(C)住みよい街全国ランクトップ:富山は文化都市。

それだけに「残念な城:富山城」だが市街地景観にはかなりマッチしている。

冒頭、失礼な書き出しで県民〜市民にはお詫びから入る。富山はこれで二度目、20数年前、商工会議所の新潟全国大会の帰り道で、同級生がある企業の支店長として勤務していたので少しだけ立ち寄った。その時も富山城は訪問し残念だなぁと思いつつも、今回は展示内容が素晴らしく整備されていて、富山城の歴史は無論、富山の沿革がつぶさに知れて、この点では大推薦である。

 

❶城好きとしては、佐々成正の戦国期から、加賀藩が何とか徳川幕府から嫌疑をもたれずに継続していく中で、利常が次男に立藩させて明治に至るまでが関心。つまり城の遺構のありようで判断しているマニアックな視点のなせるところ。逆に県庁所在地の市民公園として、また郷土の歴史を丹念に解説した資料館としては十分な施設であることは言を持たない。

 

 

❷徳川幕藩体制下で御三家よりも石高が大きい加賀藩は、昼行燈を装いながらも俊英だった3代藩主:利常が、表高120万石を超え、また実質もそれ以上という裕福な藩をつぶされないよう、富山藩10万石=利次(次男)、大聖寺藩7万石=利治(三男)に分地したことで生まれた藩である。領地として加賀藩を富山藩が分断している様子は確かにいろいろな弊害もあったかもしれない。本藩もそうだが表高以上に実質は恵まれていたし、歴代藩主も暗愚な藩主はいなかったようだ。ただ天災にはよく見舞われ復旧には難渋した様子や、加賀本藩から多くの藩士を移管したことで人件費が足を引っ張り財政面では苦労が絶えなかったと示されている。これは福岡黒田藩と秋月藩など支藩との関係はどこも似たり寄ったりだと言えなくはない。

 

❸歴史と文化にあふれ、何ともさわやかな街である。訪問したのは真夏日を少し過ぎ、20年前は秋口でともに良き時候。冬場ならこうは言えないのかもしれないが、程よく様々な魅力を持つ富山市は、流石に定住率全国有数であると感じる。令和の命名者と騒がれる中西進先生のかかわりもある「高志の国文学館」もあるが、先生の「ふくろうの会四国副支部長(=役立たずな副支部長失格者)」としては寄る間もなく申し訳なかった。

 

●最後に・・・息子の百名城&続・百名城のスタンプ押しの付き合いもあるが、ここらはどうしても行きたかった。

金沢城以外はマニアックだと思う。しかし日頃、読み親しんでかつ尊敬する時代小説家の上田秀人氏という方がおいでる。時代小説の大ヒットメーカーで有名だが、この方の13巻続くシリーズ「百万石の留守居役」は大のお気に入りだ。発刊前に加賀藩?では関心としてどうだろう??と私自身よりも世間一般を心配したが、さにあらずその評価は毎号高まっていると思う。このシリーズの愛読者なら,今回も強行軍だったが、その目的がご理解いただけるかと。小説の巻ごとのストーリーを思い起こしながらの城巡りは、息子とは別のひそかなオヤジ趣向であった。

  • 2019.11.13 Wednesday
  • 10:35
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