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元気のもと"甘納豆”
知り合いのグルメなおじさんから「すごい場所に美味しい甘納豆売ってるところがある。でも一人じゃ行けないよ。ホントにすごい場所なんだから。」ときき、ずっと気になっていた甘納豆。
4年目にしてやっと店名が判ったのでドライブがてら行ってきました。 地図で見ると、高松空港から10分くらいのはずが、 くねくね くねくね 日本昔話の世界にやってきたかのような、こんなのどかな一帯も通り過ぎた先にお目当ての甘納豆屋さんはありました。 ネットでチェックしてなかったら、絶対気付かずに通り過ぎるに違いない『村瀬食品』。 お目当ての甘納豆はこれです。 見ているだけで虫歯になりそうですが、スイーツは元気のもと。 2月に引き続き3月もモニタとにらめっこな日々が続きそうなので、これを食べながらがんばろうと思います。 P.S. 今回の甘納豆購入でいちばん気になり気に入ったものがこれ。店舗の脇にあるこの煙突(のようなモノ)。 ジャック・タチのユロおじさんがひょっこり出てきて、杖で土管を1個外すか、煙突の先から頭を出して小鳥を呼ぶ図が浮かびました。 時間は自分でつくるもの。ユーモアが消え去ってしまうような働き方にならないように気をつけなくては、と、こういうのどかな中にくると改めてそう感じます。 |
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チェ・ゲバラ
去年の今頃、 チェ・ゲバラの映画を映画館で見た。
2本仕立てで、1本目を映画館で、2本目をDVDで。 キューバに革命を起こした英雄という感じの設定。 過去、自伝などでゲバラの事やキューバ革命のことは知っていたが、 映画で見るとゲバラの人間像が刻銘に表されていたと思う。 ゲバラに対していろんな見方がある中で、この革命を起こそうとした背景に 医学生時代のアメリカ大陸放浪の旅が深く関わっているみたい。 その革命のきっかけを作った若きゲバラのDVDが、 「モーターサイクルダイアリーズ」という映画。 バイクで旅するゲバラ。 いろんな経験をしていくのだが、最後 その歳でよくそこまで自分の信念を貫き通せるなと感動した。 「革命家」と言われてもピンとこないかもしれないが、 ゲバラを深く知るにはこの映画を見ることをおすすめする。 映像も綺麗ですごく見やすかった。レンタルで借りようとしてもいつも 借りられている貴重な映画です。 |
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海
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中森明菜考察-その1(ドラマ編)
昭和の歌姫「中森明菜」が自殺未遂を起こしたのは 1989年7月11日。その衝撃は大きく明菜が復帰出来たのは それから1年後のこと。 復帰第一段の曲「DEAR FRIEND」が大ヒット(約30万枚) したことが彼女の復帰を願うファンの気持ちを表している と思う。しかし、その後彼女は歌うこと拒んだ。 理由は多々あるが次回で・・・。 そして1992年4月初めての連続ドラマ「素顔のままで」 が始まる。月9ドラマとして平均視聴率26.4%という 高視聴率を出した。 明菜の役は月島カンナというダンスに夢見る不幸な育ちの ミュージカル女優の卵、対する共演の安田成美扮する 香坂優美子は図書館司書のお嬢様。 この二人の友情物語として話は進む。 当時、日本一NGの少ない女優と呼ばれていた明菜は このドラマで役者としての才能を開花させていくことに なるのである。 残念なことに大ヒットドラマなのにDVDは発売されて いない。(ビデオは発売されている) プロデューサーが何かの事件で捕まったのが 影響しているのか・・・。 その後1998年、「冷たい月」で再び主演。 このオープニング映像には度肝を抜かれた。 共演の永作博美と共に死体映像のオンパレード。 復讐に燃える元医者というのが明菜の役だ。 このドラマは月曜10時という裏番組にスマップの 人気番組がある時間での放送であるにも関わらず 12〜18%の視聴率を上げた。 素顔のままででは未来に夢見るピュアな女性を 演じたが今回は夫のひき逃げを目撃し通報した 女性への復習劇である。一言で言えば逆恨みとも とれるが、明菜の情感たっぷりの演技で回が進むごとに その人の内面性に心を打たれる。 女優中森明菜はとにかく存在感がすごい。 テレビに出なくなって寂しいが、仕事に対して いつも120%の取り組みで楽しませてくれる 中森明菜を愛して止まない今日この頃です。 映画「黒い家」で狂気の女を演じた大竹しのぶとの 共演があれば、ものすごい作品になると思うのだが・・・ 主題歌の「帰省」も名作! |
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ライブってホントにいいもんだ。
ちょうど昨年末のブログに、9月に行われた矢沢永吉さんの東京ドームでのライブについて書き込んだのだが、先日勢い余ってライブDVDを購入してしまった。NHKでのオンエアは一部カットされたものだったし、何度か観ているうちにぜひ完全収録版で観てみたい、との思いが高まり、CDショップで半ば衝動買いみたいな感じ。
改めて通して観るとやはり素晴らしかった。矢沢永吉ファンてホントに幸せだと思う。60歳になってもこれだけのものを見せてくれるんだからね。ネット等に(恐らく若い人の声だろうが)矢沢永吉なんかここ数年大したヒット曲も無いのに何で大物扱いされるのか分からない、といった意見がよくある。確かにそうだが、逆に現在ヒット曲を飛ばしている若い世代のミュージシャンやバンドが60歳になってもこれだけのものを見せてくれるか?となるとどうだろう。流行音楽なんぞは所詮サブカルチャー、結局は時代のあだ花だし、長くやってればいいってもんじゃない、とも言える。でも音楽は人の人生に沿って生き続けるものでもある。人それぞれの思いを重ねながら人生の節目にそっと色を添えてくれる、そんなものでもある。それもこれも歳をとれば何となく分かるようになるもんだ。 それはいいとしてともかく思ったのは、やっぱライブっていいよね〜ってこと。ライブ〈LIVE〉を直訳すれば「生の〜」となる。ごまかしや偽りの通用しない、まさにその瞬間、瞬間のエネルギーの放出だ。そのパワーはミュージシャンの好き嫌いを超越して人の心に迫ってくる。 随分昔の話しになるが1984年の年末、僕は友人に誘われて松田聖子さんのライブを観た。松田聖子といえば当時、人気絶頂のアイドル。アイドルのコンサートなんかつまんないんじゃないの?一部のファンの人以外に見る価値あるの?と一度は断ったのだが、友人の熱心な誘いもあり、渋々出かけることになった。場所は日本武道館。しかし、これが実に良かったのだ。いかに作られたアイドルでも、ライブが始まればステージ上では一人だ。事後の編集や撮り直しでごまかしがきくテレビ番組とは訳が違う。あの広い武道館、1万人を超える観客、その中でダレることなく、白けることなく2時間、お客さんをグイグイと引っ張っていかなければならない訳で、ただのお人形さんのようなアイドルが到底できることではない。僕はその当時、主に海外のミュージシャンを中心にライブを観に行っていたけれど、それと比較しても遜色のない、実に見事なライブだった。それどころか、むしろ世界的に名前が通っていながら、明らかに手抜きと思われる一部海外ミュージシャンのライブよりも感動させられたのだ。 もちろん、ヒット曲が多い分、耳に馴染めることもあったけれど、緩急つけた流れ、ツボを押さえた演出、そして何よりステージ上の彼女のパフォーマンスには圧倒的な存在感とカリスマ性があった。これは付け焼き刃や他人のお仕着せでは出せない、いわゆる「ステージ映えがするかどうか」という、ライブを観て初めて分かる良さなのだ。そこに必要なのは本人の能力、場数を踏んでの経験はもちろん、自分が主役だ、スターだ、というある意味傲慢とも思える自信だ。でなければプレッシャーと緊張感にたちまち潰されてしまう。かつて矢沢永吉さんは「自分が天才と思ってなければこの商売、やってられないよ」と言っていたがまさにその通りなんだろうね。 その当時、松田聖子はアイドルの第一人者でありながら、ライブ活動に重きを置いていたらしい。2007年に矢沢永吉さんが日本武道館公演100回という記録を達成したとき、確か2番目か3番目かが松田聖子だった気がする。(うろ覚えだが)それくらい彼女はライブに、しかも武道館という大きな会場でのライブに熱心だったという証明でもある。アイドル時代から今に至るまで現役で音楽活動を続けられているのも、ライブで鍛えた底力があってのことでは無いだろうか。そしてそこから得た喜びや充実感が音楽への限りないエネルギーとなっているからでは無いだろうか。また、時には激しくバッシングされるしたたかで逞しい生き方さえも、ライブを重ねたことで得た度胸の強さがあってこそのような気がする、といったら少々こじつけが過ぎるかな? 余談ながら、僕はそのライブで事前の不信感はどこへやら、すっかり松田聖子ファン(厳密には彼女のライブのファン)になってしまった。次の機会もぜひ、と思っていたら翌年すぐに俳優の神田正輝氏との婚約を発表、芸能活動一時休止が宣言されてしまった。何とも残念だったが、結婚直前の最後の武道館公演はギリギリ観ることができた。これまた素晴らしく良かったね〜。やはりライブで魅せる力は本物だ、アイドルだからと馬鹿にはできないもんだ、と再確認したのである。 ライブで鍛えた力が本物であれば、そのライブで得たお客さんとの絆もまた本物だ。スターダストレビューというバンドがいる。彼らにはヒット曲というものがほとんど無いけれど、多くのファンに支持され息の長い活動を続けている。それは地道に続けられているライブ活動の成果であり、その素晴らしさには定評がある。また、活動歴30年近くになる老舗ロックバンド、THE MODSのリーダー森山達也はかつて「テレビが3分ですることを俺たちは1年かけてやる」と言った。テレビに出演して3分間、1曲を演奏すれば、確かに全国で数万人の人が画面を通じてそれを見る。しかしそこから生まれる絆は限りなく薄い。しかし、全国を1年かけてライブツアーを行い、そこで向き合ったファンとの絆は決して揺らぐことのない強いものだ。また、昨年ガンで急逝した忌野清志郎さんは「レコード(CD)なんかライブをするためのチラシみたいなもんだ」との名言を残した。 スターダストレビューも、THE MODSも、忌野清志郎さん(その勇姿はもう永遠に観れないけれど…涙)もライブこそ全て、の信念で、それが彼らの長い活動を支えているわけだ。メジャーになるに従ってライブをしなくなる、またすることがあってもドームクラスの大きな会場中心で、地方まわりをしなくなる、というミュージシャンが多い中で、彼らの不器用ながらも愚直な活動はもっと大きな評価を受けてもいいと思うんだけど。 ライブは生モノだ。だから何が起こるか分からない。やり直しができるものでは無いから、何が起ころうがその場その場で対応していかなければならない。ハプニングさえ盛り上げる方向に変えてゆく火事場のクソ力ともいうべきスキルが要求されるのだ。それはミュージシャンだけでなく、僕たち一般人の仕事でも同じだ。 僕は昔、地元のデザイン専門学校の臨時講師などということをしたことがあって、そこでこんな話しをしたことがある。 「みんながパソコンや紙に向かって作品を作るのは音楽活動に例えればスタジオでのレコーディング。もちろんプレッシャーや行き詰まりになることもあるけれど、基本的に自分のペースでできるし、突発のハプニングも無い。でもそれを持って人に説明する、説得する、納得させる、のはつまりライブってこと。だから何が起こるか分からない。クソミソに叩かれるかも知れない、説明が噛みまくってしどろもどろになるかも知れない。ライブで言えばお客さんが全然盛り上がらない、とかガラガラで空席だらけだったとか、機材がトラブルになるとか、ステージから落っこちてしまったとか、でもそのすべてを盛り上げる方向に転換させなければならない。お客さんはお金を払って来てくれている訳だからね。それがライブで鍛える、ということだし、プロの仕事をするということ。それは必ず自分の力となるし、裏切ることは無い。みんなにはスタジオにこもるミュージシャンよりも、ライブが売り物のミュージシャン、ライブバンドになってもらいたい。」 まあ、学生諸君にどれだけ理解してもらえたのかは分からないけれど。 「自分はこれからも現場でバリバリやれる、そんな存在であり続けたい」東京ドームライブのアンコールラストの曲の前、矢沢永吉さんはこう言った。現場、それはすなわちライブだ。60歳にしてこの宣言。最近僕は自分自身のこともあって年齢についていろいろと考えることも多いのだけれど、この言葉にはいつも背中を蹴飛ばされてしまう。現役でやる以上、ライブをやってナンボ、ということなんだろう。多くの人の前で、汗をかいて、時には恥もかいて、生きている限り人生現役だしそれはいつだってライブなんだ、と思わされてしまう。僕も60歳くらいになって同じセリフが言えたらカッコいいんだけどね。 |
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デジカメいまむかし
去年、勢いにまかせてミドルクラスのデジタル一眼レフカメラを買いました。はいいけども絞りも露出もよくわからんままに買っただけあって、未だに触る度に取説とガイドブックが欠かせません。しかしその描写力の凄まじさはなんとく撮った部屋の一角といったしょうもない一枚にまで如実に表れ、はまると恐ろしい世界だなとひしひしと感じます。
しかしまあ今回取り上げたいのはそんな最新鋭F1カーみたいなやつではなく、なが〜い付き合いのこいつです。 もうかれこれ7年くらい前に購入したニコンの「COOLPIX3100」というコンパクトデジカメです。とりたてて名機というわけでも突出した特徴があるわけでもありませんが、長々と愛用しています。購入した当時は、ちょうど薄型コンデジが台頭してきた頃でしたが、そんな中対局をいくかのように、肉厚なボディで良好なグリップ感を謳った設計思想に「やるな、ニコン」と思い購入決定したとかどうとか。加えて地味ながら後押しとなった点はその最短撮影距離。マクロモードは当然当時から標準的な装備でしたが、その最短撮影距離はけっこうメーカーによってまちまちです。だいたい他のメーカーが20センチとか10センチそこらの時代になんとニコンは驚きの4センチ!これは今なおトップクラスの短さです。なので対昆虫・小動物に威力を発揮しました。 そんなCOOLPIXですが、最近2GBのコンパクトフラッシュを購入→装着したところ、あまりに莫大なキャパシティにびっくりして残撮影枚数のカウンターがストップしてしまいました。 撮っても撮っても999。まあそりゃ当時は32MBでも十分って時でしたからねぇ…。 ちなみにこのCOOLPIXを撮ってるのが前述の一眼レフ、同じくニコン製のD90です。後輩のくせしてデカい図体の暴れ牛ですが、これからも2台仲良く使っていきたいと思います。 |
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あ〜あ、嵐山!!
とうとう高校時代の親友の一人がリタイヤ宣言で、今月20日には退職となる。最後の思い出に京都へ、鈴虫寺へお札返しに行かねばならぬとのことで、小父さん二人の日帰りトリップ。童心に帰るといった感である。 巻頭"あ〜あ・・・"と嘆くような言葉から始まっているが、感嘆の二文字にはふさわしい思いがする。感動に近い面と嘆息という面とであろうか? 1:感動・・・それは現代の世俗にまみえたと言っても、平安の昔から貴族たちが愛してやまなかった嵐山の景観、雰囲気であろう。 川面にさえずる鳥たちにはまさにそういう風情が漂うし、借景として近隣の寺社が視覚効果を狙った景観の迫り方は秀逸である。 夏場、少しでも冷涼さを求めて避暑を兼ねた別荘や執務御殿としてのこのあたりの寺社は、貴族ならではの特権であろうが、その思いはわかるような静寂と落ち着きが今に漂うからだ。
臨済宗本山「天龍寺」の伽藍の壮大さや作庭の美、竹林の道。大覚寺や落柿舎、直指庵などの名前に隠れて見落としがちだった清涼寺のスケール。大河内荘も映画スターの道楽の域を超えて何とも言えない静寂の空間を提供してくれていて、ここでの抹茶は小父さんコンビニは不釣り合いながら、よい休憩となった。宗教や素朴であれ・・・というのが持論で、随分少林寺拳法時代には格闘技としての武道のあり方に、随分脱線しあちこちとさ迷ったが、同時に宗教系の本も禅宗系を中心に読み漁った。 そういう面では神仏宿るところは権威主義の建物ではないなどと、くそ生意気なことを今も信奉している輩である。それでも造形美としての美しさは認めざるを得ない。溜息は東山界隈でも奈良公園界隈でも同じ感動に近い。あるキャンペーンCMで"日本に京都があってよかった"というキャッチコピーが印象的だが、それはそれでとても説得力はある。古には相当深山幽谷の体で精神養生の聖地だったのだろうなぁと。 2:嘆息・・・いうまでもなくあまた多すぎる観光客だ。しかも嵐山のメインストリートが相当俗化して何とも賑々しい。閉館迫る"美空ひばり"館などは、あの不世出の歌姫=流行歌手などと呼ばないでおくれ・・・の名にふさわしくないロケーションである???せめてもっと静かにひばりさんの感動に浸りたいものを・・・と残念だが閉館も当たり前かと。すみません主催者には悪いですが。 レストランももう20年メニューが変わり映えしないのでは?というごく昔からのドライブインタイプの定番メニューが中心だ。いくら観光バス客あいてで、手間も省け簡単にとはわからぬ話でもないが・・・もう少し嵐山らしい色合いのメニューはできないのだろうか?ぼったくり価格など当然あってはこまるが、余りにも風情がないなぁと。観光土産店ストリートはどこ誌もああいうものだろうが???佇まいが凛として・・・NHKの大河ドラマ向けの映画セット村ではないが、作りものでも後ひと息リアル感がほしいものである。 海外からの観光客の多さも疲れるなぁと・・・。でもそれで潤わねばならない観光後進国・日本。差すが...といわれるのはトイレのきれいさや店員の礼儀や心遣いだそうで・・・はたしてそれはどうかと。嵐山界隈はその点は俗化しつつもまずまず直でしょうかね? 最後に嵐山からてくてく歩いて、親友のお札返しのために、3年前社員旅行で言った鈴虫寺へ。あーあ、あーあ参道の人人人。草鞋をはいたお地蔵様のせいか、鈴虫が年中なく講堂が物珍しいのか???失礼重々、私にはあれが禅寺とは申し訳ないが思えない。完全にもともとの東大寺の流れをくむお寺の気配であろうか? また講話の住職さんも毎回ほとんど似たような説法???とはいえないか。観光用のお札売り営業トークには毎度ながら怪訝さしか感じない。世相に応じた分かりやすい説法にも、孤高を良しとする禅宗ならではの矜持がほしい。そういう教えの連続性が行くたびの感動としてほしいのになぁ。・・・残念、これで嘆息の店じまいにしよう。 京都や奈良が信仰の町であることは疑うこともなく、その隆盛は今日の新たな観光の隆盛で役立っているのかもしれないが・・・。だが飢饉に泣き、病魔に怯え、戦乱に虐げられて、なお生きてゆかねばならない、細々とした庶民の切ない願いのシンボルであろうと思うしかない。歴史上では権力者のストーリーに魅了されても、どこかに悲しい庶民の辛さも描かれねば正しい歴史小説とは言えないと思う私には、観光で役立つ現実がどうにも腑に落ちない。それも神様よりも仏様が隆盛ばかり??と皮肉にも思うのも京都ならではか???
3:最後に・・・ 友よ、長きにわたる勤め、お疲れさん。早く結婚し3人の子供に恵まれ、早その年で 3人の孫のおじいちゃんか。同期では最も営業マンとして大手企業の第一線で活躍し頑張ってきた。転勤をものともせずに、ふるさと三豊を松山に代えて今まで大きな故障もなく、人並み以上の活躍は多くの友人も知ところだ。私には良い意味でライバルであり、悪い意味ではお絵かき少年を格闘技の世界に引きずり込んだ張本人だ。お陰で面白い夢も見させてもらったが、元のお絵かき少年(=その頃は青年だが)に戻るのにえらい遠回りになったが・・・でも悔いはないと信じていますがね。 おじいちゃん面するほど老けていない、またしばらく静養し、本来のファイターに戻る時を期待している。神戸支社長時には俺の神戸事務所開設とすれ違い、今度は大阪事務所で会うという偶然。しかもどちらもすぐ近くという縁を不思議に思う。結婚式のスピーチもさせてもらったなぁ・・・30年も前だが、公然とライバルやで!と親族や友人の前で宣言したが、この30年間はライバルでいれたように思う。 君ほど安定したセカンドライフが送れそうにない俺は、ぎりぎりの立場でいるが、なんとかまた楽しい旅をしよう。仕事ばっかりで腐った気分を、奈良や京都、和歌山でほぐしてくれたことを感謝して。では近々松山ででも会おう!サラリーマン生活、本当にお疲れさん。合掌
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今年最初の
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名札サイズのデジタルコミュニケーションツール
「Audience.tag」とは、縦45mm×横65mm×厚さ10mm、38gの
表示と通信にデジタル技術を活用して平面ディスプレイやプロジェクタなどによって 映像や情報を表示する超小型な広告媒体です。 デジタルサイネージ(=電子看板)として注目度の高いコミュニケーション手段に 活用できます。 BUGでは、「Audience.tag」を対面者の注目を集める インタラクティブなコミュニケーションツールと位置づけ、 店頭やイベント会場での新しい広告メディアとしての活用や、販売促進ツールとしての 普及を期待しています。 コンテンツ管理サービスや機器レンタルに関しても、 ニーズに合わせて選択できるよう検討中だそうです。 個人的には、すごく興味がありますねぇ。 Tシャツとかを広告に利用するのはありがちで普通だけど、これなら目立つ!! 料理とか飲み物を持ってくる店員さんって目がいくし、 動画が写っていれば興味を持ちますよね。 さらに店員さんと話がはずむかもしれないし・・・・。 広告用途ではなく一般向けに発売してくれないかなぁ〜。 twitterのつぶやきを垂れ流したりの需要があるかも。 |
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春近し
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