東海の城巡り、、、、浜松城へ、いざ見参!

東海エリアは戦国末期から江戸時代まで、様々なエピソードと城跡も多いエリアだ。復興天守も多く観光化〜俗化への課題がないわけでは無いが、、、、しかし市民が様々に向き合うことでまたその城らしい次世代の姿が模索していけるのではとも。

●さて、そうした中、エピソードが多い城の一つが浜松城だ。戦国末期は今川家の拠点だったが、桶狭間の戦いで今川家が没落した後は、徳川家康が入城してからは織田信長の麾下の重臣として武田家に対する最前線を担った。

現在の城は、秀吉の命で江戸へ下った家康に変わり、堀尾氏が城主として整備をすすめた。
堀尾氏も江戸時代になると松江藩の開祖として転封に。後は重要拠点として、譜代が引き継ぐが家康の成功に因んで「出世城」とも例えられた。

 

 


●現在は中核都市の浜松市の中心にあって、順次、城跡整備が進む。当然、現在の天守閣は模擬天守だがデザイン的には往時を彷彿させている。惜しむらくは、本来の天守台の大きさと、模擬天守のサイズが違うこと。タイトルを「いざ、見参!」としたが、市役所の駐車場を出るとすぐ本丸、天守閣だ。味気ないことこの上ないが、、、でも広い縄張りに名城をうかがわせるスポットもある。

 

 


添付の写真をよく見て頂くと、天守台の台形型の石垣の方が天守の躯体より広いことが見て取れると思う。まぁ色々事情はあったのだろうが、城の史跡が多い東海地区、増してや岡崎城、駿府城ともに家康のエピソードに溢れた城だからだ。

 


ただ縄張りはかなりの面積で、流石、江戸へ攻め上がる西国諸藩の軍勢をここで引き止めれるレベルではある。この後には駿府城というかなりの規模の家康の隠居城もあることで、参勤交代時の外様大名は、今更、生死や武士の矜持をかけて挑もうとは思わないほど威圧感はあっただろうと。
あちこちで発掘調査が進んでいる。いつしか天守閣も原寸復興してくれると嬉しいが。浜松市の経済力を考えると容易に思えるのは私だけだろうか。合掌

  • 2018.12.21 Friday
  • 20:44
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