全国唯一?穴城といえる小諸城.
高校の修学旅行以来40数年ぶりだ。当時から城好きではあったが詳しい予備知識もなく、説明板なども不足で単なる“懐古園”という文人墨客の訪ね得る史跡の認識だったことは、今回で払拭。認識不足を恥いった次第。
小諸城を有名にした一人は、武田軍最強時代の軍師=山本勘助の縄張り強化になる。ブラタモリで有名なキーワードとなった“河岸段丘”を見事に取り込んだ、日本で唯一かもしれない穴城とした。もう一人はさらに領主として統治した仙石秀久であろうか。“信州そば大名”としても愛されている。上田城を経て播磨出石へと、領地替えのたびにそば職人を伴い、先々でそばの食文化を広めたと言われる。
河岸段丘の地形=各出丸を配置し切り立った崖を巧みに縄張りとして、難攻不落にさえ思われる。この城を見下ろせる高い場所が全くなく、地面に塀や櫓を乗せるだけで一気に要塞化できている。見通せない城=穴城、まさに個性派の名城である。もう少し復元ができれば、観光動員数は桁が変わるのにと。
残念なことに明治以降、旧国鉄が縄張りを分断するかのように線路を敷設し、JR液によって大手門あたりと二の丸あたりが別にはなっているが、それだけに面白さも倍加しているとも。併設の資料館には、西郷隆盛と藩主:牧野の殿様(=老中などの要職にあった)との書簡はじめ、珠玉の遺産が展示されている点も伝えておきたい。