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口内満身創痍
ここ最近ずっと歯医者さんに通ってたんですが、先日ようやく一区切りつきました。ふた月ほどのあいだに3本抜かれ、2箇所金属をはめられました。というのも、かれこれ10年くらい歯医者さんにかかってなくて、ちょっとしみるな〜と思って行ってみたら出るわ出るわ虫歯の嵐。親知らすがもれなく虫歯ってんで、ゴリゴリ抜かれました。ほかにも、歯石がたまっててこのままじゃ歯周病になるよ〜とかもう散々な状態だったようです。 今ではクリーンになり、昼歯磨きも始めてスッキリ爽快クリアMAXです。贅沢を言うなら歯並びも矯正したいところですが、ぼっけえお金かかっちゃうのでそこはまぁそれなりで。 しかしよくアスリートなんかは歯の噛み合わせが悪いと100%の力を発揮できないと聞きますが、それってデザイナーにも言えるんでしょうか。矯正して噛み合わせバッチリになったら、すんごいデザインができるようになったり…だったらいいのにな〜♪ |
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拡張子
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スペインに魅せられて
日本には世界最古の木造建築群の法隆寺が
有名ですが、スペインセビリアに今年春 世界最大の木造建築がついに完成しました。 敷地面積18000平方メートル 建築面積5000平方メートル 延床面積12670平方メートル 階数4 建物の高さ28.50メートル 総工費9000万ユーロ(約105億円) だそうで、2003年に行われた広場開発計画の コンペでドイツ人のユンゲン・マイヤー・Hさんに よる設計が選ばれ2005年に着工しました。 他の建物と比べるとその巨大な大きさが一際目立ちます。 曲線で構成されたそのフォルムは巨大なオブジェの ようにも見えますね。 スペインと言えばサクラダ・ファミリアを 思い浮かべますが、その周辺の町並みにも特長があります。 まずはよく見かける風景をご覧ください。 低い視点での眺望は写真や映像でおなじみですが、 もっと上空からの眺めはブロックを並べたような 工学的イメージを連想させる俯瞰画像です。 ここまで壮大な碁盤の目になっているとは知らなかった 人も多いのではないでしょうか。 スペインの魅力に益々ひかれていく日々です。 |
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サマーバッグ
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星に願いを
ここ最近体調が不安定なので、毎晩なつこといっしょに30分くらい歩いています。なつこは自由なのら犬なので、私も勝手に歩いているし、なつこも勝手についてきている感じです。引っ張られたり、待ってやったりしなくていいところが飼い犬と違うところで、私はすごく楽チンです。
2月半ばからほとんど欠かさず歩いているのですが、流れ星を4回見ました。まだ一度も願いごとが言えていません。毎回「あ、流れ星」で終わってしまいます。あんな短い間に願いごとを3回唱えられる人なんているのでしょうか?私の場合、願いごとは9文字なので、×3で18文字。西の空から東の空まで、ぐるん流れる流れ星に出会ったら、もしかしたら言い切れるかもしれません。 星に願いを唱えたところで、願いが叶うことはありませんが、たか〜いところに目標を置いて、そこに向かってゆくイメージ、それが"星に願いを"なんだろうなと思います。 |
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美津濃株式会社
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子供の玩具
先日、近所の小学生くらいの男の子がスケーボーで遊んでいました。ん、よく見るとタイヤが2つしかない。一人はそれを上手に操って乗りこなしていました。へ〜最近はこうなっているんだと、ネット検索すると「ブレイブボード」「レイボード」と出た。前からあったみたいだけど、初めて遊んでいるところを見て玩具もいろいろ進化してるんだなぁとちょっとついていけず。別の日、量販店へ行って店内を見て回っていると、フリスビーらしき、でも素材や形が違って・・・これも進化したんだと、またついていけず。子供に買え与えるものとして、玩具のチラシや店舗と見る機会が増えましたが、TVゲームはさておきアナログの玩具も変わったなぁ。自分が小さい頃やっていた物でも形を変えて、またグレードアップして続いているんだと感心してしまった。
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福島原発事故について考える
東日本大震災で大きな被害を受けた福島の原発は未だに先行きが見えない状況が続いている。発信される情報も専門用語が多くて分かりにくい上に、どっちともとれるような曖昧な言い方もあったり、何とも釈然としない。正直言って、西日本に住んでいる者にとってはどこか他人事のように思えてしまうのだが、これは決して対岸の火事ではない。 とにかく今は、事態を収束させることが最優先だけれども、日本人として「果たして原発は必要か」の論議を避けて通るわけにはいかない。日本においての原発問題の特徴は複雑な政治問題が絡んでくることらしい。設置に当たって動かされる莫大なお金と利権。安全か安全でないか、必要か必要でないか、の論議はいつの間にか権力闘争にすり替えられ、基本的な論議は置き去りにされる。福島で立ち退きを余儀なくされている避難民の人たちはついこの前まで同情される被害者だったはずだ。しかし、一部の避難民が傲慢な態度を取ったがために世論はあっというまに彼らに批判の目を向ける。「今まで甘い汁を吸っていたくせに何だ」原発誘致を進めた地元政治家には「推進しておいて今さら何を言うか」といったバッシングが浴びせられる。これをとっても原発問題がいかに難しいかがよく分かる。 先般日経MJを読んでいると、これを機に日本人のライフスタイルを見直すべき、との意見が載せられていた。24時間いつでも買い物ができたり、エアコンをフル稼働させて常時適温で過ごせる環境などをもう一度見直せ、というのだ。確かに一昔前は24時間営業の店などほとんど無かった。それが今ではスーパーでも、深夜営業をしていなかったりすると「このご時世、本気で商売する気があるのか」などと思われてしまう。MJの記事は、当面不便を感じるかも知れないが、日本人はもともと適応能力が高いからすぐに慣れるに違いない、と結ばれている。 日本の電気の30%近くは原子力発電らしい。それが無くなると、単純に3日に1日はまったく電気を使わない生活をしなければならない訳だ。一個人なら何とかなりそうだけれど、社会全体としてはそれはほとんど不可能に近い。簡単に原発不要論を唱えることができないのも仕方の無いところだ。 故忌野清志郎さんが率いたロックバンド、RCサクセションが1998年にリリースしたアルバム「COVERS」。全曲、往年の洋楽ヒット曲に日本語歌詞を付けたナンバーで構成された、文字通りカバーアルバムである。しかし、その中に2曲、原発批判の歌詞があったことが問題となった。当時RCサクセションが在籍していたレコード会社は東芝EMI。その親会社である東芝は原子炉の製作も手がけており、そこからの猛烈な圧力で「COVERS」は発売中止になってしまう。しかしこれに屈しない忌野さんはかつて在籍したキティレコードからの発売を決め、アルバムはRCサクセションとしては初のオリコン1位を獲得した。 問題となった2曲の中の1曲「サマータイムブルース」にこんなセリフがある。 〜何でもかんでも縮めてしまうのは日本人の悪い癖です。原発(ゲンパツ)ではなく、きちんと「原子力発電所」と呼びましょう〜 1945年、広島と長崎において数十万人の命を奪い、66年後の今もその後遺症に多くの人が苦しめられている原子力爆弾。細かな構造の違いはさておき、いずれも同じ原子力によって稼働するものであることは間違いない。かつて日本全土を恐怖に陥れた原子力爆弾。二度と繰り返してはいけない悲劇のはずが、それと同じものが今現在、我々のすぐ身近にある。忌野さんが訴えたかったことはそれだ。 今回の地震による原発事故。壊滅的な被害を受けた農業、漁業関係者にとっては死の宣告にも等しい打撃だろうし、今後の展開次第では最悪の事態も十分考えられる。今回、政府から停止の要請が出された浜岡原発は識者の予想によると東海地震において壊滅事故を起こした場合、24万人以上の人が死亡、しかも数百年に渡って人が住むことができなくなるという。かつての広島・長崎の悲劇をはるかに凌駕する事態になってしまうらしい。 世界的に高名な物理学者ホーキング博士がとある学会でこんな質問に答えた。「この宇宙に地球人以外の知的生命体が存在するか?」博士の答えは「もちろん、存在する。」続けて質問「では彼らが地球へ侵略にやって来る可能性は?」博士「それは無い。」 何故か?その理由は実に示唆に富んでいる。惑星間を行き来できるような高度な技術を作り出せる知的生命体は、惑星間を行き来できるようになる前にその技術力で自らを滅ぼしてしまう、ということらしい。例えば我々人類だって数十年後、数百年後には他の知的生命体が住む星へ行けるようになるかも知れない。しかしその前にまず地球が、というより人類が滅ぶ方が先でしょ、ということだ。それは当然ながら、人類が生み出した技術のせいだ。核かも知れないし、環境破壊による災害かも知れない。人類が他の惑星に行けるようになることと、人類が滅ぶこと、どちらが先か?と聞かれれば、まずほとんどの人が人類が滅ぶ方が先、と答えるに違いない。高度な技術を開発すれば、まずそれが悪事に利用される、その技術を巡ってお互いが傷つけ合う、あるいは技術のもたらす快適さに溺れ、麻薬のように自らが滅ぶ道を選んでしまう。それが知的生命体の宿命と言われれば、ホーキング博士の言い分も何となく理解できる。 原子力専門委員の青山繁晴氏という方が昨日の13日の参院予算委員会で「今回の事故は全てとは言わないが多くのものが人災だ」と発言されたらしい。人を快適にするのも、人を苦しめるものやはり人なのだ。さらに今朝のニュース、事故の復旧作業に携わっていた作業員の方が1名亡くなられたという。被爆が原因かどうかはまだ不明のようだが、とうとう死者が出てしまった。例え過労が原因であったとしても死亡は死亡だ。 知的生命体であるはずの我々人類。知的って何だろうと改めて思わされる。かの哲学者ソクラテスが唱えた「知徳合一」の考え方。知は徳でコントロールされてこそ「真の知」となる。「徳」の無い「知」の暴走はいつだって諸刃の剣だ。 そういえばソクラテスの孫弟子になたるディオゲネスはこんな言葉を残している。 「何もしないことこそが真の平和だ。」 まあ、あまり極端なことを言われてもねえ。ま、知も徳も無い立場の自分としては、とりあえず今夏はせっせと節電に努めるぞっと。 |
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朝のさわやかエッセンス
最近の朝は、この四月から始まった「ZIP!」という情報番組を見て起き抜けのひとときを過ごしているのですが、その中でも別段お気に入りのコーナーがあります。
7:50くらいにある「MOCO'Sキッチン」というコーナーで、俳優の速水もこみちくんが自慢の腕をふるって毎日オリジナルのレシピを披露するという料理コーナーなんですが、これがまた・・・さわやかすぎる!レシピもオサレ! なんでしょうね〜イケメンでタッパもあって料理までできるのにまったく嫌味がないですね〜。こりゃお嫁さんになる人は超しあわせもんですのぅ。ちなみに私はまったく料理男子ではありませんが・・・いつか実践したいです。 動画が公式サイトで公開されているので興味のある方はぜひ。 デザインワークもかわいいですねぇ。 http://www.ntv.co.jp/zip/index.html 朝はやっぱり、わんこよりイケメンとオサレ料理で決まりですね(´q`*) |
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ああ城下町 風情も文化もTMO(街づくり事業)も
典型的なアナログ人間だけに、歴史物はどの年代でも、特に戦国期と江戸期には目がないフリークを自認している。そういうことで城下町には良く足を運ぶ。
この5月連休も1日だけの休暇だったが愛媛県大洲市へ。 愛媛県大洲市と言えば、全国でも数少ない「鵜飼い」の町であり、旧跡の城下を流れる肱川(ひじかわ)とその川岸は、盛況なその時を待つかのように多数の屋形舟が繋がれ、風情豊かに佇んでいる。また何より江戸時代、加藤家:大洲藩としての城下町が色濃く残っていることが嬉しい。特に最近再建(=平成16年:2004年)された木造天守閣が話題だ。 もともと江戸初期はあの有名な藤堂高虎の所領だったが転封され、脇阪安治が5万3千石で入封し大洲藩を立藩。この頃に今回、再建された木造天守=4層4重が建築されたと思われている。本格的な藩として、元和3年:1617年に加藤貞泰が6万石で米子より転封されてからとなる。加藤家は明治まで続く。 現在は文部科学省の裁定で、天守閣や櫓、大手門などの城閣建築物は、往時の写真や図面、木型などが正確に残されていなければ復元は許可されない。香川県では高松城の復元=明治初期の崩れかけた天守閣写真があるのだがなかなか撮影角度の種類が少ない理由で許可されていない。最上階が下の階層より広い南蛮造りと言う全国でも珍しい風情を持つにも拘わらず惜しい限りだ。また同じ香川県の丸亀城も隅櫓の復元は資料不足で今だ申請できていない。資料を求めた懸賞金まで発表されているのだが、隅櫓が復元できれば相当の観光客増につながるのだが。 前置きが長くなったが、その大洲市と大洲城の天守閣。期待を膨らませ一気に元三の丸=四の行政区域内へ。車を降りれば目前に、本丸の天守群が聳えて来訪者を迎える。余分な建造物が少ないので時代的迫力には欠けるが、二の丸の公園(=後に近江聖人として名を残す中江藤樹の像あり)を横目に本丸へ。新しくなった大天守と小天守の連立した様は、本丸の威容を放つに十分だった。さらに不思議なことだが、私の知る限りでは4層4階と言う日本では嫌われる数字での天守閣の階層はこの大洲城だけでは?と思う。仮に4階でも地下の台所や、1階を高くして中二階にして無理やり4階を避けるのが通常だからである。天守閣上棟が脇阪安治ではなく、藤堂高虎なら城作り名人としいて意図すべきことがあったかもしれない。ただ藤堂高虎好の風合いではない。下見張り=黒板張りの風情は藤堂高虎の建築にはほとんどないからだ。米子から転封してきた加藤家ならではか?そうなると脇阪家の建築ではなくなるか?米子(=現存なし、資料のみ)も松江も天守閣は黒板張りだからである。 早速、天守閣内部へ。国内では珍しい木造での復元に期待しての観覧だったが、やや内部は洗練されすぎて惜しいなぁとも。木造建築の匠の技を凝らすべく、多くの技術者=大工、左官、石工などを筆頭にいかに復元の努力があったかが偲ばれた。また復元にあたって多くの篤志家の資金提供でできた事も伝わった。多分40億円位は掛ったのでは?と思われる。 丸亀城には往時、10?11の櫓があったそうで、1櫓=1億円と聞いた記憶がある。11億円で年間に数10万の観光入り数が増えるならば安い投資だ。天下の名城にふさわしい威容になるのだが・・・以前の社内ブログでも言ったが、パチンコに18兆円も毎年浪費する日本で、こんなことは頼むに空しいが・・・それでも価値感の差に留意してほしい。熊本城は次々と櫓を復元することで、環境客数がどんどん伸びている。それができているのは全国から1万円の小口ででも城主を募集して、城主が増えると言う資金面での成果を挙げているからだ。でも市井の浄財はたかだか数十億円だ。いかに18兆円が空恐ろしい額かがわかるだろう。 また前置きが・・・で、そそくさと内部へ。それぞれの階にはお城づくりのジオラマ模型や図面など展示が。木型模型はなかなか興味深いものだった。同行の親父が、お城の管理者に「こんなに情報提供していたら、自分でお城を立てる人が増えまっせ?!」などと言う突然の話しかけに、管理者は苦笑い。でもその位の気概があれば日本は観光大国にすぐなれるけどね。内部は写真をご覧ください。 すぐそばには城の防護に大いに役立つ、暴れ川:肱川が滔々と流れを寄せている。川の反対側から見た天守閣群はさぞかし見応えがあるのは明白だ。 さて次は、煉瓦館や道の駅、おはなはん通り[=昔のNHKドラマ“おはなはん”のロケ地]と城下町や明治期の洋風化した街の色合いが濃く残る観光スポットへ。他の歴史的施設や古跡は割愛したが、とにかく四国内では最も成功したと言われる、TMO事業の一環=道の駅から町並み整備事業や再生事業は、整備前とは雲泥の差でにぎわいをもたらせている。地元の観音寺でTMO事業に5年近く関与して徒労に終わり、結果、商店主だけがおいしい事業など誰も喜ばないこと、良く良く理解しているつもりだけに大洲市の事例はうらやましい限りだ。地場産品をはじめ創作物まで実に幅広く販売されている。無論、デザイナーの私から見たら改良余地はいくらでもあるが、でもにぎわいは本物だ。その内、慢性化したらまた見直せばよい。 日々各地での仕事で埋没する人生だが、無事、引退できれば絵描きとなって城下町をテーマに絵を描こうと思っている。是非また情緒たっぷりの頃を見計らって再訪したい町だと思う。それでついつい天守閣や櫓や石垣の残る城下町を連休時には訪ねてしまう。 城下町に成功事例が多いのは、求心力とか文化というものが残るからだと痛感しつつも、丸亀にも高松にも色合いはないなぁと残念至極だ。ただ丸亀城は城域が大変広く残るだけに、なんとしても復元が叶うこと願ってやまない。実現できれば全国有数の城が誕生するからである。いつの間にか大洲市から丸亀市へと・・・えらく肩を持つのは、小学校の時の丸亀城絵画コンクール=西讃の全小学校や中学校から出品で、常磐小学校からは私一人が受賞した?からかなぁと懐かしく思い起こした。合掌 |