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まだまだ続く本格推理のマイブーム
ここ最近、テレビドラマで刑事物の人気が高いらしい。TBS系の「新参者」、テレビ朝日系の「臨場」、フジテレビ系の「絶対零度〜未解決事件特命捜査」など、いずれも高視聴率をマークしているようだ。一昔前の刑事物といえば、それこそ組織からはみ出した様な個性派刑事が感情をむき出しにして犯人を追う、みたいな感じだったけど、最近はそんなスタイルは流行らないらしく、前述の作品もリアリズムをベースにしたストーリー重視の、どちらかといえば重厚な造りのドラマのようだ。昔の「西部警察」といった現実離れした荒唐無稽なアクションが売り物の刑事ドラマで育った世代としては少々寂しいけれど。
そんな中で、僕はTBS系の「新参者」を毎週楽しみに見させてもらっている。日曜夜という見やすい時間帯、基本的に一つの事件を追っていながら毎回一話完結の連作形式で、一回くらい見逃しても挫折しなくて済む、といったところがありがたい。大河ドラマ「龍馬伝」と合わせて週末の秘かな楽しみ、といったところだ。
「新参者」の原作はベストセラー作家の東野圭吾さん。昨年度の「このミステリーがすごい」、いわゆる「このミス」の第1位に輝いた作品だ。細かな小道具や、さり気ない会話から謎を組み立てていくあたりはさすがに面白い。刺激的なシーンや、やたらと複雑な展開も無いため、誰でも安心して見ることができるのも人気が高いところだろう。ここ数年、東野作品の映像化は凄まじい。映画、ドラマと、途切れることなく映像化されている。それだけ面白く、しかも映像にしやすい分りやすさを備えているからなんだろうと思う。 昨年のブログにも書いたけど、僕は昔より本格推理ファンで、ここ数ヶ月というもの何度目かのマイブームになっている。しかし、僕自身、東野作品は何故か意識的に避けて来た感があるのだ。東野さんのデビューは1985年、江戸川乱歩賞受賞作の「放課後」という作品。僕は江戸川乱歩賞受賞作ということでこの作品を読んだのだが、失礼ながら当時あまり印象に残らなかった。そのせいか、その後も東野作品にはあまり興味が無かったし、東野さん自身にとっても不遇の時代が続いていたようだ。ところが1990年代中頃から次第に売れ始め、2000年からはベストセラーを連発する人気作家へと成長する。作品も本格推理からサスペンスまで、幅広いジャンルに大活躍、今や書店の店頭でその名前を見ない日は無いくらいの人気の高さだ。 東野さん同様、本格推理ものでデビューしながら、幅広いジャンルに手を広げる作家さんは多い。様々なジャンルに挑戦してみたい、というのは作家としても当然のこと。しかし、本格推理好きとしては少々複雑なのだ。やはり本格推理にこだわって欲しい、という偏屈な思い入れがある。それはマニアックなロックでデビューしたバンドが、売れるにつれて次第に大衆に迎合したようなポップバンドになっていくように見えて興ざめする、という思いに似ている。本格推理でデビューした後、ドキュメントもの、時代小説、と幅広くテーマを広げた森村誠一さんより、最後まで本格推理、しかも呪いや祟りといった、独自の世界観を守り続けた横溝正史さんの方にどうしても肩入れしてしまうのだ。もちろん、どちらが良いとか悪いとかの判断ではない。ただ本格推理というジャンルが足がかりにしかされていないような、妙な被害者意識を持ってしまうのである。 それもあって、ベストセラー作家へと成長した東野さんには多少の妬みもあり、あまり思い入れを持つことが出来なかったのだ。しかし、ここ数ヶ月の本格推理のマイブームが高まるにつれてどうしても東野作品を避けるわけにはいかなくなった。そこで遅ればせながら、いくつかの作品を読んでみることにしたのである。 結果、実に面白い。僕の偏屈な考えがいかに浅はかで愚かだったか、それも忘れてとにかく面白い。まだほんの数作品だが、とにかく今のところ「外れ」が無い。例えば「秘密」という作品がある。ベストセラーになったし、広末涼子さん主演で映画化もされた東野さんの代表作のひとつだ。実は僕は読み始めるまでまったく内容を知らなかった。しかし、日本推理作家協会賞受賞作という肩書きもあったので、そこそこ面白いのでは、という期待感はあった。この作品、知っている人は知っていると思うけど、殺人事件も無ければ、名探偵も登場しない。何これ?推理小説じゃないじゃん、と昔なら文句の一つもあったと思うけれど、読み応えはなかなかのもの。謎の広げ方、最後の数ページでのどんでん返しなど、その進め方は本格推理の醍醐味に共通している。内容は恋愛ファンタジー(?)といった感じだが、面白さは本格推理のそれに限りなく近い。 イアン・フレミングというイギリスの作家がいる。ジェームズボンドが活躍する007シリーズの原作者だ。彼には売れない文学作品を書いている甥っ子がいたらしい。ある日、甥っ子が「どうして伯父さんの書いている小説はよく売れるんだろう、何か秘訣があるの?」と聞く。するとフレミングは「読者にいかに次のページをめくらせるか、そのテクニックを持っているだけだよ。」と答えたという。 本格推理の魅力もそこにある。広がる謎、どうしても真相を知りたい、だからページをめくらなければならない。ついつい徹夜で読んでしまった、なんていう経験も推理小説好きなら一度や二度はあるだろう。その意味では東野さんの「秘密」は内容はどうあれ、僕にとっては本格推理、だった。日本推理作家協会賞を受賞したのも、そんな思いが審査員の人の心を動かしたからでは無いだろうか。しかも「秘密」の魅力は細やかな人物描写にある。微妙で、切ない、何とも言えない心理状態の描写。本格推理専門の作家によく言われる評価として「人間が描けていない」という批判がある。トリックやシチュエーションを偏重するあまり、人間描写が疎かになる、というのだ。そのためトリックは面白くても、動機の必然性とかに説得力が無い、というのだ。 本格推理はある意味、非日常の世界だからそれも致し方ないとは思うのだが、小説としては片手落ちの感が無いともいえない。しかし、東野作品は毎回、人間描写が実に細やかだ。例えば2006年発表の「容疑者xの献身」。これも映画化されており東野さんの代表作のひとつだが、優れた推理小説でありながら直木賞を受賞している。本格推理としてのトリックもさることながら、文学作品としても高い評価を得た、ということだろう。本格推理の人気作家、例えば綾辻行人さんや有栖川有栖さん、我孫子武丸さんや折原一さん、非常に面白い推理小説を読ませてくれて僕も大好きだけれど、彼らの作品が直木賞を受賞することは考えられない。もちろん、彼らも狙ってはいないだろうけど。 本格推理はあくまでマニアックなものであり、必ずしも一般的な文学作品としての評価を得る必要は無いとは思う。しかし、それを高いレベルで両立させ、幅広い人気を誇り、頻繁に映像化される東野作品はやはりスゴイと言わざるを得ない。 さて、僕自身のマイブーム、本格推理小説好きは今回、飽きることなく比較的長く続いている。人が小説を読む場合、自然に頭の中でその場面を思い浮かべている場合が多いだろう。歴史小説で合戦のシーンが出てくれば、頭の中でそのシーンを思い浮かべる。その想像の基になっているのはかつて自分が見たことのあるもの、もちろん合戦なんかは経験できる訳はないから、映画で観たシーンとかになる。そう考えると、小説を読む、ということは自分の記憶の引き出しを常にフル回転させて場面を想像することでもあり、それが頭の活性化につながるのでは、とも考えられる。常に完成した映像が目の前にある映画やテレビとは違う面白さがそこにある。 しかし、推理小説の中にはその習性を逆手に取ったトリックが存在する。それが「叙述トリック」と言われるジャンル。エドガー・アラン・ポーが1841年に発表した世界最初の推理小説と言われる「モルグ街の殺人」以来、古今東西あらゆるトリックが考え出された。もう新たなトリックの創出は不可能とも言われるが、物語全体がトリックになる「叙述トリック」には、まだまだ可能性があると言われている。実はここ数ヶ月、僕自身が読んだ推理小説の中でも、面白いと思った作品には「叙述トリック」ものが多い。そのダマされ感は一度味わうとクセになり、もうやめられない。正直者は馬鹿を見る、とよく言われるが、推理小説でスカッとダマされたときの快感には、つくづく正直者(単細胞とも言うが)で良かったな〜と思わされる。人間、ダマす方よりダマされる方がトクな場合もある。そんな「叙述トリック」の魅力はまた機会があれば詳しくお話させていただきたい。 |
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