• 2020.02.08 Saturday
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秋?の夜長に…
相変わらずバタバタとした毎日で、
仕事から帰って何かゴソゴソしようかと思いつつ、
眠けに負けてしまう…。

軽くできるのにはいいだろうと
思って買ったアップリケのキットも
そのままの状態。
針に糸を通すのが限界です。ZZZ…

また落ち着いた頃に手をつけよう。
と、次出してくるのは何年後。。。



報告
DESIGN-FESTA vol.30
Oct.24(sat)&25(sun),2009 at Tokyo Big Sight

↑ビッグサイトに向かう階段。東京はこの2日間11月下旬の気温で、耳がちぎれそうな寒さ。

↑デザインフェスタの入場口。
こういう絵、生まれ変わったら描けるかも。

↑さすが東京。次から次へとおもしろい格好の人がいっぱい。

↑搬入疲れのコンテンツ係。
人が多いということは空気も悪いということで、マスクを。

↑出展に協力してくれた友人たちのポストカード。

↑女子スタッフが仕事の合間に作ったいろいろ。

↑今回いちばん人気のNATSUMI WORK。フエルトのかわいい作品。

↑留守番中の社長&古株。
バナナの叩き売りみたいですが、たくさん売ってくれました。
感謝。


今回の出展で得たものは、マウス以外のもので何かを作る感覚と、次回のテーマを見つけたことです。次回のテーマ、機会があれば実現させたいと思います。


*お知らせ*
女子スタッフが少ない睡眠時間をさらに削って制作したかわいいグッズは、引き続きモノハウス(綾川町の旧枌所小学校)で開催される"第3回ものづくり芸術祭"で販売されます。

会期:11月の土・日・祝日 10:00〜17:00
会場:モノハウス(香川県綾歌郡綾川町枌所西甲2060)

近くの方は覗いてみてください。


メダカのこと
 全滅の憂き目にあった水槽から、奇跡の復活をとげた新生メダカたちも約3ヶ月程生きました。メダカの寿命は1年から2年と聞いたことがあるので、人間でいえば10年から20年ほど生きたところでしょうか。
はじめて稚魚を発見したときからのことですが、彼らは兄弟であるのに大きさにかなりの個体差があり、人間の感覚からすると親子かと思うほど大きさが違います。はじめのうちはそのうちに大きさの釣り合いがとれてくるだろう思っていましたが、最近でも4cmくらいまで成長したものもいれば、未だに1cm強ぐらいのものもいます。メダカは兄弟でも先に大きくなった魚が、小さいままの魚を食べることがあるというのをWebなどで目にし、VOXで飼っているメダカでも同じようなことがあるのかもと注意して見ていましたが、以外と普通に並んで漂っているので多分大丈夫でしょう。
去年などは、まるでカウントダウンのように1日1匹ずつ死んでいたメダカですが、最近は突然死を起こすこともなく、ご先祖様よりは長生きしそうな気配です。以外と過去の全滅をくぐり抜けて遺伝的に強いメダカが残ったのかもしれません。

メダカの兄弟

インターネット馬鹿
Vox観音寺で仕事をするようになって、気が付けば約20日が経過。
やりたい事はたくさんあり、興味が尽きることは無い。 でも、できることは極僅か。
考えて見れば目標があまりにも大きすぎるのかも知れない。
目標を絞り込むか?
それもできないでいる。

インターネットはブラックホール。
かれこれ6年あまり毎日のようにインターネットの事を考えてきた。
そうした思いを一気に飲み込み、好奇心や知識等を吸い取って
どんどん膨れ上がっているように思える。

際限の無い世界
目標を絞り込めるか?
土台、目標なんてあるのか?

インターネットもやはり人が作り出したものである。
善意もあれば悪意もある、人の想念の渦のようなもの。

だから現実世界となんら変わらない。

であるとするならば、ひとつやり方はあるだろう。
地に足をつけて、助け合いながら、できることを確実にこなすこと。
そして、少しの冒険でできることを少しづつ増やして行くこと、これまでと同じように。
強烈な個性に縛られた表現者
芸能人やスポーツ選手が自己表現をする場合、強烈な個性であ
るがゆえに次へのステップを踏み出せない例もある。

映画界ではジャッキーチェンが新作映画「新宿インシデント」
でカンフー・アクションを封印させるという。
ジャッキーといえばアクションと切り離せないイメージがあり、
アクション映画でしか評価されないならば、凄まじい葛藤があ
るだろう。

芸能界では、最後の歌謡歌手と言われる松田聖子や中森明菜も、
突出した歌唱力と衣装、メーク、ダンス、感情移入というトー
タルな表現力が優れていたため、月日を重ねた今、他のアイド
ルたちのような女優等への転身が出来ないでいる。特に中森明
菜のように、連続ドラマの素顔のままで、冷たい月でみせた高
い演技力があるにもかかわらず、ファンからの要望は“歌って
ほしい”であり、歌と切り離しては語れない部分がある。

野球の新庄剛志や清原和博が、ストイックな金本のアニキみた
いなイメージでは似合わないだろう。決して彼らなりの本気さ
があったことは疑う余地はないのだが、やっぱり新庄には記録
より記憶に残る選手であってほしいし、清原には豪快でおちゃ
めな番長であってほしいと思うのはファンである私の勝手な思
いこみなのであろうか。事実晩年は、ケガとの戦いで必死に野
球人であることを追いつづけた人たちなのに・・・。

また、フィギュアスケートの世界では、フランス杯でのキム・
ヨナの圧倒的な強さでの勝利が話題であるが、個性という面で
注目したいのが安藤美姫。2002年に女子で初めて4回転サルコ
ーを成功させ、ジャンプの安藤というイメージが先行している。
金メダルと取った2007年の世界フィギュアでも4回転は飛ばな
かった。しかし、今でも世間での期待は4回転なのだ。4回転な
しでも結果を出したのに、彼女は充分4回転なしでも結果をの
こせる選手なのに・・・そんな彼女は大会の度に飛ぶか飛ばな
いか悩んでいる姿が見受けられる。

このように人には個性とか傾向というイメージがある。
私もクリエイティブな仕事をしているはしくれですが、
個性と言うものがある。お洒落できれいなデザインは
似合わない。どっちかというと独特なイラストや、
コミカルな表現から泥臭いデザインを好む傾向にある。
キレイ系のデザインに挑戦することもあるが、らしくない、
似合わないと思われることもしばしば。
その人のイメージをぶち壊して新たなるイメージ構築は
大変な決意と労力を必要とするのだ。
だからこそ、今あるものに深みを求め、積み重ねていくしか
無いのかも知れない。

“その人の人生とは、その人らしい個性の積み重ねによって
形成されるもの”と再認識した今日この頃である。
ぞっこん!!
GF1。 


今、これが欲しい!
パナソニックの良い仕事だと思います。
大人の心をかなり刺激してくれます。


LEGOハウス
 ネットを見ていると、こんな記事を発見しました。なんと、実際に人が住めるサイズのLEGOの家。

イギリスでテレビの司会者や自動車評論家として活動するジェームス・メイという人物が主になって、何人かのボランティアと協力して作っているようです。ブロックは300万個を超え、それを手作業で組上げています。写真を見ると玄関のドア、内装の壁までLEGOで出来ていまが、この配色で眼がクラクラしそうです。

よくイベントなどで巨大造形物などを造っている物やニュース等で目にします。実際、今年日本でLEGOタワーなる物を制作したようで、高さ29.70m、これはギネス記録だそうです。(制作当時)

今回の家の制作は個人の趣味からの延長でしょうが、実際住めるのでしょうか?






映画についてちょこっとひと言
 「映画が好きなんですね」とよく言われることがある。しかしながら実際は映画好きとはほど遠い。映画館に足を運んだことなどここ数年記憶がない。かすかに覚えているといえば「キングコング」(05年)、「ハウルの動く城」(04年)くらい。それも前者は人に誘われて、後者は子供が観たいというので付き添いで仕方なく、といった感じで、自分が観たいという意志で観に行った映画など思い出すことすらできない。かといってDVDレンタルなどもよほど観たい映画でなければ借りることがないから、それこそ年に2〜3本といったところが関の山だ。

なのに映画好きと言われるのは何故か?それは特定の映画についてやたら語る癖があるからだ。僕は一度気に入った映画はそれこそしつこいくらいに繰り返し観る。繰り返し観ているとそれなりに発見もあるし、エピソードや裏話も調べてしまう。となるとあれやこれやとウンチクも垂れたくなるのが人情で、それを聞かされている人は半ば辟易しながら、それでも嫌な顔も見せられないので多少の皮肉を込めて「映画が好きなんですね」となる訳だ。その映画に興味が無い人にとってウンチクを長々と聞かせられるのは苦痛でしかないからだ。しかし、繰り返し観続けることのできる映画は、それに値する価値(もちろん自分にとって、だが)が十分あることの証明でもある。


はるか昔、確か中学1年の頃、初めて1人で映画館に洋画を観に行った。家庭用ビデオデッキなどは無い時代だし、それまで映画といえば親にせがんで連れて行ってもらっていたゴジラ映画やアニメものだったから、回りの大人たちに混ざっての初めての洋画体験は随分と刺激的だったと思う。薄暗い館内で「字幕ってこんなになっているのか」などと変に感動しながら観たその映画はスティーブ・マックイーンとダスティン・ホフマン主演の米仏合作映画「パピヨン」。脱獄がテーマの作品なのだが、同じ脱獄ものでも「アルカトラズからの脱出」のようなスリルやアクションは無いし、「ショーシャンクの空に」のような感動的なストーリーも無い。脱獄しては失敗、といった様子がただ淡々と描かれる。上映時間もやたら長く、かといって派手な見せ場も無い。とてもじゃないが人に「面白いよ」などと薦められるシロモノではないし、テレビの洋画劇場で放送されることなどまずあり得ない。じゃあ、何で観に行ったのか、と言われても理由はよく覚えていない。しかし、初めて観て以来数十年、いまだにこの映画、よく観る。飽きることがない。そして年齢や、そのときの自分の状況によって感じるものがそれぞれに違う。マックイーン演じる主人公パピヨン、ホフマン演じるその友人ドガの微妙な精神状態とか、考えていることとか(もちろんそれは自分の想像でしかないのだが)その時その時の自分の状態と重ね合わせることで自問自答のきっかけになったりする。どこまでも自由を求めて脱獄に挑戦するパピヨンと、安定志向で優柔不断なドガ、この二人のキャラクターは夢を追い求めること、夢をあきらめてしまうこと、のそれぞれの生き方の象徴にも思える。自分自身の姿をこの二人に重ね合わせたとき、そこにいろいろな思いが巡るのである。それぞれの節目、節目で考えさせられたり、教えられたり、感じるものがあったり。映画の内容は決して説教臭くは無いし、メッセージを押し出したような演出など微塵も無い。逆に淡々としているからこそ、いろいろな想像を思い描くことができるのかも知れない。僕にとって「パピヨン」という作品はただの映画というよりも、例えれば長い付き合いの友人のようなものだ。雄弁では無いし、何かを熱心に語りかけてくれるでも無い、しかし何かを思ったとき、ふと観たくなる、会いたくなる、そんな腐れ縁の親友のような感じなのだ。

「ゴッドファーザー」や「ブレードランナー」、黒澤明監督の「七人の侍」「赤ひげ」なんていうのも随分と長い付き合いになる。「ゴッドファーザー」なんかも若い頃はアクションやハードボイルドなシーンに魅力を感じていたが、年を重ねて、家族を持ち親という立場になるとまた見方も変わってくるし、今まで特に何も感じなかったワンシーンとか主人公の表情とかに惹き付けられてしまうことがある。10年後、さらに年を取ればまた見方も、気付き方も違ってくるかも知れない。そう考えればこの先、一生の付き合いをしていくことになりそうだ。そんな中でも「パピヨン」は一番古い付き合いということになる訳だ。

最新のCGを駆使したハリウッド映画ももちろん面白い。今週観て面白い、と思っても次の週に別な作品を観るときにはその記憶はまったく残っていない、なんていうまるで遊園地のアトラクションに乗るかのような映画の楽しみ方もいい。でも一生かけて観続けることのできる、付き合いのできる映画に出会えるのもまたいいもんだ。


「パピヨン」のラストシーン。ドガは疲れ果てて脱獄への情熱を失ってしまい、最後に送り込まれた収容施設で一生を終える運命を受け入れる。そこは牢獄も強制労働も無い絶海の孤島。ただ島の周囲は断崖絶壁に囲まれ潮の流れも速いため脱出は不可能。囚人たちはそれぞれに小屋を与えられ、自給自足で慎ましく暮らしている。騒ぎを起さなければ一生安泰、しかし死ぬまで自由になる日は訪れない。そんな中、パピヨンはあくまで自由への挑戦をあきらめない。髪は真っ白になり、やせ細り衰えた姿で来る日も来る日も崖の上に立ち、激しく渦巻く波を見つめ続ける。そして7番目に来る大きな波に乗れば湾の外に泳ぎ出せることを確信する。決行の日、二人の永遠の別れ。ヤシの実を詰めただけの粗末な浮き袋一つで断崖絶壁の上から渦巻く波に向かって飛び込むパピヨン。僕にもいずれこの世を去る日がくるが、このシーン、できればその間際にもう一度観てみたい。長い付き合いだったこの映画に、自分なりの最後の別れを告げてみたいと思うのだ。浮き袋につかまり大海原を漂うパピヨン。自由とは?挑戦とは? そのとき、人生を振り返って何を思うんだろうか。

とある音楽評論家の人がこう言っていたのを思い出す。

「過ぎた日々を振り返って、自分の人生が何だったんだろう、と思うとき、そっとその答えに寄り添ってくれるもの、それがポップミュージックの究極の姿ではないだろうか。」何か分かるような気もしてしまう今日この頃。


NHKの朝ドラマ“ウェルかめ”見ていますか?
 今年から来年にかけてのNHKのドラマは四国からのテーマが続く。愛媛松山の坂の上の雲、高知土佐の龍馬伝、そして徳島美波町のウェルかめ。どうも朝ドラマでヒロインにニューフェースが多いので、軽く感じられるがそれもご愛敬。で、そのウェルかめだが、皆さんは見ているのだろうか?視聴率があまり芳しくないそうだが・・・。


なぜブログのテーマにしたか?それは弊社もふくめて、ヒロインのたどる生活感が何とも類型しているなぁと思うからだ。特に初回から漂う郷愁をはじめ、スタート数回はヒロインが徳島の小さな出版社に勤務するまでが、なんとも今の時勢を反映していたことか?!


厳しい就職戦線、ようやく憧れて入社できた編集部では小間使い、やっと正式採用の通知後に閉鎖。あとは闇雲の就職活動でのトラブルなど、まさに希望が打ち砕ける現在の学生の姿の似てはいまいか?そういう目でビデオの貯め撮りを見ていた。地方にはないものが都会にはいっぱいある・・・これは消しようのない事実。できるだけ都会で・・・も責めるべきことでもない。しかし少しは都会にあるものも地方に欲しい。それは量販店でもなければ、ブランド品でもなく、自らが創造的に働く場ではないかと、この朝ドラマが伝えてくる。


私は大手広告代理店の就職試験に失敗して、変遷の後、地元で高校の教員をするときからこういうテーマを感じてきたから、余計に身にしむ思いである。弊社のスタッフが見ているかどうかは確認できていないが、すでに終了してはいるが最初の2週間分は是非とも見直してもらいたいものだ。


ヒロインの出身地とされる徳島県の日和佐は、今は美波町と名前が変わっている。ウミガメの町、厄祓いの薬王寺で有名である。ウミガメは70年近くも生きるらしい?亀は万年というのは古い例えだが、昔でいえば人間より長寿命だったときもあろうか。周回する海の広さは唖然とするくらい広範囲だ。それでも古里に帰るかのように日和佐の浜に産卵に来る。すごい経過に人の生きざまと比べてみると、我々は亀に学ぶことが多いかもしれない。海洋で船が遭難にて亀の背中につかまった人が助かった記録がいくつもあるという・・・

弊社の隣は浦島太郎伝説の町。まんざら美波町だけの事でもないか????

そういう話のなかでウェルかめを見ていると、本当に地方での生き方を示唆される思いである。

飛ぶ鳥?立つ鳥?跡を濁さず
 皆さんもよく聞く言葉だと思います。「去っていくものは跡を見苦しくないように始末すべき」という意味なのですが、実は正解は、『立つ鳥跡を濁さず』だそうです。

「飛ぶ鳥」だと思っていた方も多いのではないでしょうか。同じ鳥のつく言葉で、威勢のよいさまをいう「飛ぶ鳥も落つ」「飛ぶ鳥落とす勢い」があるので、混同しやすいようです。すでに「飛ぶ鳥跡を濁さず」を載せている辞書もあるそうです。

ところで、鳥が飛び立った後は本当にきれいなのでしょうか?実際、かもなどの水鳥が飛び立った後は、水は濁るし羽は飛ぶしであまりきれいとは言えないそうで、むしろ「立つ鳥、跡を気にせず」らしいです。しかし、同じ水辺の鳥でも「サギは立てども跡を濁さず」という言葉があるように、「サギ」ならきれいに飛ぶようです。この場合の鳥とは、「サギ」のことなのかもしれません。

これから先、飛び立つときにこけるかもしれませんし、飛んでるときに猟師に鉄砲で撃ち落とされるかも知れません。またどこからともなく舞い降りてくるかも知れませんが、自分を変えれるよう頑張ってみます。

皆さんも頑張ってください。


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