STATE | ENTRY | <<new | 1 / 2pages | old>> |
|
スポンサーサイト
|
|
あさやけ
|
|
おもしろい試み
ちょっと前の話になりますが、 知り合いのチバサンが、「OPEN STUDIO」という試みをされていました。『アトリエの移転を機に、今まで制作の場だった築100年を超える古民家にて作品を展示します。』=「OPEN STUDIO」です。 ↑築100年の貫禄。 ↑とにかくかわいいゴエモン風呂 築100年を超えるという家は、歩くたびにぎしぎしと床がないていましたが、台所は土間で広々、お風呂はタイルがかわいいゴエモン風呂で、何とも贅沢だったのは廊下の横を流れる小川です。水のせせらぎを聞きながら、小さい文机を置いて手紙を書いたら、きっと気持ちのいいものが書けるにちがいありません。 ↑廊下の横を小川が流れる。「羨ましい」の一言。 「OPEN STUDIO」は、チバサンという人を知っているからおもしろい試みだと感じたのかもしれませんが、作品をつくることが生活の中心になっていなければなかなか出来るものではないような気がして、その潔さがちょっと羨ましくなり、次のアトリエでの「OPEN STUDIO」も楽しみだなと思いました。 |
|
巨大モニュメント?
ドキドキするほど異彩を放つ巨大なモニュメント群。
これは、旧ユーゴスラビアで1960年〜1970年代の 指導者であったチトー大統領によって強制収容所跡地に 建てられた、第二次世界大戦戦没者を慰霊する慰霊碑 だそうです。 社会主義共和国としての国威発揚や愛国教育的な 意味もあったようです。 その荘厳で巨大なモニュメントを見てください。 光を表しているのでしょうか? 斬新な異形のモニュメントです ん〜、どう見ても腕ですね ゆがみと空間の関係が素晴しい 優しさを感じさせます この巨大さと形状がなぜかマンガチックに感じる・・・ 国威発揚の象徴とはいえ、なぜここまで芸術的で 圧倒的なものに思えるのか。 古代のピラミッドのように後世に残す 威厳を示したかったのかも・・・。 |
|
新記録
何度か書いてたりしますが、地元、少年サッカーチームのコーチをさせて貰っています。
昨年は、練習の量を追いかけましたが、時間や場所を多く提供したとしても、肝心の気持ちが ついて行かない限り、本当のステップアップはないと感じて、今年は、質を追求しています。 今日は、ブログ当番だったので、何を書こうか?と思っていた時に、携帯に嬉しいメールが届きました。色んなご意見を頂いて、落ち込んだりもするのですが、教えている子供の一人がリフティングで新記録が出た!という嬉しい報告です。子供達には、毎日コツコツと努力することの大切さを偉そうに言ってるので、僕もコツコツ仕事を頑張ります。 サッカーの事ばかりですが、休日には、ハイペースでお城巡りが続いています。 先週は、伊達繋がりで、宇和島城に行ってきました。大河ドラマのDVDも丁度、猫姫の所だったり、伊達博物館で大きな展示会をしていたりと、偶然が重なってとても、面白い1日となりました。帰ってきた翌日、家内の仲の良い友人が、転勤になったので、遊びにおいで!というお誘いが、、、、。これがなんと島根県。あ〜ここにも、現存する12城の一つがあるのは、偶然でしょうか?また、父ちゃんは、運転手です。 『この景色を見るには、丸亀城よりもしんどかった』 『家内の友人の家から見えるという松江城。きっとまた、しんどい。』 |
|
ブル中野という生き方(前編)
今回もまたまたマニアックなお題目、しかも長くなるため、2回に分けて書き込みたい。というわけで今回はその前編ということで了承いただきたい。
さて、ブル中野といっても分る人がどれだけいるんだろうか。ブル中野、本名は中野恵子。1980年代に活躍した女子プロレスラーである。僕がブル中野に特に興味を持ったのは、プロレス雑誌でのとあるインタビュー記事がきっかけだった。そのインタビューでの彼女の発言に、僕は非常に感銘を受けた。その内容に入る前に、ブル中野の経歴と女子プロレス界の当時の流れを合わせて説明したい。 ブル中野(以下ブル)は1968年生まれ。アントニオ猪木をテレビで観たのがきっかけでプロレス好きになる。そして中学卒業と同時に全日本女子プロレスに入団する。当時、日本では女子プロレスの団体は唯一、全日本女子プロレスだけだったから、女子プロレスラーになるためには、全日本女子プロレスに入団するしか無かった。その頃の全日本女子プロレスは、勧善懲悪スタイルが基本。いわゆる善玉レスラー(ベビーフェースと呼ぶ、以下ベビー)と悪役レスラー(ヒールと呼ぶ)とが登場し、ヒールは凶器攻撃や場外乱闘といった反則攻撃でベビーを痛めつける。ベビーはじっと耐えながら、隙を見つけて反撃に転じ、クリーンなプロレス技で勝利する。といったお決まりのストーリーだ。だから、全日本女子プロレスでは、入団した新人が一応の基礎練習を終えてデビューする頃に、新人の所属をベビーかヒールかに振分ける。ブルはアントニオ猪木に憧れ、全日本女子プロレスではベビーのトップスター、長与千種に憧れていた。長与はシャープでボーイッシュなルックス、空手やテコンドーを取り入れた華麗でダイナミックなファイトスタイルで、絶大な人気を誇っていた。新人選手が憧れるのも当然の存在だったのだ。 ところが、ブルが新人の中では比較的大柄な体格をしていたこともあって、全日本女子プロレス首脳陣はブルにヒールを命じる。ブルはショックを受けるが、会社の命令は絶対だし、日本で唯一の女子プロレスの団体に逆らうことは、女子プロレスラーへの道が閉ざされてしまうことでもある。ブルは泣く泣く、ヒールとして女子プロレスラーとしてのスタートを切ることになるのである。 当時、全日本女子プロレスのヒールレスラー軍団には「極悪同盟」というチーム名が付けられ、そのリーダーはダンプ松本(以下ダンプ)という選手だった。ブルはそのダンプの下、極悪同盟のナンバー2として売り出されることになった。当時、ダンプは極悪同盟としての合同練習でも、いわゆるプロレス技の練習はほとんどしなかったらしい。それはある意味当然のことだ。観客はヒールにプロレスのテクニックなど求めてはいない。いかに怖く、憎たらしい存在であるか、それが役目なのだ。ヒールが正統なプロレス技を使えば、逆にベビーの存在意義が無くなる。華麗で高度なプロレス技はベビーが使うべき役目なのだ。だからダンプが指揮を取っての練習はいかにインパクトのある凶器攻撃を見せるか、2人がかりの攻撃やルールでは認められていないセコンド陣の乱入などのタイミング、といった反則行為の練習が主な内容だった。 しかし、当時ブルの後輩として極悪同盟に入ってきた新人選手、アジャコングはこんな発言をしている。 「そんな中でも、一人黙々とプロレス技の練習をしていたのが中野さんでした。ヒールであってもプロレス技が正統に評価される時代が必ず来るから、といつも言っていました」 会社の命令でヒールにはなったが、旧態然としたヒール役に甘んじるつもりは無い。ベビーであろうと、ヒールであろうと、プロレスラーとしての技術が評価される時代を自分が創ってみせる、ブルは秘かにそう決意していたのだ。だから極悪同盟としての合同練習の後も、独自にプロレス技の練習を続けていたのだ。 その甲斐もあり、ブルは高度なブリッジを必要とするスープレックス系などの難易度の高い技をマスターし、試合でも披露した。だからブルの当時の評価は「ヒールながら技の切れるテクニシャン」。しかし当然ながらその分、ヒールとしての存在感は薄くなる。ブルがそんなファイトスタイルを続けられたのは、ダンプ松本の存在が大きかった。何しろダンプの存在感は圧倒的だ。ブルは極悪同盟のナンバー2としてダンプとタッグを組むことが多かったが、ヒールとしての役目はほとんどダンプが担っていたし、観客の注目もダンプに集まる。だからブルはその分、ヒールとしては本来御法度の正統なプロレス技を自由に繰り出すことが出来たのだ。 しかし、1988年、ブルが20歳を迎えようとする頃、女子プロレス界が大きく変化する。長与千種他、主力スターが次々と引退を発表、ついにはダンプ松本も引退を発表したのだ。実はダンプ引退の裏には彼女自身の芸能界移籍の事情があった。 ダンプはその独特のキャラクターを買われて、テレビのバラエティ番組によく出演していた。とりあえずは悪役レスラーだから、竹刀で若手芸人を追いかけ回したり、といった役どころが主だったのだが、その芸達者ぶりと、意外に愛嬌のある素顔に芸能プロダクションが目を付け、本格的な芸能界移籍を誘ってきたのだ。ブルもまた、ダンプの子分的な役割で一緒にテレビに出ることもあった。芸能プロとすれば、二人をセットで売り出せばよりインパクトがあると考えたのだろう、ダンプを通してブルにも芸能プロダクション移籍を打診してきた。ダンプはブルに女子プロレスを辞めて一緒に芸能界へ行こう、と誘いをかける。 芸能プロに所属すれば歌手デビューも出来るし、テレビにももっと多く出演できる。有名スターやアイドルとも仲良くなれるし、女優としてドラマや映画への進出も夢ではない。しかも芸能プロが提示して来たギャラは女子プロレスとしてのそれをはるかに上回る高額なものだった。一年中ハードな巡業とトレーニングに追われ、世間からはすぐ八百長と罵られ、ギャラも安い。常にケガとは隣り合わせ、いつまで続けられるかどうかも分らない。引退後の保証など何も無い。そんな過酷な女子プロレスに比べれば、芸能界入りは夢のようなチャンスに違い無かった。しかし、ブルはその誘いを丁重に断った。 自分はプロレスをやりたくて女子プロレスラーになった。自分の目標はベビー、ヒール、関係なく、プロレスラーとしての技量が評価される時代を創ることであり、華やかな芸能界でスポットライトを浴びることでは無い。ダンプさんにとって女子プロレスは、自分が有名になるための手段だったのかも知れないが、私は違う。私からプロレスを取ったら何も残らない。 「本当にいいんだね、後悔するよ」ダンプはこう言い残すと、女子プロレスから去っていった。 しかし、その後、女子プロレスに残ったブルにさらなる試練が襲いかかる。相次ぐ主力選手の引退で、女子プロレス人気が急激に下降していったのである。観客数が激減し、試合数、テレビ中継が減ってゆく。ギャラも少なくなり、日々の生活も苦しくなる。しかしブルにとってそれ以上に苦しかったのは、自分のプロレススタイルを変えざるを得なくなったことだった。 ダンプが抜けた後、ブルは自動的に極悪同盟のナンバー1という存在になった。ヒール軍団のトップレスラーとして、今までのように、ダンプの影に隠れるようにして、正統派のプロレス技を絡めた自分のやりたいスタイルを続けることは許されないのだ。ヒールは常に大きくて、怖くて、無法な反則行為を繰り返してベビーを痛めつける憎まれ役を演じ、試合会場を盛り上げなければならない。入場時に生卵をぶつけられ、ファンレターと称してカミソリの刃が送られて来たり、ダンプに至っては興奮したファンが実家へ押し掛け、窓ガラスを割られたりしたこともあったという。もちろん、そこまでになればヒールとしては逆に立派な勲章なのだが、ヒールであろうとプロレスラーとしての評価を得られる時代を模索するブルにとっては屈辱以外の何者でも無かった。しかし、女子プロレス人気の下降に歯止めが利かなくなった今、自分の理想とは違っていても、ヒールとしての役割を演じなければならないのだ。 最初に述べたブルのインタビューはちょうどその頃、プロレス雑誌に掲載されたものだった。その中でブルは、今のスタイルが決して自分の望んでいるものでは無いこと、しかし女子プロレスの灯を守るためには仕方がないことを語っていた。またいつの日か女子プロレス人気が再び盛り上がって来たら、自分のやりたいスタイルが出来るんですけどね、と最後はそう締めくくられていた。 プロレスラーであろうとも、組織に所属しているということでは、普通のサラリーマンと基本的には変わらない。20歳を過ぎたばかりの女の子が、女子プロレスの現状を背負わされ、それでも逃げることなく、腐ることなく、本意ではないプロレスを続けながらもいつか自分の目標が叶う日が来ることを信じている。自分の思い通りにいかなくなった時、人はすぐに組織や環境のせいにしてしまう。愚痴をこぼしたり、不貞腐れたり、文句ばかりを言ってしまうものだ。信念を貫くことは大切だ。しかし、そのためには、信念を一時、胸の中にしまい込まなければならないとこもある。それでも決してあきらめず、胸の中で炎を燃やし続けられてこそが本当に強い信念なのだ。インタビューの端々から伝わって来るブルの内面の強さに僕は深い感銘を受けた。 確かにその頃、女子プロレス人気はどん底だったと記憶している。ブルの信じる女子プロレス人気が再び盛り上がる時代が来るなど、にわかには信じることはできなかった。女子プロレスラーの寿命は決して長くはない。もしかしたらブルの願いが叶うことなく、彼女の女子プロレス人生は終わってしまうのかも知れない。そう思うと切なかった。僕はブル中野のファンでも女子プロレスのファンでも無かったが、もう一度女子プロレス人気が復興し、ブルの願いが叶う日が来ることを願わずにはいられなかった。 そして苦悩の中にありながら、ブルの女子プロレスに賭ける信念はやがて時代を大きく変えてゆくことになる。(以下、次回へ) |
|
秋と祭と法被
夏も終わり、いよいよ秋。 また祭の季節がやってきました。 というわけで、なにやら今年から 地元地区の法被が新調されたようです。 従来は「ザ・祭」的なベーシックなものだったんですが、 今回は地区名の「谷」が入った、 大人なグレーベースのものとなっております。 これ↑が こう↓ 他の地区ではこの↑ような 地区名や紋の入ったものが現在一般的で、 「ザ・祭」法被は結構マイノリティーです。(と思います多分) それが昔は嫌で、今回の新調は喜ばしいもの・・・ のはずだったんですが、 最近ではこの祭法被にステータスを感じるようになっていたので 少々複雑な気持ちです。 祭だから「祭」、なんか文句あんのかい!? と言わんばかりの濃紺に映える赤。 原初にして至高のその勇姿は、車で言えばベンツのようなもの。 へっ、かっこいいじゃねぇか・・・ とか思ってたんですよね〜。 とは言っても新調されちゃったもんはしょうがない。 今年は「谷法被」で秋フェス参戦じゃい! |
|
お花畑って
|
|
筆
先日、先輩スタッフと話している時、筆文字で盛り上がりました。
今回はその筆つながりで、ある人を紹介したいと思います。 紹介と言っても、その道じゃ超一流で売れっ子なので、何を今さらって思われるかもしれませんが…。 その人物はご存じ「井上雄彦 氏」です。『SLAMDUNK』や『バガボンド』などで有名な漫画家であり、それにとどまらず展覧会やCMなど幅広く活躍されています。 週刊少年ジャンプでSLAMDUNKを連載していたころからのファンです。ただ、偉そうなことを言うようですし、僕の個人的な感想ですがSLAMDUNKは面白い漫画だったように思います。しかし、先程上にも挙げた『バガボンド』は全くそれとは別次元のもののように思えます。 そう感じさせる一つの要因が、漫画を描く手法を変えたということ。ペン画主体から、筆に変えその時代の世界観を感じさせるものにしたこと。 また手法の変化とともに、さまざまなチャレンジが漫画の中で表現されています。ストーリーの中で特にすさまじい変化を見れるのが、吉岡道場の70人との切りあいのシーン。あえて描き込まずに筆と自分を一体化させて描いたからこそ、あの迫力を出せたのだと思います。 彼の描く漫画はその枠を超えた作品になっているようにも思えます。 漫画は大人には邪険にされがちだが、そんなことを学べる立派な教材だと僕は思う。 タイトルの「筆」からかなりかけ離れてしまいましたが、そんなことを思う今日この頃です。 彼の最新情報や作品情報など気になる方はこちらをご覧ください。 |
|
職場体験
9月6日から8日まで 伊吹中学校の生徒さんが職場体験に来ました! 3日間という期間なので何をしてもらうか迷ったのですが、 イラストを描いたりするのが好きとのことだったので Macを使ってのイラスト制作と名刺の制作をしてもらいました。 macを使うのもイラストレーターを使うのも 初めてだったようで、どうなるかドキドキ!! でもいざ作業をしてもらうと その心配も無用でした! 自分が学生のときに体験した職場体験は なかなか楽しい経験だったので 今回来てくれた生徒さんも 楽しんでくれていたらいいのですが…。 こちらとしても、 教えながら作品を作るという経験をさせてもらったので 良い勉強になりました! 今回作った名刺やポストカードを 使ってくれてたら嬉しいな!! |
|
Google+って?
インターネット検索サービス最大手の米Googleは、 新たなソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS) 「Google+(プラス)」の試験運用を始めたと発表しました。 国内でソーシャルサービスを利用している人は、徐々に増えていますが、 世界に目を向けると急激に利用者が増え続けています。 特にSNS最大手のfacebookは、世界の利用者が7億人を超える登録をしているといわれています。 こうした状況の中、新たな一石を投じられるかどうか…という興味もあり、 Google+が注目されています。 Google+は、「親しい友人」や「同僚」、「家族」など、 共有したい情報に応じてグループに分類できる「サークル」 という新機能を備えた。 中でも特徴的なのは、登録したユーザーを実際の人間関係で区分できる「サークル」機能です。 例えば身内ネタや業務連絡などは自分が作ったサークル(リストのようなもの)にだけpostできる。 基本的には会話が広がりやすいように全公開でやると思うけど選べるがイイ。 facebookというよりは高機能になったツイッターな感じ。 匿名OKだし一方的にフォローすることもできる。 facebookの友達というよりTwitterのフォローに近い。 それでいてpost(発言)はfacebookのようにツリー状になっていて 会話を広げる感じです。 そういうことでGoogle+は、facebookとTwitterのふたつのいいとこを 合わせた機能かと思います。 その他にも、 複数の人と同時にビデオ通話をしたり、 携帯端末で自分の居場所を相手に通知したりできるほか、 撮影した写真を自動的にデータセンターで保管し、 共有することも可能です。 利用するには、すでにGoogle+を使っているユーザーから 招待してもらわなければ利用できませんが、 もし、Google+に招待してもらえるチャンスがあれば、 新しいGoogleの取り組みを試してみてください。 関連ページ ▼Google+ プロジェクト http://www.google.com/intl/ja/+/learnmore/ |