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歌舞伎
どうしても観たかった、今年のこんぴら歌舞伎。 行ってきました。 お目当ては市川亀治郎さん。 最近TVで見かけるのはクイズ番組とか、CMとか、 以前は大河「風林火山」にもでていましたが、 私がこの方の舞台を観てみたいと思ったのは、 「情熱大陸」という番組で、やる時はやる、 その他はとにかく時間のムダになるような事はしない、 TV収録後や舞台稽古後、楽屋に戻るのも早歩きで 時間短縮を徹底しているところ。 あと番組中「これからの目標は?」との質問に 「目標は無い、ただたんたんと」という回答。 目標を持つとそれでよしと安住してしまうからだそう。 ストイックな人。 「ここまで言える市川亀治郎ってどんなお芝居をするんだろう。」 これがきっかけでした。 行って来たのは、第2部「通し狂言 敵討天下茶屋聚 (かたきうちてんがちゃやむら)」 ↓内容はこちら http://www.town.kotohira.kagawa.jp/kabuki/26kabuki/midokoro.html 以前観た演目はあらすじを頭に入れていても、 しゃべっている言葉は全く分からなく、 みんなの笑っているツボも「???」でした。 今回のはこんな例えが良いとは言えませんが、 2階から飛び降りたり、回り舞台でシーンが変わったりと ドリフっぽい、アクションありのユーモアたっぷりな舞台でした。 ひとつひとつの表情や動きがとにかく繊細。 言葉よりもバシバシ伝わるものがあり、 軽くあらすじを知っている程度で楽しめてしまうところが、 亀治郎さんの魅力かなと感じました。 またこれをきっかけに、 他の舞台も観たいと思います。 |
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妖怪シリーズ
最近ようやく京極夏彦さんの妖怪シリーズ「塗仏の宴」を読了しました。1・2作目が映画化されているメジャーなシリーズなので、知っている方も多いと思いますが、ジャンルは推理物の小説です。終戦から5年ほど経った昭和の東京が舞台である点と、事件を妖怪になぞらえて解決するという点が特長でしょうか。文庫本が俗にサイコロ本(分厚く立方体に近い)と呼ばれるほど分厚いこのシリーズは、普段本を読む習慣がない自分にはなかなか高い壁として存在します。読み難いことはないですが、いつも少し読み進めて半年ぐらいほったらかしにするという状態が続くので、読んだ内容をほとんど覚えてないということがざらにあり、特にこの「塗仏」の回は秘密組織的な団体が7つも出てくるので、あれこいつ誰?みたいなことがよくありました。それでも後半の謎とき部分にかかっていくと、なかなかのめり込むものがあり最後の方はスムーズに読めました。
本作の探偵役にあたる京極堂の台詞に「この世には、不思議なことなどない」という言葉があります。この言葉は作中で分からない問題に対したとき、それを「不思議なこと」で括らずに、観察し考えることをあきらめないという、一種の決意のように使われています。 現実においては分からないことに、分かるまで取り組むということは少ないと思いますが、分からないこと10回に1回程度は、知恵を絞って考える癖を付けたいとなんとなく思いました。 |
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モレリア
ミズノが世界に誇る、永遠の定番 『 モレリア 』
最近のサッカーシューズの進歩は目覚ましく、本当に様々な機能、デザインで履くという感覚から、意匠性が格段に上がっていると思う。そんな中でも、昔から変わらない普遍的スパイクがこのモレリアです。勿論、少しずつマイナーチェンジをしているものの、本当に変わらない。一見、あまり格好良くない?と感じる所もあるかも知れませんが、一度履いら、もう他のスパイクは本当に履けない、、、、、。素足感覚を最大限に求めたクオリティーは世界からも評価は高く、何よりもボールタッチの質を一番追求しているブラジル人がこぞって、このスパイクを欲しがることでも証明されている。 他にも沢山の素晴らしい企画、商品完成までの様々なドラマがあるのでしょうが、フラッグシップモデルが今もなお、頂点に君臨し続けるには、それなりの理由がありその制作までの道のりが、やはり素晴らしい。開発担当責任者であった安井氏の世界で一番を目指した情熱以外の何ものでもないだろう。変な言い訳はせず、やはり一番を目指せないプロセスには何も積み上げるものがないと、今更ながら新たな挑戦の時だなって感じています。 |
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魂、鳴り止まず〜吉田松陰と松田優作
ことを成し遂げるために命を落とさなければならないのであれば、迷うことなく命を落とせばよい。生き延びることによって成し遂げられるのであれば、何が何でも生き延びよ。自らの信念を貫き通すことがまず優先であり、生死はその結果でしかない。このシンプルな生き方で幕末を駆け抜けた吉田松陰とその弟子たちの話しを前回のブログにて語らせてもらった。その生き方を考えるにつれて同じ山口県(かつての長州藩)出身の一人の俳優を思い出さずにはいられない。
松田優作。1949年、山口県下関市生まれ。デビュー当初は180cmを超える長身と長い手足、抜群の運動神経を活かしたアクションスターとして一世を風靡する。やがて演技の幅を広げ、その独特の存在感と相まってカリスマ的な人気を誇る俳優へと成長していくものの、1989年、膀胱ガンのため40歳の若さでこの世を去る。今は残された二人の息子さんが俳優として活躍しているが、優作が残した数々の伝説は今もなお人々の心に息づいている。例えば優作の名前を一躍全国区にした人気刑事ドラマ「太陽にほえろ!」。優作はジーパン刑事とあだ名される青年刑事を演じたのだが、その殉職シーン、銃で撃たれた傷跡から流れる血を手に取り「なんじゃあ、こりゃあ!」と絶叫する姿、は今でも懐かしのドラマ特集などがあれば必ず流される名場面である。また、そのアウトロー的なワイルドさと繊細なナイーブさが同居した独特のスタイルは多くの若手俳優たちに大きな影響を与えた。 優作の遺作となったのは1989年のハリウッド映画「ブラック・レイン」である。監督は「エイリアン」「ブレードランナー」で世界的評価を得たリドリー・スコット。撮影監督は前年「ダイ・ハード」を手がけ、後に「スピード」シリーズの監督を務めることになるヤン・デ・ボン。主演はアカデミー俳優のマイケル・ダグラス。押しも押されもしないハリウッドのメジャー作品である。優作が演じたのはマイケル・ダクラスの敵役となる日本人ヤクザ、佐藤浩史役。ヤクザ社会の仁義を踏みにじり、異端児としてのし上がろうとするヤクザである。しかしよくあるステレオタイプのヤクザではなく、無国籍でクールな佇まい、セリフは極端に少なく、その姿のみで不気味な恐怖を表現する、極めて難しい役どころだ。 優作以外にも多くの日本人俳優が参加したといわれる佐藤役のオーディション。その中には大物、ベテラン俳優も多くいたという。ハリウッド映画に出演のチャンスなのだから当然だ。その中でも優作は強烈な凄みとマイケル・ダクラスを相手にしてもまったく引けをとらない圧倒的な存在感で、リドリー・スコットに「彼しかいない、今すぐにでも撮影に入れる。」とまで言わしめる。こうして優作は世界へ飛躍するチャンスをその手につかむことに成功する。しかし、撮影に入る直前の優作に知らされたのは非情なるガンの通告だった。 優作はガンであることを隠し通し、撮影を最後まで続ける。そして日本での映画公開のほぼ1ヵ月後の1989年11月6日、帰らぬ人となった。 当時、様々な関係者の間でこんな議論がなされた。「ブラック・レイン」の撮影中、優作はガンが治ると思っていたのか、それとも治らず死を迎えると思っていたのか、の議論である。それぞれの主張には言い分がある。前者は、ハリウッドにおいての次回作について意欲的にミーティングを重ねていたことが証拠だという。そこには死を覚悟したような素振りは微塵も無かったという。後者を主張する人は、死後の世界のこと、自らの死生観について語る機会が増えたと証言する。死を覚悟していたからこそ、いろいろと思いを巡らせていたのでは無いか、というのである。なるほど双方の言い分は理解できるが、もちろん真実は優作自身にしか分らない。 それを考えるに相応しい、こんなエピソードがある。1980年、優作は「野獣死すべし」という映画の主演に決まる。原作はハードボイルド作家の大御所、大藪春彦氏の小説。戦場カメラマンとして幾多の修羅場をくぐった主人公、伊達邦彦が鍛え上げた肉体とタフな精神を武器にハードなアクションを展開する。前年、同じく大藪春彦原作の「蘇る金狼」に主演、ヒットさせた優作にとっては引き続きヒットを狙えるチャンスであり、優作の持ち味であるワイルドでダイナミックなアクションがスクリーンいっぱいに繰り広げられる作品になるはずだった。 しかし、優作は周囲から寄せられるアクション映画への期待に疑問を持つ。「野獣死すべし」はかつて仲代達矢氏主演、藤岡弘氏主演により映画化されている。いずれも原作に忠実なアクション作品である。すでにイメージが固まったものを撮りたくない、自分にしか表現できない伊達邦彦を演じたい。優作は自らの切り口で伊達邦彦を描こうと決意する。もし戦場で日々、殺戮の現場に接してきたら、そこから生まれるのは強靭な精神力では無く、むしろ精神は狂い、壊れてしまうのでは無いだろうか。真に恐れるべきはタフな肉体から繰り出されるアクションでは無く、壊れた精神から生まれる狂気のはずだ。優作は表現の切り口をそこに定め、役作りに取り組む。徹底的な減量を施し、体重と筋肉を削ぎ落とす。こけた頬を作るために奥歯を2本も抜く。視線は虚ろに、動作はゆっくりと緩慢に。誰もが優作に期待する強靭な肉体とシャープでスピード感あふれる動き、そのすべてを優作は捨て去ったのだ。原作者の大藪春彦氏もを激怒させたというその大胆な解釈をベースに、優作の盟友である脚本家、丸山昇一はストーリーを書き上げる。異常なテンションと不気味な狂気に満ちあふれたその脚本に優作はもちろん、誰もが度肝を抜かれる。まったく新しい「野獣死すべし」へ向けて最高の準備が揃った、はずだった。しかし優作にはひとつ、どうしても超えられないハードルがあったのだ。 それは自らの身長である。従来のアクションを演じるにはこれ以上ない武器となる優作の185cmという身長。それが優作の考える伊達邦彦像の障害となった。肉体を持たない狂気を表現するためには、その恵まれた肉体がマイナス要因となったのだ。しかし、身長だけは体重や体型と違って、自由に調整することができない。優作は親しい関係者にこう漏らしていたという。 「足を30cmほど切断して身長を低くすることができないだろうか。」優作が考える伊達邦彦を演じるためである。 普通に考えればあり得ない話しだ。たった1本の映画のためにその後の一生を車椅子で過ごすことになるのだ。しかしある関係者は「とても冗談を言っているような口ぶりでは無かった。」と振り返っている。少なくとも「何を馬鹿なことを言ってるんだ。」などと笑って済まされるような会話では無かったのだろう。もちろん、それは実際には決行されていない。しかし、優作は本気で考え、悩んでいたに違いないと思うのだ。 冒頭にも記した吉田松陰の言葉を思い出して欲しい。命を落とすことでことを成し遂げられるのであれば、迷うことなく命を落とせばよい。言い換えれば足を切断することで自分の表現が完璧になるのであれば何も迷うことは無い、となる。その後の一生が車椅子生活になろうと、それは結果でしかない。松蔭の教え子達、松下村塾四天王の面々はその言葉の通り、生死を計算することなく自らの信念を貫き、結果として散っていった。その遺伝子が時を超えて優作にも受け継がれていたのではないかと思うのだ。優作の演技に賭ける異常な執念を語るエピソードは数多い。そのすべてに理想の演技のためにはどんな犠牲も厭わないストイックさ、ある意味での狂気が宿っている。だからこそ優作は今も人々の心を熱くさせるのだ。幕末を駆け抜けた長州藩の多くの若者たちと同じように、である。 「ブラック・レイン」の撮影中、優作はガンが治ると思っていたのか、それとも治らず死を迎えると思っていたのか。 その議論の答えを言うとすれば、どちらも正しい、のである。優作にとって「ブラック・レイン」を撮り終えることが優先であり、結果死ぬことになればそれで良し、治るのであればそれで良し、では無かったのだろうか。ことを成し遂げる、という決意の前には命の行方など大した問題では無かったのではないだろうか。かといって命を賭けて映画を撮ってやる、などといった悲壮な決意でも無い、あくまで自然体に、あるがままの運命に身を任せたのではないだろうか。それよりはことを成し遂げることに全力を注ぎたい、そう考えていたのではないだろうか。だから次回作の話しも自然にできていたのだろうし、死生観についてもごく普通に会話できていたに違いないと思うのだ。 「肉体が死んでも魂は無くならないんだ、絶対に。」優作は死の直前、こんなことを話していたという。 そしてはるか時をさかのぼり1859年、吉田松陰は処刑される前日、弟子達への最後の伝言となる「留魂録」という書物を記している。その巻頭にはこんな句が残されいている。死を目前にした辞世の句である。 「身はたとえ武蔵の野辺に朽ちぬとも留め置かまし大和魂」 武蔵の野辺、とは自らが処刑される武蔵野刑場のこと。身(肉体)はここで朽ちるけれど、日本の将来を思う大和魂はここに留まっている、の意味である。言葉は違うものの、優作が死の直前に残した「肉体が死んでも魂は無くならないんだ、絶対に。」とほぼ内容は同じである。これはとても偶然とは思えない。松蔭の遺伝子が優作に受け継がれたのでは無いか、と考えてしまう由縁である。それとも魂を燃やし続けてきたものだけが達することのできる境地なのだろうか。 「どんな人の生涯にも春夏秋冬の四季がある」松蔭は生前、こんな言葉も残している。若くして死のうと、長生きしようと、その人生には四季が必ずあるというのだ。希望に向かって芽を伸ばす春、美しく花を開かせる夏、大きな実を結ぶ秋、そして静かに土に帰る冬。大いなる自然の輪廻のごとく、巡り来る人生の四季。そして限りある命を燃やし尽くすことによってのみ、鮮やかに彩られる春夏秋冬。その輝きは永遠に色あせることが無いのである。肉体が無くなっても残り続ける魂のように。 近年、世界的に評価される日本人俳優も増えてきた。真田広之氏、渡辺謙氏、もちろん彼らは素晴らしい俳優だ。しかし在りし日の優作の姿、特に「ブラック・レイン」での異様な存在感を思い出すにつれ、そこに誰も達することのできない魂の輝きを見てしまう。それはとても儚く、美しく、そして狂気に満ちあふれている。実は「ブラック・レイン」に続く優作のハリウッド映画第2弾として共演ロバート・デ・ニーロ、監督ショーン・コネリーでの企画が進行していたという話しもある。歴史にもしも、は無いが、優作が今も存命であればどんな生き様を我々に見せてくれていただろうか。 前回のブログ同様、幕末関連のことを書くとついテンションが上がってしまう。吉田松陰と松田優作の話しについては、ぜひどこかで文章にしてみたいと常々考えていた。ささやかな念願が叶った感じだが、このやたら長い、個人の思い入れだけの文章を最後まで読んでくださった方がおられるなら、まずは感謝の意を述べたい。ありがたく思う。読んでいただいた方の心の片隅にでも何かしら引っかかるものがあるとすればこれ以上の喜びはない。 |
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結婚式
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桜・梅・桃
なんだか小学校のときのクラスの名前を思い出すのですが・・・。
先日大阪へ来て2度目の大阪城へ。 天気も良かったこともあり、気分転換も兼ねて大阪で初めての花見に。 大阪城公園を一周した程度でしたが、目の保養とあと結構運動にもなりました。 やはり桜の花も見頃で、結構な人で賑わっていました。 宴会をする人たち、撮影をする人たちなどなど、皆さん思い思いに花見を楽しんでいました。 公園を一周し終わる頃にふと目に留まったのが桃園の石碑。 公園の端の方にあり、あまり知られていないのか? 人気が無いようで人がほとんどいませんでしたが、ちょうど満開だったみたいで非常に奇麗でした。 梅や桜が有名な大阪城ですが、時期によれば桜よりも奇麗かも知れません。 梅林ははて?何処にあったのか全く気づきませんでしたが・・・。 今回は一度に桜・梅・桃の花見をすることができラッキーな一日でした。 しかし、残念なことにそこからは大阪城は見えず、代わりに大阪ビジネスパークの高層ビルや伊丹空港へ向かう旅客機などが見えます。 ちなみに太閤秀吉に因んで白色の品種を「関白」と名付けているそうです。 |
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三都ARTCROSSなるもの
に行ってきました。先月の27日のことになりますが。
小豆島で開催されてたアートイベントでして、友人が出展してるってんでわざわざ帰郷してまで足を運びました(半分は小豆島目的なんてことは言えやしない…)。 ←ここ、ムリがたたってますね。 まじまじと見るとなんか気持ち悪い…。 しかしそもそも三都ってどこ?京都・大阪・神戸じゃないし…と思ってたら、どうも半島の名前だったようです。三都半島。小豆島を「牛」で言ったところの前足部分ですね。 さてさて、でそのイベントのほどはと言いますと…最終日前日ということもあってか閑古鳥で賑わっておりました。イベントの主旨としては、「小豆島芸術家村」誕生1周年記念ということで、作家同士の交流なんかも目論んだそこそこの規模のイベントなんですが、う〜む告知が弱かったのかはたまたそんなもんなのか。まあそんなこんなで友人の作品をしっかり鑑賞し、作家性あふれる現代アートをふ〜むと刮目。 ふ〜む、あんじょうできてはる。 ふ〜む。 ふ〜むなるほどねぇ〜。 そして三都を後にしました。 その後は島の友人と連れだって今年初となる島ライフを満喫したわけなんですが、何度来てもよいとこです。隠居したら小豆島に移住してみかん作りながら空き家を改築したアトリエで製作活動にいそしむ…なんてのもいいですねぇ。 P.S. 小豆島のフリーペーパー、「Eedee」(ええでぇ〜!)なるものを発見。 その中でも目を引いたのが… クオリティ高し!聞けばその島の友人の勤める印刷会社で刷っており、先輩社員の方が悪ノリして作っちゃいましたと。いや〜仕事を通して自分のやりたいことをやる、仕事を楽しむ秘訣はこれっきゃないですね。 それにしても醤王、足から醤油が出るんだろうか…。 |
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なるほどだよなぁー、澤田ふじ子著:火宅の坂
年度末であたふたしたこの3〜4カ月、本当に粘っこくよくもまぁ凌いできたなぁと。でも反省ばかりで、それは様々トラブルが続いてきたことが要因。デザイン屋、活かすも殺すも仕事次第・・・暇で困って、忙しさで困って?!不所作の極みかなぁと。
さてそうした中、寝不足を尻目につい引き込まれた文庫本が1冊。江戸時代の芸術家の人生を書いてはその映し方の視点が秀逸、また創作でも故郷をルーツの人物像を織りなす筆致の名手と思い尊敬している作家である澤田ふじ子の「火宅の坂」である。 多少絵が好きな方なら誰しもご存知の江戸時代=寛保〜宝暦年間に彗星のように現れ、相当数の作品を残した市井の絵師=伊藤若沖(源左衛門)。鶏や植物を好んでモチーフにしたその作品は、生き生きとした描写力や筆勢に裏付けられ、独特の世界観を放った。それもそのはず、ただただひたむきに家の中庭に飼っている鶏を飽きずに観察し、草花と組み合わせて活写した写生主義にあろうか。また模写技術でも当時見たこともない神獣的な?虎の絵においても、如何なく発揮されて当時の愛好家には相当支持されたようだ。狩野家も早6代目当たり?で形骸化し家元制に胡坐をかくことを見抜かれてしまい、それゆえに京都の芸術好きの眼力に伊藤若冲は見事応えたのだろう。しかし彼は何代も続く京都有数の八百屋の当主でもあった。のちに弟に代を譲り絵師に専念するのだが・・・その若冲が当主ながら相当の絵師として名声を得た当たりを物語の舞台にしているのである。 壇一雄の「火宅の人」が有名であるが、火宅=市井(=中心は武士の群像)の人の混迷極まりなき状況を様々な武士群像で絡めていく展開。主人公は中級武士で、著者のふるさと(=本当のふるさとは郡上八幡で「葉菊の露」などは泣かせる好きな作品であるが)美濃の国:大垣藩(=大学は名古屋で親しく感じるのだろう)の京都屋敷勤番の者。設定は藩主6代目の戸田采女正氏英の治世。その勘定方の能吏で、剣術も藩内切っての剛剣の腕を持ちながら、今は絵を描くことが何よりの趣味で、上司に嘲笑われながらも毎夜のごとく市井の絵師に弟子入り修業を重ねているという人物設定。名前を天江吉兵衛として、豪毅で誠実、朴訥だが精励な勤務姿勢と言う絵にかいたような武士の見本でもある。 だから同輩や上司の信頼は厚いが会話は武骨、だが礼儀正しいのが心地よい。とりわけ女性にはもどかしいくらい不器用な物言いが面白い。早く父親を亡くしつつも毅然たる武士の妻の鑑みたいな凛とした賢母の存在は家中でも評判という背景がある。 主人公:吉兵衛は勘定方でも有能であるし、剣術も優れて正義感も強い、上役に苦言を呈する姿勢も強い。しかし今は絵にて身を立てんばかりに没頭し、周りを呆れさせている。師の墨斎(=仔細あって偽名、丸岡荘蔵が本名、元武蔵川越藩士)もその潜在的才能を認めているので本人もまんざらではない。そういう前置きの中に降って湧いた藩のリストラ騒動。江戸期もすでに中期、武士も藩も商人の手に生存権を握られる自由経済社会に変わってきている中、藩主始め上級幹部ばかりが体面に固執して、藩財政の改善ができないまま、それで中級・下級藩士を犠牲にしたリストラ=永御暇つまり首切りで乗り切るという愚策を実施。それに指名されたそれぞれの武士の困惑や身の過ごし方を、絵師として生きようとする主人公にその仲間の去就が様々にかかわる。特に圧巻は同輩の京都藩邸門前での割腹自殺。それにその藩士の娘とリストラさせる管理職の男と娘の綾が重なる。さらに主人公に親しい京都奉行所配下の同心:佐多林蔵(=時代劇に出てくる“八丁堀のだんな”と呼ばれる役目)の遊女との逃走も絡み、ストーリーは本当に忙しい。 さらに絵の師匠である墨斎の仇討話がラストを飾る。・・・これまでの社内ブログでここまで長々とストーリーを追って書いたことはなかったが、絵師の世界(=狩野派がレベルダウンした絵の世界観を背景に、台頭した印象派?=琳派から、写実派?:ここでの伊藤若冲、さらに南画:円山応挙、池大雅など)を輩出した京都画壇の流れが実名で現れ、まるでタイムスリップする。さらに絵師と生きる決意の主人公があざとくリストラ差配する立場に立つ目付を懲らしめる武術の披露などがクロスオーバーする。 まさしくお絵描き少年時代を少し悔いた人間が青年期に武道に現をぬかし、現代で言う武士=はたまた公務員を辞して自営業=この主人公の絵師(=作品中では絵師と画家との差を示している。つまり画家=絵描き、絵師=デザイン屋という構図にも似ているので)への転身。様々な人の綾成す糸をいろいろ活写している。しかし本旨は武士としての矜持、まさに矜持のみを根底から熱く伝えようとしているのである。・・・要は自身を映し替えるかのように大いなる錯覚を引き起こしてくれた作品なのだから、澤田さんには関係なく自分勝手な解釈で始末におえない???寝不足承知で読んでしまった所以である。 無論、時代ものでは以前このブログでも不世出の作家か?と出会いに驚愕の思いを伝えた、飯嶋和一の圧倒するストーリーテーラー振りとは世界観が違うのだが・・・でも多読した方だと思う澤田ふじ子ファンとしてその作品の中でも好きな作品になったかなぁと。 余裕のない収入と寝る時間が少ない、遊びも仕事みたいなこの仕事にも小さな発見がある。ささやかで小難しい屁理屈な幸せかもしれないが、この「火宅の坂」は絵師=今のグラフィックデザイナーの多くに該当する本質がありそうだ。疲れた日々にも1冊の文庫本の世界で小旅行よりもリフレッシュできる機会をもらった。澤田さんありがとう・・・です。※それにしても長いブログになった・・・坂本所長に感染されたか?合掌 |
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さくら
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桜サク
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