激戦区:九州の城巡り・・・城下町観光を戦略化できている飫肥城は大したもの。

●九州以外の方で城巡りファン以外で、宮崎県日南市:飫肥城といってもピンとくる方は少ないだろう。歴史は鎌倉時代までさかのぼり、このあたりの地頭として派遣された伊東氏が代々続く。さらに戦国期にも勢力を拡大し、宮崎(=日向の国)南部から大隅半島(=薩摩の国東部)にかけての有力者だった。

しかし安土桃山時代前に島津氏との構想に敗北し、一気に衰退するが、秀吉の九州征伐で島津から旧地を安堵され、明治まで伊東氏14代の城下町となった。

 

●城域は広いが縄張りと呼ぶ、二の丸、三の丸、本丸などはすでに本丸程度しか残らず、小学校や中学校の敷地化となり、櫓もなくなり大手門の構えだけである。しかし観光客は九州の城あまたの中でも上位になるほどの観光数であろうか?それは風情というか、醸し出す城下町の雰囲気=九州の小京都と呼ぶのだが、京都は城下町ではないので違和感はある。

 今回は本丸とその周辺で、本町商人通りとして整備された観光エリアは走り抜けただけだが、自負してよいと思う雰囲気。昔町づくり協議会の座長として、彦根のキャッスルロードなどいろいろ視察したが、飫肥もまぎれなく成功した整備である。

 

●小村寿太郎という明治新政府の外務大臣として、多大な功績を発揮した資料館がある。私は地域再生=“教育”がキーワードと、しつこく言っている方だと思うが、まさに飫肥にきて彼の生家や藩の規模を鑑みればいかに有能だったかが知れる。

日露戦争の終結には彼の胆力や外交力が不可欠だったかと。藩主一族よりもこうした出身者が高く評価される風土が大切だと思う。

※資料館や屋敷巡りに時間がとられ、商業ゾーンはじっくり見られていない。が、まさに町中が観光拠点として成立している飫肥は、アクセスにはハンディがあるが、地域の方の努力を痛感する思いだった。

  • 2019.10.10 Thursday
  • 10:14
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