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新春第2弾:鳥取城

■戦国期から徳川期まで、戦史に満ちた鳥取城。江戸期は有力親藩として!

鳥取城は因幡地方の有力拠点として様々な戦いの歴史を刻んでいる。築城の一はほとんど変わらない分、いかに多くの戦が繰り広げてきたか、そのエピソードは鳥取
城の存在感を高める。

 





❶戦国期・・・目まぐるしく陣取り合戦の様子を停止、様々な勢力が橋頭保を築くべく奪い合いの歴史が続く。

・山名豊国vs羽柴秀吉=秀吉の中国地方制覇の流れで、山名豊国が守る鳥取城は攻撃を受けるがあえなく敗退。

 再度、毛利方:吉川経家が占拠し、二度めの羽柴軍侵攻となる。これが「餓え殺し」といわれる兵糧攻めでの落城である。

・織豊時代は、豊臣側の宮部継潤が入城。関ヶ原の戦い前後の立ち位置で、東軍から攻め込まれる。

 





❷藩の始まり・・・徳川幕府親藩の位置づけで、池田長吉が入封。まだ6万石の大名であったが、現在のような近世城郭に変化していく。元和3年、池田光政が因
幡・伯耆32.5万石で入封。以後、鳥取藩としてふさわしい規模に拡張整備されて今の状況に至る。天守閣は現存しておらず、歴史上、築かれていなかったとか?代
用の三重櫓があったとか、現在もいろいろ議論が残るようだ。ただ明治期の写真には天守代わりの三重櫓が記録され、他は二重櫓や菱櫓が映っていたが、今日では縄
張り規模の割に遺構は少ない。




❸江戸時代から近代・・・今も大半にふさわしい縄張りとその石垣の威容。しかし歴史においては崩落が多く都度強化された故の遺構でもあったようだ。面白いのは鳥
取城の石垣は、その多くが縄張りに取り込まれた久松山からの採石でできていることである。現在でも二の丸(=御三階櫓の後方)にその跡がうかがえる。また菱
櫓と呼ばれる東側の守りに至る石垣は、内側に湾曲する組み方で全国的にも珍しい。

更に天球丸と呼ばれる一角には球形の石垣=巻石垣と呼ばれる・・・が、基盤強化のために取り込まれ 、これは全国で唯一である。鳥取城は石垣研究の宝庫とか
で、登り石垣や石組工法の変遷も検証できる点でも特長だとか。
 




➍近代から現在・・・仁風閣、県立博物館をはじめ、ゆったりとした三の丸界隈は歴史の風情が漂う。貴重な施設群は失われているが、鳥取城は県庁所在地として、ま
た大藩:池田家の色合いを残したまちづくりが今に残る。今回は、年末に父の死去によって、不肖の息子はその片付けごとばかりで、こうした城巡りも三代そろって
の旅にもならず、しかも一日で米子城もと欲張ったため駆け足となり残念であった。
 





★ユニークなのは鳥取市は珈琲消費量が全国2位であり市内あちこちでカフェが目立つとか。2016年、鳥取城で「世界コーヒーサミット」が開催されたように、国
内でも冠たるコーヒ―文化都市なんだそうだ。

神戸が長い私には意外な感じだし、つい2年前???スターバックスが出店し、「鳥取にはスナバ(砂場:砂丘)はあるがスタバがない」との迷セリフが有名になった
が、今回は「コメダ珈琲」も出店していて驚いた。でも黒船来る!では鳥取らしい珈琲文化が失われないよう思った次第。
 

  • 2020.02.08 Saturday
  • 15:39
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