• 2020.02.08 Saturday
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「龍馬伝」最終回に思う
 このブログでも今まで何度か話題にしてきたNHK大河ドラマ「龍馬伝」が先週、最終回を迎えた。ついこの前スタートしたばかり、の印象が強いけれどもう1年近く経つわけで、相変わらず時の流れは早過ぎる。NHKが新しい大河ドラマを、との意気込みで取り組んだという「龍馬伝」、ネットで感想をいろいろと見てみると評価がハッキリと分かれている。5段階評価で満点の5を付けている人も多いけれど、最低点の1を付けている人も同じくらい多い。まあ、新しいものに挑戦すれば賛否分かれるのも仕方無いし、アンチの人も結局は番組を観る訳だから「嫌われるのも人気がある証拠」と割り切ればNHKとすれば「してやったり」というところか。

よくよく見てみると、アンチ派の意見はほぼ2つに集約されているように思える。ひとつは史実をあまりにも無視した脚本への苦言、もうひとつは主演の福山雅治の演技に対する批判である。前者は、確かに?マークが付く展開もいろいろとあったけれど、あくまでもドラマなのだからあまり細かなことを言っても仕方ないとは思う。それと福山雅治の演技についてだが、あそこまで芸達者な俳優さんたちに囲まれればこれはどうにもならない。福山は俳優としてのキャリアもそれなりにあるが、やはり本業はミュージシャンなのだし、それは最初から分かっていたことじゃん、とも思う。


本格的にロケが始まる前のこと、岩崎弥太郎を演じた香川照之は、武市半平太役の大森南朋とともに、福山のライブに出かけたらしい。そこで1万人以上のオーディエンスを自在に熱狂させる福山の姿を見て「こんなスーパースターと共演するのか」と驚嘆したという。ミュージシャンの、特にライブでの表現スタイルは感情とエネルギーの「放出」である。時にはエゴイスティックなまでに自分を押し出し、ステージを支配しなければ、とてもじゃないが万単位の人の心を打つことはできない。そこにあるのは非日常の空間だ。

しかし、俳優の表現スタイルはあくまで役柄になり切ることがメインで、ときには自分を殺さなければならない。感情を内面に秘め、そこから滲み出るエネルギーをドラマという日常の枠内で表現しなければならない。元々表現スタイルのベクトルが違うのだ。とあるプロデューサーが大森南朋のことを「自分の主張を消し去った演技ができる」と高く評価したという。大森南朋について、僕はほとんど知識が無かったのだが、武市半平太のイメージじゃないな〜、と思っていた。しかし、回を追うにつれて見事に武市になっていった。それは「演じた」というより「なった」という方が似つかわしいくらいの自然で見事な演技だった。厳格であるがゆえに、理想主義者であるがゆえに悲劇を迎えてしまう武市の無念な人生を、終始感情を抑えた演技の中に見事に表現したと思う。まさに「自分の主張を消し去った演技」というものの凄みがそこあった。


以前にもブログで取り上げたことのある俳優、故松田優作。彼がアクションスターから演技派へと転向してゆくきっかけになった作品が1981年公開の「陽炎座」。そこで優作は独自の映像美学を持つ鈴木清順監督と出会う。鈴木清順58歳、優作32歳、その初対面の挨拶のときのこと。鈴木はいきなり優作の周囲の地面に直径1mの円を描いた。

戸惑う優作に鈴木は「松田くん、今から走る演技をしなさい。しかし、円の中から一歩も外へ出てはいけません」

直径1mの円の中から出るな、ということは一歩も動くな、ということである。その中で走れ、というのだ。鈴木はそのときのことを後年こう語っている。「松田くんはそれまでアクションで自分を表現してきた。だから彼からアクションを取り去ろうと思ったんです」

アクション、それは「放出」であり「主張」である。それを消し去ることで演技する。実際に手足を動かすのでは無く「走る」という表現をどう演技するか。優作は鈴木との出会いによって「演ずる」ということの奥深さを知らされるのである。

その後1986年、「ア・ホーマンス」という作品で優作は自身初めてとなる監督業に挑戦する。優作は共演にロックバンドARBのボーカリストだった石橋凌を起用した。石橋が演じたのは純粋で正義感が強いがために組織に裏切られてしまうヤクザの幹部、山崎道夫の役。山崎が組織に復讐するクライマックスシーンの前、自宅で一緒に暮らす恋人とともに朝食をとるシーンがある。その日、山崎は単身で組織への復讐を決めている。自分も刺し違えて死ぬつもりだ。愛する恋人との食事もこれが最後になるのだ。もちろん恋人はそのことを知らない。

石橋は優作に、このシーン、思い切り叫びたい、と提案した。自分の不器用な生き方の為に不幸を背負わせてしまう恋人に思い切り自分の胸の内を叫びたい。しかし優作は「その叫びを表現すればいい。しかしこのシーン、ひと言もセリフはない。黙ったままでその叫びを表現しろ」

声にして叫ばなくても、過剰なアクションをしなくても、表情、目線の動き、スプーンと皿の音、日常のすべてを使って「叫び」を表現する。石橋がミュージシャンとして培ってきた「放出」を優作は消そうとした。石橋は葛藤しながらも山崎道夫を演じきり、その年のキネマ旬報新人男優賞を受賞する。

優作はかつて鈴木清順に教え込まれた演技の凄みを今度は石橋に叩き込んだのだ。自分を消し去り、「放出」するべきエネルギーを内面に閉じ込める、それは同じ表現であっても、ミュージシャンのそれとは決定的に違うのである。


福山雅治はこの1年、ホントによく働いていた。ベテラン俳優でも相当のプレッシャーがかかる大河ドラマの主役をやりつつ、その間も週2本のラジオのレギュラーは休むこと無く、しかもベスト盤のリリース準備や新曲制作などの音楽活動も継続。福山は年末のカウントダウンライブ、さらに年明けから数十万人規模を動員するアリーナツアーを敢行するようだが、それくらいの大規模ツアーになれば準備にも相当の時間がかかる。スタッフとの調整、ライブの構成の打ち合わせなど、その多くは龍馬伝ロケと同時進行だったのでは無いだろうか。

そんな状態で「やたらと力が入り過ぎで空回り、見ていてしらける」「誰を演じていても福山雅治にしか見えない」などという批判は少々気の毒な気もする。NHKだって福山人気を当て込んでの起用だったのだろうし。しかし、福山雅治のキャラクター、知名度、人気だけが重視されての起用であれば、それは本来の俳優としての価値評価とはズレてしまうと言わざるを得ない。映画やドラマに多くのジャニーズタレントが起用されるのは彼らの演技力もさることながら、人気、知名度が評価されてのものだろう。もちろん、それも含めて本人の力だし別に悪いことでは無いけれど。

何だかんだ言っても福山は大河ドラマの主役によって知名度は国民的になった。先般発売されたベスト盤CDもよく売れているようだし、噂される紅白歌合戦への出場、さらに年明けからのアリーナツアーを成功させればその人気は盤石のものになりそうだ。その人気を見込んで俳優としてのオファーもさらに増えるだろう。今後福山がどこに軸足を置いて活動していくのか。個人的には音楽に主眼を置いて欲しいと思う。俳優をするとしても、福山雅治のキャラクターで出来る範囲内で止めておくべき。それは福山の演技力がどうこうでは無い。演ずる、ということはもっとシビアで凄みのある、決してミュージシャンとしての成功と両立できるようなものであっては欲しくないと思うからだ。もちろん、福山が本格的に役者をやりたいのならそれでもいい。しかしそのときはミュージシャンとしての露出は一切封印してもらいたいと思うのは僕だけだろうか。


「龍馬伝」のキャスト、前述も大森南朋も良かったし、予想を覆す名演を見せてくれた岡田以蔵役の佐藤健も良かったが、高杉晋作を演じた伊勢谷友介は実にカッコ良かった。出番が少なかったのは仕方ないけれど、高杉の持つ飄々とした中に見え隠れするエキセントリックさを上手く表現していたように思う。幕末を長州藩の視点から描いた大河ドラマといえば1977年の「花神」があるが、伊勢谷高杉を主人公にしてもう一度リメイクしてくれないかな〜。

橋下府知事にみる改革行政
 橋下大阪府知事の人心掌握術・短期改革術と申しましょうか、

府知事が民間に見習えと繰り返し発する言葉とは裏腹に、

当時よくその短期間で改革の道筋を示せたものだと、逆に

大阪の企業のトップが府知事に注目していました。

トップが給与カット案を言うと必ず士気は下がるものという

常識を頭において、職員からの発案として改革したことは

記憶に新しくうまいやり方だと感心したものです。

目標とする数値と職員の不満の引き出し方により、

士気を下げずに自分視点での前向きさを出させることに成功。

そう職員からの現状把握と方向性の模索、結論へのストーリー

づくりというプロセスの凄さだと思います。

地域住民サービスの合理化、無駄の仕分けによる見直し、

そして給与削減という3本柱がないと改革できないことを自ら

の頭で考えさせたということです。


暫定予算の仕分けについては、まず各部署で意見をすべて

上げてほしい、その上で明らかに無駄と思えるものは最初

から府民の声(選ばれた知事として)として排除することで

職員の労力と賛否のしがらみを軽減させたといいます。

選択肢が少なくなればスピードも労力も少なくなるからですね。

このやり方は石原都知事が実行しましたが、東京と大阪では

財政事情が違います。赤字財政でこれをやった意味は尚更

効果を発揮したと思います。


また、常に客観的に物事をみるということにも注意している

そうだ。例えば多くの人は、○○委員会などで200人に反対

されたらそうかもしれないと多数派に同調するものですが、

一歩外へ出て考えるといいます。そこに集まった人は初めから

反対するために集まっているのです。

橋下府知事はそれ以外の府民はどうなのかと考えることこそ

大事なことだと言っています。

一番の敵は揺れる自分の心だと言うのです。

揺らぐことのない冷静な意見の上で吟味する、

なるほどそうかも知れない。


大阪府のホームページを見ると知事の予定が載っているの

ですが各部署との打合せが多いことに驚きます。

分刻みの日程で毎日のようにあります。

ただ詳しく載せているだけかもしれませんが他の知事の

予定はこれほど忙しくは動いていないようにも感じます。


当初はマスコミに批判を受けることで世間での注目を浴び、

府のサイトでは個人収入(給与やテレビ出演料までも)など

細かく自らをさらけ出すことで正当性や透明性を

強めています。他の知事ではあまり見かけないことです。


2009年度から赤字予算を脱却していますが、今現在どの

くらい改革が進んでいるのか気になります。

短期間で結果を出したことはまぎれもない事実、

知事就任前には大阪府の独自財源がゼロと聞き、就任前に

早くもプロジェクトを2つ立ち上げていたといいます。

当時あまりブレーンを持っていない状態や行政経験の

初心者なれど、そのバイタリティには凄い資質を感じず

にはいられませんでした。


香川の浜田知事の活躍にも期待いたします。


「ヴィンタートゥール」展
 今日は秋晴れというのが本当にふさわしい晴天のよき日だった。クリーニング屋さんに言わすと今日がこの秋最後の温かい日なんだとか。で、アイデアもつまり、時間もあまりないので、阪神電車で2駅東の岩屋駅南、脇浜HAT神戸にある兵庫県立美術館で開催中の「ヴィンタートゥール」展=スイスのヴィンタートゥール美術館の所蔵展だ。
 東京で自由だった20歳代は年間に100展以上の展覧会をはしごしていたのが、ここ最近は久しぶりで3ヶ月前の東京都写真美術館以来かと情けない思いだ。

あまりに日々時間が工面できず、本来は六甲山アートミーツに行く予定だったが、時間の関係でいわゆるメジャーな時代の著名なファインアート作家の展覧会となった。なので気軽と言えば気軽、少しミーハーやなぁとも思いながらであった。朝10時の開館もすでに多くの人が、さらに午前中を過ぎたら人ひとと・・・、さすが神戸あたりは芸術鑑賞の人が多いので成熟した都心ならではと感心した。美術館もアプローチのストリートが紅葉の並木となって彩られ、さらに近代的な建築デザインと浜辺と六甲の緑などがマッチングし素敵である。・・・・

兵庫県立美術館 街路樹1

兵庫県立美術館 街路樹2

兵庫県立美術館 外観

さてお目当ての「ヴィンタートゥール」展であるが、展示構成が第1章から第8章に分かれて、フランス、スイス、ドイツの19世紀〜20世紀における印象派の前兆期から、後期印象派、ナビ派、フォービズム、キュビズム、ピュアビズムなど多くの人が教科書や国内の巡回展でも多く目にした、絵画史上最も人気のゾーンだ。
イメージポスターはゴッホの“郵便配達人”と、シスレーの“朝日を浴びるモレ教会”だ。あとサイン向けとしてルソーの「赤ん坊のお祝い」が笑いを誘う。選択作品としては意外だった。悪いとかという意味ではなく、洒脱な感じでもある。・・・

サイン

美術館内2

色合いと言い、雰囲気と言い、ポスターとしての選択はこういう具合だろうなぁ。でもシスレーはあまり知られていないかも。でもこの絵は朝日を受けた微妙なトーンに輝く教会の壁の色は絶妙で、印象派の面目躍如だ。ゴッホの作品はこの作品のみで、むしろまだ認知が薄い同時代の他の作家が紹介されているので、それはそれでミーハーばかりな傾向でなくてよかったのでは?と思う展示構成だった。またスイスの素朴派から新写実主義的な洗練された作家の紹介は意外性があった。ニーストレの「湿原のアカアシシギ」などはまるで日本画のイメージで、東西を問わず影響しあうのが印象派的、新写実派的だなぁと。

どの作品も大変化を迎えようとするヨーロッパ絵画界において互いに影響し、牽制し独自性を確立しようと試みた、絞り出すようなエネルギー伝わる。綺羅星のように現れて消えてゆく激変の時代を、何とか自流を残さんがために苦闘した時代を思うのだった。

スイスの有名美術館だったが私は勉強不足で初めて知った。たった人口10万人の都市でこれだけ充実した作品を所蔵していることは驚きである。かつての資産家がこぞってパトロンとなってこの古い街ながら大手保険会社の本部として、繊維産業で栄えて歴史を持ちながらも、今やどちらかと言えば過去の街としての存在感でしかないような?しかし中世のハプスブルグ家の威光を受けた文化都市だったことが、この美術館を存在たらしめた背景なのだそうだ。とにかく今回の所蔵品による巡回展は、改めて地方都市といえどもコレクションのこだわりで世界に冠たる固有の存在感を示すという、ヨーロッパらしい光りかたのようだ。確かに印象派からピュリズムまでの20世紀絵画史の燦然と輝く=きら星のごとく現れて画業を確立したファインアートのスター作品を、小品といえどことごとく収蔵している点にあろうか。明確に抑えるべき美術史の表現ゾーンを確保したコレクションポリシーか?と勉強不足の手合いなりに感じた次第である。
 なお美術館では最近のサービスかどうか知らないが、会場から限定だが展示作品リストの絵をメール配信できるサービスをしている。今ここにいるよ!!こんな作品があるよ!!という風に送れるわけだ。メールくらいは何とかなる私も試しに送ってみた。たわいもないが、身近に美術展や美術館を感じてもらうのには良い方法かなぁと。入口のサインなどとかぶるが悪しからず。・・・
最後にミニシアターで、「天才ピカソの芸術」とかと題しての1枚のエスキースから最終作品のできるプロセスを上半身裸のピカソと、彼に許されたカメラマンが“天才”をどう見せるか、記録にとどめるか・・そういう内容で80分もの長い記録映画だったが。改めてピカソの凄さが伝わり、おもしろかった。ピカソとはこういう発想をするのだなぁとか、最終作品までこんなプロセスがあったのだなぁとか、まだビデオのない時代にコマ撮影とはいえ大変貴重な試みであった。本当にピカソは面白く、凄い!!

同時に常設展では、小磯良平、金山平三の作品展、またフォトパフォーマンスのモダ二スト:森村泰昌「その他のチカラ」展も同時開催していた。小磯良平は六甲アイランドの美術館でじっくり拝見していたが、金山平三はまとまってみるのは初めてだった。神戸が誇る“風景画の名手”として、無論、洋画界の大家でもあったが、まさしく一目でわかる力量だった。
一方、森村は長い時間見てきた写実世界のピュアな感覚を一気にリアリズムな世界へと引き戻すような世界観だった。好きか嫌いかでいえば、むしろどちらでもよいような世界なのだが、そこそこ地が美しい彼は、うらやましいなぁとも。被写体としての彼の良さが生きているシーン:作品がたくさんあふれているからだ。でもアカデミズムは私には息抜きにしかならないので申し訳ない。
最後に芸術の秋とはいえ、世界で一番展覧会へ行く人口比率は、昨年は日本が世界で一番だったらしい。そういえば美術館も多いし、野外のアート展も盛んだ。でも本当に文化国家なのか?私程度でも今は年に2〜3回しか展覧会にいけないのだぜ。

言いにくいことだが、私が香川県デザイン協会の役員をしていたときに、県文化局の職員がパチンコで毎年20兆円(=今は17兆円くらいか?)、公営ギャンブルで10兆円(=今は5兆円)をせめて半分か3分の1まで減らして、文化活動を支援してくれたら=国民一人一人が・・・世界最高の文化国家・日本を作れるのになぁと愚痴っていた。その愚痴に同感して既に17〜8年になろうか・・・領土問題の中国は本当にけしからんが、それ以上に自国を世界に冠足らんと示すことも忘れる国民や国の中枢にいる政治家、潜水艦が何隻も作れるほどの無駄をむさぼる官僚がいる限り、文化国家など到底無理だろう。中国がどうあがいても尊敬度では勝ち目のない国:文化大国「日本」として世界を圧倒できるはず。これが強権国家に核武装以外であらがうことのできる手段の一つではと思う。
※郷土愛のシンボル、プロサッカー・バスケットクラブなども宝くじ頼みでなくても可能だと。スポーツが盛んになれば少子化など吹き飛びますって!!文化庁の予算だってせいぜい2〜300億円程度では?TOTOだって2000億円にも達していないのでは?今、若年層の雇用が危ういのは国民一人一人の金の使い方、国のトップクラスの馬鹿さ加減にも起因しているのがこういう現状でわかるだろう。

文化が世界一と言う国家像は誰にもどの国にも足を引っ張られない。尊敬はされても傷つけられることはない。毎年10数兆円があれば、文化などあふれきるほど豊かにできる。最高峰の映画、少々赤字を出しても継承できる伝統の技・匠、世界の芸術家があこがれる聖地、ヨーロッパに比肩できる我が街の交響楽団やオペラ団、漫画やアニメだけが専売特許ではない(=アニメーターの非道い待遇などすぐ改善できる)・・・数兆円もあれば可能。そこには世界から人が集まり、若者が育ち(=少子化が防げ)、高齢者が心豊かに(=少なくとも年金でパチンコ通いはない)暮らすことも可能ではない。当然、伝統建築の保全や先端建築のプロジェクト、そこに付随するアート・クラフトの数々など良い事づくめではと単純に思う人間である。最後に変な話になったなぁ・・・久しぶりの展覧会でテンションが上がった???それほど弱でなし。まぁよい天気でよいアートでした。合掌
「めだかの学校」は何処に?

今や野生メダカの生息が危機的な状況に!

9月に観音寺に帰ったとき、ふと田んぼの用水路を覗く

とメダカの群れを発見!

まだこの辺にも生息していたのだと暫く眺めていました。

観音寺でも昔は池や用水路を覗くと何処にでもいたもの

ですが、最近では見つけるのが困難になってきました。


メダカは人工飼育と田んぼのメダカとでは遺伝子組成が

異なるようで、観賞用メダカは、飼って楽しむために

繁殖された個体なので、やはり野生メダカに比べて弱く、

飼育環境を徐々に悪化させると、観賞用のメダカ、野生

メダカの順で死ぬそうです。

両者は一見、同じように見えるため、野生メダカの

保護の重要性がなかなか理解されない様です。


最近は観賞用メダカとして突然変異で生まれたメダカを

固定化し、さらにそれを掛け合わせることにより様々な

メダカが売られる様になりました。

金魚の様なメダカ、光るメダカ、達磨メダカなどなど

結構高値で取り引きされているようで、珍種が生まれる

と一攫千金も夢ではないかも!(¥o¥)v

また遺伝子操作により生みだされた『蛍光メダカ』等も

いたそうで、そこまでするのかと驚きです。

※今は法律により禁止された様です。


余談ですがこれはレッドシュリンプといって

掛け合わせによって様々な珍種が生まれ

世間に出始めたころは珍種で一匹100万円以上で

ネットオークション等で取り引きされていました。

まさにエビで鯛(大金)を釣る!

あれこれ思う寒い夜

少し前になりますが、↑の本を読みました。
著者は、デザイン従事者なら知っていて当然とも言える著名なデザイナーの水谷孝次氏ですが、恥ずかしながら私は一切の知識を持っていませんでした。
80年代に広告デザイン業界で名だたる活躍をし、現在は「MERRY PROJECT」という“笑顔で人を幸せにする”コンセプトでなおも第一線で活動をしている水谷氏。著書ではその幼少期から現在に至るまでの様々な苦労、努力、成功、転機等がつづられています。
タイトルからすると、いかにもデザイナーが読むべき本のように思えますが、実際には全職種、いやいや全人類に向けられた本だなぁと感じました。広告デザインにおいて、ある種登りつめてしまったがために生じた虚無感から、「MERRY PROJECT」誕生への変遷。企業のためではない、ものを売るためではない、世界中のひとり一人の幸せのためのデザイン。それこそが今の世に最も必要なデザインのカタチ・・・。
正直、小生のようなデザイナーと名乗るのもはばかられる未熟者からすれば、その域の考えに達するにはあと何回輪廻転生を繰り返せばよいのか計りかねます。が、水谷氏のように努力に努力を重ねて(読んだ限りではかなり泥臭いです)得た成功の、その先に見出したひとつの確信なだけに、突き動かされるものがあります。

メシのためにデザインしてるんじゃなくて、デザインするためにメシ食ってます。
と大見栄きって言えるほどに精進しないと、その先の何かは見えそうにないですね。
がんばるべし!
最近行きたい場所
 先日テレビを見ていた際に
片山正通氏の特集番組がありました。

何となく見ていたのですが、気になる映像が!



チョコレートの天井。。。

可愛い!!可愛すぎる!!

東京にある「100% Chocolate Cafe」というお店の天井。
チョコレートのお店だからチョコレートの天井。

アイデアがとっても面白いです。

またパッケージも

っといった感じでオシャレ。

香川には、なかなか無いであろうオシャレなお店。

是非行ってみたいですねぇ〜。



ブッダ マシーン(BUDDHA MACHINE)

通販が好きで、いろいろネットで見ていたら
久しぶりに一目惚れをしました。
その名も「ブッダ マシーン」
※名前だけで宗教を彷彿させる感じがしますが、
もともとアジアの僧が念仏をループ再生する念仏再生機が発端らしい・・・。

見た目はコンパクトラジオみたいですが、ループ音楽再生機です。
ピッチコントロール、9つのループ音楽が選択できてユーザーを飽きさせません。
飽きるどころか、ずっとループしているのでその音楽すら忘れてしまってます。
嫌みのない音楽なので読書をしながら、ヨガをしてみたり、
外でバーベキューのお供にと、幅広いところで活躍してくれます。
最近では、I PHONEのアプリケーションでも購入可能です!
こういうおもちゃみたいな物を昔は買ってくれなかったので、
今になって購買意欲が湧いてくるんだろう。(大人買いできますしね!)



窓が無い部屋に、窓を作り出す照明器具
普通のブラインドが陽射しを遮り明るさを調節するのと同じように、羽の開閉で光量が変 わる照明器具です。
羽一枚一枚の裏側に無機ELという面発光する光源が取り付けてあり、傾斜によって反射して室内に入る光の量が変わります。

何もない壁に掛けても、無機E L特有の青みがかった光が朝の陽射しのように見え、まるで窓があるかのように感じられます。

現物を見たわけではないですが、写真で見ると本当にそこに窓があるかのよう。
大阪事務所には、窓がないそうなので役立ちそう。

無印の空気洗浄機が壁にくくり付けの換気扇のデザインをしていることに、
考え方としては近いかも。

http://www.youtube.com/watch?v=e7oTyLPiGVs

↓わかりにくいですが、羽を閉じている状態です。




来年の目標

油絵の具の箱を改造したiPod用のスピーカー。
陶芸家の先生に作っていただきました。

と或る学校の中庭で見つけてからまる一年。
当初のものは「持ち運びに弱く壊れやすい」とのことで譲っていただけず、一年かけてやっと納得のいくものが出来上がったそうで、合格品の一号機はとりあえず私のものです。ありがとうございました。
ハンモックで昼寝をする横に置くのにぴったりな雰囲気。とってもうれしいです。


何よりうらやましいのはこういうものを作れる余裕。
「ハンモックで昼寝をする」を日課とする生活はもう少し先になりそうですが、この余裕を手に入れる、これを来年の目標にしようと思います。


光の画家「トーマス・キンケード」に出会った夜

何となくネットでアート分野のネタでもとウダウダしてると

一枚の絵が目に止まりました。

その絵は、まるでおとぎ話に出てくるような世界観を持って

いて、独特の色彩センスと空気感を感じずにはいられません。


恥ずかしながらデザインの世界にいて「トーマス・キンケード」

を知りませんでした。

心癒される優しさと見るものを圧倒する存在感をあわせ持つ

私好みのど真ん中です。


「トーマス・キンケード」の絵はジグソーパズルやカレンダー、

複製イラストとして世界で販売されているので、本物の現物で

なければ手に入れるのは簡単そうです。

すべての作品に妻のイニシャルのNが隠されているそうなので、

探してみるのも楽しいかもしれません。






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