• 2020.02.08 Saturday
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なでしこジャパン世界一に思うこと
 どうも暗いニュースばかりが続く昨今、久々に日本全国が盛り上がったのが女子サッカー日本代表「なでしこジャパン」の世界一達成だ。特にアメリカとの決勝戦は見事だった。日本時間での深夜スタートながら休日とあってテレビ観戦したのだが、リードを許しながら2度に渡って追いつきラストはPK戦での決着。まさにスポ根アニメも真っ青の展開で、普段はサッカー音痴の僕も大いに楽しませてもらうことができた。

なでしこジャパンの世界一によって、今までマイナーな存在だった女子サッカーが俄然、注目を集めることになった訳だけれど、選手たちのあまりに過酷な待遇、条件に驚いた人も多いだろう。選手の平均年俸は240万円そこそこ、エース格の澤選手にしても350万円程度らしい。サッカーだけでは生活できず安い時給でのアルバイトに明け暮れる選手、会社の仕事が優先で昼間の練習ができない選手なども珍しくないという。世界一になって帰国する飛行機も、全員が安いエコノミークラスだったというからさらに驚く。

DFの岩清水選手が優勝の原動力になったものは?と聞かれて「ハングリー精神ですね。自分たちで結果を出していかなければどうしようもないですから」と答えていた。彼女たちを動かしたものは、ある意味「何も持っていないこと」のパワーともいえるのだ。


以前ブログにも書かせてもらった「情報誌ぴあ」での1年間のアルバイト生活。その後、僕はリクルートでこれまた1年間、契約社員として働いた。銀座にある全面ガラス張りの通称G8ビルで、主に大手顧客の求人媒体の仕事をしていた。1年間契約が終わる直前の頃、僕は「プリンセストラヤ」(以下トラヤ)という老舗バッグメーカーを担当した。リクルートが学生向けに送る企業ガイドの冊子にトラヤが6頁の特集記事を載せることになり、その誌面を制作することになったのだ。トラヤ側から取材して欲しい社員として数名がピックアップされたのだが、その中にT氏(残念ながら名前は忘れた)がいた。T氏は確か30歳を少しすぎたくらい、トラヤの商品開発チームの中堅リーダーといった役職だったと記憶している。

トラヤは浅草に本社を置き、当時で創業以来50年近くの歴史を持つ老舗バッグメーカー。取引先は有名百貨店が中心で、主に年齢層の高い女性がターゲットの割とお堅いイメージのメーカーだったと思う。だから商品開発とはいっても保守的な層が相手だけに、そう冒険することもなく手堅い商品を作っていればそう外れることも無い。老舗だけに卸ルートも確立されていて、決められた流れに沿っていれば何の問題も無かったようだった。

T氏はやがてそんな毎日に疑問を持ち始める。果たしてこれでいいのだろうか。いつまでもトラヤの看板に頼っていては、時代の変化に乗り遅れることはないのだろうか。思いあまったT氏は以前から考えていたアイディアを会社役員に提案することにした。実はその頃、会社側もT氏と同じ疑問を持ち始めていた。そしてT氏の提案は社長に直に認められる運びになったのだ。

それは、T氏を中心とした5〜6名のメンバーでトラヤとは全く別のブランドを立ち上げる、というアイディアだった。そして従来のトラヤのイメージにとらわれない商品を開発し、来るべき時代の変化に備えようというものだった。そしてそこには、トラヤの名前、また既存の仕入れルートは一切使わないという条件が加えられた。

T氏は賛同してくれる自分の部下数名を連れて、トラヤ本社のある浅草とは逆方向になる代々木の雑居ビルの1階に事務所を構えた。新ブランドの名前はBASARA TYO。TYOとは東京のこと。BASARA(バサラ)とは婆娑羅と表記して、自由奔放とかの意味があるらしい。今でこそゲームや何かでよく聞くようになったけれど、当時はまったく知られていない言葉だった。トラヤという老舗ブランドから飛び出して、自由に、奔放に新しいトレンドを提案する、そんな思いを込めてのネーミング、とT氏は説明してくれた。

そして小さいながらも熱い意気込みを持ってBASARA TYOがスタート。しかし、トラヤ本社にいた頃には考えられなかったトイレ掃除から自分たちでやらなければならない。さらに、T氏以下、メンバーは全員商品開発畑出身で、当然のことながら営業経験はゼロ。良くも悪くも老舗トラヤの手堅い仕入れルートに慣れ切っている。しかもトラヤも名前は使えない。試作品を造っても、新規営業でのアポを取ることさえままならない。もちろん門前払いは当たり前。トラヤブランドから離れた自分たちがいかに無力な存在か、とことん思い知らされることになる。

BASARA TYOの名刺は少し変わっていて、中央に大きな穴が開いている。何故そんな名刺にしたかというと、新規先に行ってもなかなか話題を切り出すのが苦手なメンバーばかり。名刺に大きな穴が開いていれば、そこに興味を持ってくれる相手もいるらしく、そこから話を切り出すこともできるのだという。営業経験の無いメンバーの苦肉のアイディアだったのだ。

取材として僕がカメラマン、コピーライターと一緒にT氏を訪ねたのはBASARA TYOが立ち上がった翌年のこと。トラヤ側がT氏を取材対象に選んだのは、老舗メーカーの新しいチャレンジとして学生たちに強くアピールしたいという意図からだったのだろう。会社から離れて新規ブランドを立ち上げた、というくらいだからエネルギッシュでバイタリティあふれる人物を予想していたのだけれど、実際のT氏はもの静かで控え目な感じの人だった。そして前述のような苦労をいろいろと話してくれた。大きな意気込みを持ってスタートしたものの、厳しい現実に少々戸惑いを隠せない、そんな印象を受けた。「結成したてのアマチュアバンドのような感じですね」スターになる日を夢見て、貧しいながらも奮闘する、T氏はそんなイメージを自分たちに重ね合わせていて話してくれた。なかなか先が見えない状況の中、皆で協力しながら一歩ずつでも前へ進むしかない。T氏の穏やかな話し振りの中には、そんな決意のようなものも見え隠れしていた。


その取材の直後、僕は契約期間終了でリクルートから離れた。さらにその3ヵ月後、東京を去って故郷に戻ったこともあってBASARA TYOのことは忘れてしまっていた。もちろん、インターネットも無い時代の話だし、まして地方にいてBASARA TYOのその後のことなど仮に興味があっても調べようもなかった。

それがほんの数ヶ月前、何かがきっかけで思い出し、試しにプリンセストラヤのサイトにアクセスしてみた。すると、BASARA TYOの名前がしっかり記載されているではないか。ロゴもあのとき見せてもらったものと確かに同じもの。ブランドのページを見ると1984年、代々木にて設立とある。僕たちが取材に訪ねたのはその翌年、1985年のことだ。そして1997年にはトラヤ本社ビルにショールームを開設している。代々木の雑居ビルでのスタートから13年後、堂々トラヤ本社への凱旋である。

様々な苦労を経ながらも、T氏のチームはBASARA TYOをトラヤのブランドの柱として見事に育て上げたことになる。もちろん僕は何の関係も無い立場だけれど、何故か心が熱くなるものを感じた。


最初から何も持っていなかったなでしこジャパン、持っていたものを捨てることから始めたBASARA TYO。いずれも「持たざる者」の勝利。プロ野球の斎藤祐樹投手ではないけれど「何か持っている」に越したことはない。しかし持たないからこそ持てるものもある。意地か、夢か、反骨精神か。心を躍らせる何かがそこにある。やってる人はそれどころじゃないんだろうけどね。

世界一効果も相まって、女子サッカーリーグもかなり盛り上がっているようだ。実は僕の住む岡山にも「湯郷ベル」なるチームがあって、日本代表チームのメンバーが二人所属している。(最もそれを知ったのは彼女らが世界一になった後だけど)湯郷といえば県内有数の温泉地であり、遠く県外からの観光客も多い。代表メンバーの一人、宮間あや選手もかつては旅館でお風呂掃除のアルバイトをしながら練習に励んでいたらしい。そんな彼女らの世界一はやはり素晴らしいし、僕たちの胸を打つ。

さて、その宮間選手だが、優勝が決まった瞬間での素晴らしすぎるエピソードがある。次回はそれをお題目にしていろいろと考えを巡らせてみることにする。

  • 2020.02.08 Saturday
  • 20:09
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