大。しかしそれにしても日本の大手メディアは本当に偏向報道の上、ミスリードが激しく、ネットが普及していなければ世論の方向に勘違い甚だしい。よくもまぁあれほど向こう寄りの論調で平気なのが不思議でならない。改めて左派系が主体の企業の恐ろしさを感じつつ。



さてそういう中で出張も多くなり、せめて気分転換と往復路で読み込んだ本が「天地明察」である。皆さんも映画化が早く、しかも文庫化ですでに十分すぎるほどの認知かもしれない。歴史モノが苦手と言われる女性(=昨今は“歴女”とか言われる熱心な研究肌の方が女性にも多いそうだが)も安心し、楽しく読める時代小説である。









時は江戸時代、短命であったが第4代将軍の時代ながら、幕府はそれまでの暦(=宣明暦)がどうも現実と齟齬が生じて不便この上なかったことで改暦を試みます。遣隋使の頃から中国の暦を参考に幾種かの暦が、古来政権により施行されてきましたが、暦を決める優先権というか絶対的権限は幕府ではなく朝廷及び公家にあったのは理由があった。

さて改暦で歴史に大きな足跡を残す主人公は、渋川春海という碁打ち衆と呼ばれる幕府ご指定の碁家の一家:安井家の人物である。本来は本家嫡流として後継するはずが晩年の子であったがため、お家断絶を防ぐために先に養子の義兄がおり、既に将軍家や大名の相手として立派な業績を誇っていた。それが故に彼は才能に恵まれつつも4家ある碁打ち衆の重要パーソンでありながらどこか別者としての自身を感じて過ごし(=あくまでこの著者の解釈だが)それが算術や天文に興味を持つことにつながるのである。


主人公である渋川春海は京都から江戸への出仕を命じられて、早速、算術者には有名な金王八幡神社へ向かう。そこには絵馬を通して算数の謎掛けがされ、その答えがいろいろ評価されていることに関心を寄せていたからである。特に難問が掲げられて、その答えが大正解なら「明察」と記される。その後、彼は碁と暦の研鑽の狭間で悩まされるのであるが、大名碁の人脈から、幕府の要職から改暦研究の責任者に指名される。ここで問題なるのが高度な算術=数学である。


そこで絡んでくるのが当時既に高名を馳せていた「磯村吉徳塾」門下の村瀬義益野であった。渋川はそこで稀代の算術家(=たぶん当時の世界で通用するトップクラスの数学者とも言える)、「関 孝和」である。彼の実像をさらけ出す機会は文庫本:上巻・下巻の長編であってもほとんどないが、そこがまた面白いと言える。まさに彼こそが本の命題「明察」を最も価値高く示す存在として位置づけられる。彼の超絶した天才ぶりは数学者:藤原氏の著書でも記述されているが、今の数学理論レベルで見てもすごいのだから、当時の関係者が関の数式の凄さに感嘆するはむべからぬことと言えよう。


結果は20数年の研鑽のなかに、失敗も繰り返しつつ4度の改暦上奏を試みる。そして第5代将軍:綱吉の治世下に、ついに朝廷側の大統暦と渋川側(=無論、渋川の幕府方にも土御門家:公家の支援があってだが)の大和暦の雌雄が決せられ、逆転のような顛末で貞享元年(1684年)1029日に発布された。

長くなったが、私は子供の頃から数字が苦手で物理や数学さえなければ・・・と絵を描く方に逃げたものである。情けない話だが未だに引きずっているから子供時代のトラウマは恐ろしい。そんな私でも小川洋子氏の「博士の数式」、藤原正彦氏の「天才の栄光と挫折」など数学をテーマにした本は一気に引き込まれる面白さだった。あぁ小学校の始め時にこうした本を読んでいたら、数学から逃げなくて??と反省しても、もう”とっくの後の祭り”。

不勉強の詭弁と思いつつ、いやはや久しぶりに楽しい本でした。作家の優しさがにじむ筆致に時代小説ファンとしては多少違和感があるやかもしれませんが、でも日本人としの誇りも感じられます。合掌



東京駅復元で思うこと
前回のブログにも紹介させていただいたように、今月1日、東京駅が5年の歳月を費やし復元が完成した。建設当時の大正時代の姿がよみがえったのである。


当日は、その姿を一目見ようと、オープンの時には、数千人の人たちが丸の内駅舎を訪れたそうだ。その雄姿の蔭で、5年間の修復作業は、大変な作業だったそうだ。1つには、駅舎を利用しながらの修復作業だったこと。かつ地震に備えて、建物全体を持ち上げ、免震装置を取り付けたことが挙げられている。中でも力を入れたのが、出来るだけ歴史的価値のあるものを残しての修復だったことだ。象徴である赤レンガはもちろん、既存の建物にあったステンドグラスをほぼ、そのまま活用したそうだ。空襲で受けた痕もそのままあるらしい。
もう1つの課題は、修復に掛かった費用、約500億円の捻出問題だ。そして。この莫大な修復費に一役かったのが、「空中権」。これは、本来なら10階建てぐらいの建物が建てられる土地に、それ以下の建物を建設した場合、残りの階の権利を他の周辺の業者に売買できるというもの。それが出来たために、修復費一部の費用に当てられたというのだ。

こうした東京駅の復元を巡る様々な話を感心して聞く一方で、私の頭をよぎるのが、JR東海道新幹線の京都駅のリニューアルの時を思い出してしまうのだ。列車で京都を訪れた人はお分かりだろうが、古都 京都にようやく到着したかと思うと、あの近代的な駅が迎えてくれるのだ。このギャップが良いという人もいるだろうが、私は京都らしい演出がどうして出来なかったものか、残念に思えてならないのだ。

駅の姿は、人それぞれに感じ方があるのかもしれないが、将来にわたってその駅のイメージを醸し出してくれそうなデザインを望みたい。東京駅の復元が1つの道標になってくれたらと感じた次第である。


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