●偶然というと申し訳ないが「杉原千畝記念館」へ・・・そこは山深い雛の村。
紅葉を久しぶりに見れた帰り道、何気なくマップに記載された「人道の丘公園」と「杉原千畝記念館」の文字にびっくり。第二次世界大戦の折、ナチス:ヒットラーのユダヤ人虐殺につながる暴虐の始まりに、外交官として国の命令を拒み多くのユダヤ人に渡航ビザを発行した決断が世界から称賛された、その人の記念館である。
まさかこのような鄙びたところの出身者とは??・・・ところは岐阜県加茂郡八百津(やおつ)町である。
●杉原千畝の功績を知らない人は少ないはず!・・・敗戦国:日本においても世界に誇る功績が光る!
彼の功績はもうすでに幾度もメディアに特集され、文献とされて十分すぎるくらい認知はあるはず。しかし出身地だったり、国の命令違反で発給したその行為は、戦後には外交官資格をはく奪されたり、リトアニアからロシアに転勤されたことでスパイとさえ疑われる始末。商社勤務としてひっそりと、また真摯に生きた杉原千畝氏は、決してその貢献を誇示することはなかった。30年近くの時が流れ、当時ビザ発給で生き延びたユダヤ人がようやく彼を探し出し、再会を果たすこととなる。
●加茂郡八百津町は本当に山深いが、多くの外国人がここを訪ねる・・・果たして日本人は?
地図で見かけ早速寄り道で現地へ。木をふんだんにあしらいつつデザイン面でも洗練された建物であり、一目でわかる。一帯は「人道の丘公園」として開放的な自然公園となっている。ブログでは携帯電話の電池切れが不安で撮影写真はない。しかし添付のパンフレット画像で想像していただければ嬉しい。
わざわざ行くこともないか???・・・などと言わずに、多くの外国人=ひょっとしたらユダヤ系の方が中心かも?が、ここまで足を伸ばしてくれることがすごいことだと。小さな建物ではあるが、大変丁寧に解説され、彼の功績や彼に感謝するユダヤ人の方のメッセージが生々しく伝わる、凛とした空間である。本当に彼が日本人でよかったと思う。
●地方からの人材が国を思う人財か???・・・衰退する地方が人財を生まねばどうするのか?
江戸時代には国学者で優れた人は、ほとんど地方の藩や天領で私塾を開いた。維新の立役者など、藩士の下に位置付けられた郷士の反乱的な革命とも言えなくはない。しかし維新後の明治の国づくりにおいては、理知や哲学を得た人材が地方から輩出され、また秀逸である。
今や偏差値教育により、都会の塾は私学における受験テクニックで成果を上げ、地方の学生を吸い上げ、また落伍させる。そうした学生時代がトラウマになり、東京集中という現象が地方衰退につながり目を覆うがごとくである。
いやはや明治維新が素晴らしい事ではないが、地方の自力とは教育にあるのだと思うと、今の都心の進学熱と大学の偏重具合は、こうした良き日本人づくりに果たしてよい事なのか???
改めて自然との共生による社会への視点、情報やコンテンツが不足した環境だからこそ本質を見抜ける知恵が醸成されるのではと。・・・田舎の若者よ!!人を知らずして、漫然と過ごしていないか??
杉原千畝記念館を後にしつつ、ノーベル賞受賞の大村智博士のような、後進国の風土病などの改善に貢献し、大きな業績を重ねつつ、さらに芸術を愛せる(=個人美術館を設立)のような人も、また地方ゆえに生まれた逸材である。思わず業績は違うが、杉原千畝氏と大村博士を重ねて思った次第。合掌