〃秬鏘茵Ф綵の城巡り・・・臼杵城は大友宗麟以来の治世の知恵が息づく。

●九州戦国期に不可欠の英雄が、大友宗麟。その彼が府内から、鉄壁の城塞として構えたのが現在の臼杵城である。当時は城域が独立した島(=丹生島)で三方が海に向き、しかも周囲は断崖絶壁で守るにふさわしい全国的にも珍しい城跡。

 無論、事前の様々な情報を知っての訪問だが、現実はやはり残念至極である。城域の周囲が埋めたてられ、住居や公共施設、商業業地に変貌しているが、それを割り引いてももう少し原状回復へ尽力できなかたったのかと。ただ侍屋敷、寺などは時代雰囲気が多く残り、こうした保存には臼杵市の取り組みには敬意を表するだけに。

●丹生島を丸ごと要塞化した大友宗麟、さらに福原氏、太田氏で整備が整い(=現存櫓はこの頃と推定される)、稲葉氏が15代続いて明治を迎える。特に江戸時代は稲葉氏治世が城よりも城下町整備という方針もあり、宝暦13(1763)年の大火で、町も城も炎上し復興が大変だったこともあろう。※面白いエピソードとしては、復興時に石垣も表面的なタイル張り方式で巨石を用いずとも雰囲気を醸せるよう知恵を使ったとのこと。

 

●当然、天守も復興されず、現在のようなフラットな縄張りに仕上がっている。明治維新内乱時の大砲の活用を見るとこれはこれで正しい縄張りと感心する。くしくも公園には戦国大名でいち早く大砲を導入した大友宗麟時代のレプリカが展示されて説得力を持つ。

地元の方には日々の散策やゲートボールなど市民公園としての親しみと、周辺の時代を伝える城下町の姿が観光にも寄与している点では、愛される城なのだろう。

 

※市内の有力企業としてフンドーキン醤油という企業がある。優れたビジュアル戦略で気を吐いておい出るが、すぐ近くの河口の中州を活用しているが、ぜひ気に留めておいてくれればと。

  • 2019.08.16 Friday
  • 09:31
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