ようやく「ギンザシックス」、なるほどながら、縁遠い!

●久しぶりに上京・・・最前線の方からはお笑い種か??だが見ておかないとギンザシックス。

 

日々人間臭いところであくせくしている私には、東京のトレンドはそう必要なことではない。地方再生や振興が叫ばれる中、安易に東京のおさがり人材やおこぼれソースは嫌だからもあるが、東京に居住していてもこれほどのトレンドを享受できる消費者層って上位20%程度かとも感じるからである。小洒落た仕事柄なれど、消費では下層域かもしれないなぁと自虐している昨今だから、要は敷居が高いのだ。その後お会いしたアッパー層に近いエグゼクティブ系の先輩も、ギンザシックスは縁遠いなぁとも・・・謙虚だろうが。

 

 

 

●ニュース映像で見た通り・・・ゆったりとしたトレンドの美術館的な構成は心地よい。

 

物をあふれつほど手にし、最先端や高級品にこなれたアッパー層には、敢えてこのくらいの絞り込みが良いのだろうなぁと感心する。百貨店ではなく十貨店でもよいという事か。ネット通販では味わえない購買の楽しみ、そこを演出できている点で最先端なのだろう。チープな購買層である私でも通販は利用しない。安くても多少背伸びする商品も直接、店へいくのだ。販売員にとって魅力なユーザーでなくとも気にしない。ささやかだが手にするという豊かな時間が流れているから・・・。

 

 

 

 

●案外、身近な店舗もテナントに・・・アパレル以外なら、何とか。食品はここだけもあった。

 

貧乏小父さんの悪態はここまで。なぜ行ったのか?それはある商材が、あるかどうかを確認に。これだけのお店なら課題としている伝統的な習慣に裏付けられた商材が、さりげなく置いてあるかとの期待からである。答えはノー・・・だった。商品構成が偏向してからか?それは渋谷ヒカリエにもなかったので、むしろある方が不思議なのかもしれない。それは別としてその後、近くでお会いする予定の大先輩への土産として軽くて持ちやすく、また年齢的にも賞味していただきやすい物・・・と店内をうろうろ。食品フロアーは敷居は高くない。あまり珍しい物ではなかったが、ギンザシックス限定商品というのが決め手だった。

 

 

・・・今回、東京で観ること以上に人と会う事を優先したが、誰しも口にする東京のすさまじさは十二分に感じた。関西や東海、四国であくせくしている私には悔しい思い以上に、世界の頂点にある都市としての東京の存在感は日本の競争力、魅力の一つである。間違っても妬ましくはない・・・やはり地方は地方でできることを徹頭徹尾で頑張ろうと思う。

★毎年、東京には17万人が流入しているそうな・・・しかも20〜30歳代が多いとか。おいおい、君らが活躍できるほど空席はないよ、むしろ地方でオンリー1な生き方も良いのじゃない?!と思い直してほしいものだ。それって決して負け犬なんかじゃないよ。

 

 

 

●アメリカは広大な国土と3億数千万人の暮らす世界一の国・・・でもそれぞれが固有の都市づくりで繁栄している。

色々なヒントがあるが、私の働く神戸市には世界企業の日本支社がある。P&G、ネスレ、イーライリリーなど数社だが、グローバルな実力に裏付けらると敢えて東京でなくてすんでいる。都市での働き方、暮らし方の目線を高めてほしい・・・優秀な人ほど。

 

 

 

「国際復興フォーラム:神戸」に聴講して。

 

 

 

●”Build Back Better”というキーワード、ご存知でしたか?

 

一昨年から地域振興事業「シングルマザー移住支援」の件で、同じアドバイザーながら師匠みたいに感じている方が負い出て、その方に誘われて初めて参加。主催は「国際復興支援プラットフォーム」という団体で、内閣府はじめ国連国際防災戦略事務所という、それぞれ権威のある団体が仕切られているフォーラムで、まず顔ぶれや肩書で驚いた次第。

何年も神戸でいながらこうした国際的会議に参加どころか、知りせずと反省ばかり。誘い頂いた師匠に感謝である。

 

 

❶”B−BーB(=上記のキーワードの略)”の意味とは?

世界中で都心へと人が集約される現象の中、その都心での防災対応や、さらに被災後の復興の取り組みについての目指す方向性を言うようだ。またフォーラムの内容は、被災先都市の担当者が、当時の様子やその後の様々な取り組みをスピーカーとして報告していく形式だ。司会進行は、元国連事務次長補:フィッシャー氏。それぞれのスピーカーの発現を要点良くまとめ、質疑代行や総括までスムースにこなされていく。午前11時から午後4時半までの長丁場だが、案外と限られた時間で、さすがと思わせる司会進行だった。

 

 

 

❷それぞれの痛みと取り組み。神戸だけでも東北だけでもない。

事例紹介では、東北大震災当初から岩手県等に入られ奮励努力されていた、元東京大学教授の大西学長(現豊橋技術科学大学)の報告。さらにネパール・ラリトプール市=マハルジャン市長の文化財:世界遺産など多くが失われてからの復興状況・・・中国唐山市=黄副市長の復興における大胆なほどの再生街計画の成功例(=さすが中国の強制力?)・・・神戸市=清水危機管理室課長のその後の神戸市の状況など。現地の状況はそれぞれ違うが、被災のレベルは悲しい事ばかり。今、都心へ集約され人口流入がさらに進んでいく状況下、都心の防災はどうなるのかと暗鬱たる思いになった。

 

 

 

❸国連の指導力の真価は災害支援にあるなぁと痛感!!

軍事問題では全く機能不全ともいえる国連。常任理事国のロシア・中国の傲慢さが要因だが、私たちが子供のころに憧れたイギリスのテレビ番組「サンダーバード:国際救助隊=財閥の私立による)」の人類とは賢く生きるならこういう素晴らしいこともできるのだなぁと感心して、そういう発想で番組を作っていた当時のイギリスという国を尊敬したものだ。

 

 

➍せめて「サンダーバード」の真似事でもできればよいが!

国際的な災害の度に、日本チームのレスキュー体制の評価が高い。個々の優れたマンパワー+経験値だが、手放しでも喜べない。こういう時にすら大国:常任理事国でもある某国などいい加減なものなのだから。

それなら日本国内:毎年19兆円に及ぶ浪費=パチンコへの無駄遣いを、国際救助基金として集め、世界で若い人口の多い国とタイアップ、日本の経験と技術を指導していくことで国連軍とは別の意義ある救助活動の核となるチームもできるのではと・・・日々何気なくパチンコで息抜きしている約900万人ともいわれる市民よ、もう目覚めようぜ!!・・・生保受給と同時にパチンコへ走る中毒者:約120万人とは違うのだから。合掌

 

人出いっぱいの正月広島旅行

2018年元旦、AM6:30に広島目指して観音寺を出発。

1日目は呉で軍港関連を観光します。

 

観光一発目の大和ミュージアムです。

元旦で朝早いのもあって意外とすんなり入場できました。

 

まず目に飛び込んできたのは、10分の1サイズの

戦艦大和!10分の1とは言えその迫力に圧倒される。

実物の設計図や資料も存分に展示され、

見応え十分でした。

 

 

そして、大型資料展示室には零式艦上戦闘機六二型や、

特殊潜航艇海龍、九三式・二式魚雷、

100名以上の若い兵士の尊い命が失われた特攻兵器回天などが

展示されていました。当時のリアルな情景が想像できる空間です。

 

 

大和ミュジアムに隣接した海上自衛隊呉史料館(てつのくじら館)は

残念ながら正月は閉館とのこと。潜水艦内部を体験したかったが・・・

 

 

大和ミュージアムを出ると、艦船めぐりの

アナウンスに導かれ30分程度の船による艦船めぐりへ。

 

 

そうりゅう型潜水艦は後ろからの見学になりましたが

かなり興奮しました!!!

 

 

元旦は呉を堪能した1日でした。

 

宮島観光編は後日アップします。

 

 

 

四国内で数少ない田舎町整備の成功!梼原町は噂以上だった。

●四国の町づくり整備と言えば「梼原(ゆすはら)町」!!

 

もうすでに20年以上になる町づくり整備で「高知県梼原町」は有名だが、行く機会はなかった。東京オリンピックのメインスタジアムの設計でさらに注目を浴びた隈研吾氏による公共建築で知られてきた。著名な建築家による公共建築物が、地域振興の役割を果たすことは、香川県が特に先駆けてきたことだ。丹下健三氏による公共建築物は、当時の地方自治体としては稀有な取り組みであったし、今は直島町がそういう実践でリードしてきている。

 

しかし私見なりに町づくりには”佇まい”が必要といつも思っている。昔ながらの歴史建築群を再整備した町でなくても、新たな整備をするにあたってこそ重要な感性であろう。梼原町はまさに後者として”佇まい”が感じられるのではないかと感心する次第。

四国内にも愛媛県:内子町の白壁の街並み、大洲市の大洲城と肱川川岸の風情、徳島県脇町のうだつの上がる街並み、香川県琴平町の金毘羅山の参道など誇らしい町並みは継承されているが、そうした保存型は言うまでもなく、むしろ再整備での新しい方向性にこそ、佇まいを忘れてはならないだろうと。

 

 

 

●隈研吾氏の建築物は目玉であり、誘発剤としても秀逸であろう!!

 

隈氏と梼原町のつながりは話題となり周知の事で省かせてもらうが、あらためて建築デザイン的なピンポイントとして知っていたことと現地の実際は大きく違っていたなぁと改めて痛感した。つまり旧の街並みの再整備=相当大掛かりにもかかわらず”佇まい”がよく浸透していることだ。完全統一とは言えないが、現実で出来得るレベルとしてはよくできているなぁと感服した次第。

 

何気に写真を撮り、1月2日でも空いているお店探しで交差点にいると、地元の方が犬を散歩がてら近づいてきてくれていろいろ説明を受けた。愛犬のブルドッグが散歩を催促するのをとどめての説明で恐縮至極だった。まちづくり整備では反対的な方が多い高齢層だが、この方は明確に事業年度や事業予算までそらんじれる具合で、小さな町といえいかに行政サイドが周知を丹念にした成果のだと伺えた。

 

隈氏の業績は言うまでもなく、しかしそれほど件数が多い訳ではない。あくまで看板であっても整備における演出効果は、行政手腕や地域住民の覚悟がなくては無理、そういう面でよく整っていることが素晴らしいかと。

 

 

 

●”佇まい”簡単なようで難しい。デザイン性とともに、地域の方の心映えも重要!!

 

メインストリートの拡幅工事も電線などもインフラは地中化しすっきりと。十分すぎる幅員は観光効果を計算し、活集約した町機能や行政機能を発揮している。小さな町の有利さで、町役場、町の駅(=物産所&宿泊所)、「維新の道:坂本龍馬脱藩の起点の町として、維新群像の町を標榜」の史跡ポイントが、至近距離に配置された魅力とともに建築&環境デザインが優れることで、観光入り数は相当多いと感じられた。店舗も少ないが、本格派を目指した店が多い感じだ。

 

 

 

1月2日ゆえにほとんどが閉店していたが、本格派の珈琲専門店が開店していて人気のようだったし、町の駅は地場産品がたくさん置かれて賑わいも伝わった。しかし地方の売らんかな!呼び込まんかな!という範疇ではなく、自分の時間で仕事ができる人、感性を澄ませて物づくりしたい人、東京ではなく世界を視野に入れれる人には、数年住んで事をなせるかという気がしてくる町でもあると感じた。

 

 

流行は追わない、しかし鈍感ではない。形式を超えた心映え・・・維新の群像をテーマにしたこの町は、京や江戸、果ては会津、逆転して薩摩と維新の激変が続く中で、これほど田舎の町からでも視点は確かに時代を見据えていたのだから・・・。

今関わっている町の事業でもこの佇まいを大切にする思いはますます強くなった。合掌

現存12天守と全国名城ポスター展

今頃?と言われそうですが、夏に松山城で行われていた

現存12天守と全国名城ポスター展を紹介します。

 

 

まずは、ご当地の松山城です。

城郭建築の最高傑作と歌い、

世界遺産の姫路城とのコラボポスターです。

情景が昼と夕方の対比が美しい構成です。

 

 

その他の四国の名城です。

丸亀城は、空を白く飛ばした表現は、

ある意味お城の魅力を増幅している

ようです。

 

高知城は、堅牢な石垣と美しい天守閣の

わかるベストショットで表現していました。

 

そして宇和島城、

うわじま牛鬼まつりの様子を

下段に掲載しています。

 

上記以外の現存12天守ポスターです。

 

現存12天守閣以外の、松山周辺にある

お城ポスターも展示していました。

 

以上、城郭ポスター展で展示していた作品です。

各々当地の情景を最大限に引き出した演出が

なされており、定期的に作り替えるはずですので

今後も調べてみたいと思います。

 

私的には、モノトーン的な丸亀城と

幻想的な犬山城がお気に入りです。

 

デザイナーとして何時かは手掛けてみたいと

思う素敵な仕事だと感じました。

 

 

 

 

 

 

国内有数の辺境の地と明治維新前後・・・あぁ”天誅組”哀れ!

 

●明治維新の5年前、南河内で鬨の声を上げた”天誅組”・・・終焉の地:十津川村へ。

 

新製品の企画と治療を兼ねて学生時代の先輩の治療院=富田林へ。以前から大変懇意にしていただき、私の大怪我の治療法から、社員のリハビリとずいぶんお世話になってきた。先輩が数年前から楠木正成ゆかりの地を巡ったり、今回の天誅組の足跡を訪ねることの付き合いとなったのだ。

”天誅組”は純粋に勤皇佐幕を念じて、明治維新よりはやる事5年前に挙兵。公家:中山忠光、土佐脱藩:吉村虎太郎、刈谷脱藩:松本奎堂、備前脱藩:藤本鉄石、天領・河内富田林:水郡善之祐らが蜂起した事件である。決起のメイン舞台となった奈良県五條市(=日本一の柿の産地)には、”明治維新発祥の地”と大きく看板があり、資料館も整備されている。

 

 

●”天誅組”は、性急、軽挙だった上、情報不足と政変で翻弄され壊滅した。

 

今のような連絡手段がない中、止むに已まれずという志士の想いが先走り、時局を読み誤ったことは理解したい!多くの血気盛んな若者が命を燃やした事変が明治維新。今でこそ笑えるかもしれないが、その時代を真摯に駆け抜けた面も理解できなければならないかと。天誅組のリーダーは各藩脱藩志士からなり、堺から進軍し天領・富田林で河内勢と合流し、孝明天皇の行幸を奈良で得るべく、五条の代官屋敷を急襲し勝鬨を挙げるまではよかった。しかし当時の京都はめまぐるしく政変が起き、明日をも読めない中で、とうとう彼らは翻弄され、ついに賊軍となるのである。

 

 

●五条代官所急襲は裏目に出て、奈良近在の諸藩の追討を受けることに。

 

勢いづいた天誅組は五条では1200名に及ぶ集団に。さらに勤皇の意識が高い(=御所警護を担当した強者集団)十津川村で隊士募集も図り、それなりの勢力も得ていく。その後は籠城を考え無謀にも高取城の奪取を試みる。ここで諸藩兵の待ち伏せに遭い塵尻となり、一気に劣勢を余儀なくさせられる。最後は首謀者の中山忠光らを逃すために十津川村を転戦し、時間稼ぎのために諸藩兵を引き付けるのである。挙兵からわずか2か月という短い運命だったが、この天誅組についての著作、歴史文献も多く、決してないがしろにされたわけではない。

 

 

●十津川村は辺境成れど、あちこちに天誅組の歴史が色濃く伝わる。

 

東吉野村は終焉の地で、壊滅した最後の志士たちの墓や句碑が残る。またそこに至るまでの十津川村での諸藩兵との戦闘で討ち死にした場所が、村人の手厚い想いで銘板として現地に記されている。正直、穏やかな十津川村での戦騒動は、村人には大変迷惑だっただろうが、戦死した天誅組の志士の名前を記録していることに感銘した次第。特に天ノ川辻あたりの集落内の志士の名前入りの銘板は、歴史の一駒が鮮明に感じられるところだ。

 

 

●平和ボケと言われて久しい我が国。先の大東亜戦争を言うまでもなく、若者の命が捧げられていることは瞑したい。

 

天誅組の転戦はむなしい点も多い。特に欲得以前の軽挙かもしれないが、豊かさに生きる現在のわれわれが、果たして1つ1つの歴史の時空に立ち、死を賭して生き抜こうとした=それが体制や権威に踊らされたとしても・・・彼らに謙虚に学ぶだけのものはあるはず。

十津川村は面積では日本最大の村である。路線バスも日本一長い路線を運行している。景観の良さやアウトドア好きには、知らないものがないが、しかし辺境である。

天誅組に関わらず、「谷瀬の吊り橋:日本有数の吊り橋」、「熊野古道」、「玉置神社」などたくさんの魅力にあふれている。是非リピート良し、初めてさらに良し!!どうぞ訪ねていただければと。

★蛇足だが、勤皇の意識が熱い十津川村は、一時期、皇宮警察官の半数がここの出身者だったそうだ。合掌

 

 

 

 

雛の町にも千金に値する人財が生み出される=杉原千畝氏の記念館へ。

●偶然というと申し訳ないが「杉原千畝記念館」へ・・・そこは山深い雛の村。

 

紅葉を久しぶりに見れた帰り道、何気なくマップに記載された「人道の丘公園」と「杉原千畝記念館」の文字にびっくり。第二次世界大戦の折、ナチス:ヒットラーのユダヤ人虐殺につながる暴虐の始まりに、外交官として国の命令を拒み多くのユダヤ人に渡航ビザを発行した決断が世界から称賛された、その人の記念館である。

まさかこのような鄙びたところの出身者とは??・・・ところは岐阜県加茂郡八百津(やおつ)町である。

 

 

 

●杉原千畝の功績を知らない人は少ないはず!・・・敗戦国:日本においても世界に誇る功績が光る!

 

彼の功績はもうすでに幾度もメディアに特集され、文献とされて十分すぎるくらい認知はあるはず。しかし出身地だったり、国の命令違反で発給したその行為は、戦後には外交官資格をはく奪されたり、リトアニアからロシアに転勤されたことでスパイとさえ疑われる始末。商社勤務としてひっそりと、また真摯に生きた杉原千畝氏は、決してその貢献を誇示することはなかった。30年近くの時が流れ、当時ビザ発給で生き延びたユダヤ人がようやく彼を探し出し、再会を果たすこととなる。

 

 

●加茂郡八百津町は本当に山深いが、多くの外国人がここを訪ねる・・・果たして日本人は?

 

地図で見かけ早速寄り道で現地へ。木をふんだんにあしらいつつデザイン面でも洗練された建物であり、一目でわかる。一帯は「人道の丘公園」として開放的な自然公園となっている。ブログでは携帯電話の電池切れが不安で撮影写真はない。しかし添付のパンフレット画像で想像していただければ嬉しい。

わざわざ行くこともないか???・・・などと言わずに、多くの外国人=ひょっとしたらユダヤ系の方が中心かも?が、ここまで足を伸ばしてくれることがすごいことだと。小さな建物ではあるが、大変丁寧に解説され、彼の功績や彼に感謝するユダヤ人の方のメッセージが生々しく伝わる、凛とした空間である。本当に彼が日本人でよかったと思う。

 

 

●地方からの人材が国を思う人財か???・・・衰退する地方が人財を生まねばどうするのか?

 

江戸時代には国学者で優れた人は、ほとんど地方の藩や天領で私塾を開いた。維新の立役者など、藩士の下に位置付けられた郷士の反乱的な革命とも言えなくはない。しかし維新後の明治の国づくりにおいては、理知や哲学を得た人材が地方から輩出され、また秀逸である。

今や偏差値教育により、都会の塾は私学における受験テクニックで成果を上げ、地方の学生を吸い上げ、また落伍させる。そうした学生時代がトラウマになり、東京集中という現象が地方衰退につながり目を覆うがごとくである。

いやはや明治維新が素晴らしい事ではないが、地方の自力とは教育にあるのだと思うと、今の都心の進学熱と大学の偏重具合は、こうした良き日本人づくりに果たしてよい事なのか???

改めて自然との共生による社会への視点、情報やコンテンツが不足した環境だからこそ本質を見抜ける知恵が醸成されるのではと。・・・田舎の若者よ!!人を知らずして、漫然と過ごしていないか??

 

杉原千畝記念館を後にしつつ、ノーベル賞受賞の大村智博士のような、後進国の風土病などの改善に貢献し、大きな業績を重ねつつ、さらに芸術を愛せる(=個人美術館を設立)のような人も、また地方ゆえに生まれた逸材である。思わず業績は違うが、杉原千畝氏と大村博士を重ねて思った次第。合掌

数年ぶりの紅葉散策「岐阜県美濃市の大矢田神社」にて。

●紅葉の散策などいつしか忘れて!運よく今年は堪能。

 

皆さんも岐阜県が紅葉の名所であろうことは想像がつくと思います。まさに県内いたるところ・・・その中で偶然知ったのが美濃市の大矢田神社。古刹にふさわしい雛びた神社ながら味わい深いところ。

元は第7代までさかのぼり、孝霊天皇のときに建立された郷社ではある。また700年ごろは泰澄大師により禅定寺も開基されている。明治まではこうした修験場的なところは神社もお寺も両立していた。大矢田神社はそういう不可思議な面白さと風雅がある。

 

 

 

●今も堂宇と神殿が両立する珍しいところ。

 

郷社と侮るなかれ、古い寺跡とみくびるな!!である。深山幽谷的な周りは広大な山に囲まれ、約3000本もの”ヤマモミジ”が群生している。紅葉は、黄色〜茶色のグラデーションが多い中、常緑の樹々とともに、紅葉の赤がアクセントとなってこそ美しさも倍増する。

まさに絵にかいたような境内は紅葉の点在した美しさと古刹としての堂宇や社殿が、盆栽画のような趣で我々を迎えてくれる。

また神社までの道のりは、美濃市が”もみじの町づくり”という事で、街路樹の多くが紅葉で、これも神社に至るまでの高揚感を演出。

 

いやはや日々何となく追われ、都会でしか仕事がないような生活に没している私には、プライベートのちょっとした野暮用のおかげで

何年振りかに紅葉を楽しめた。しかも岐阜県は名所だらけで何より。もう8年前くらい???

観音寺商工会議所の旅行で、同じ岐阜県の恵那峡=少し紅葉が早かったや、日本平の紅葉=スキー場のリフトからのアルプスの眺めに酔ったことを思い出した。無論、人出はすごい・・・地元の交通整理の小父さん達が、連日の出っ張りか?かなりお疲れ気味。

同情しつつも、地方は変な箱モノやイベントではなく、自然の力を計画的に練り挙げれば、数十年後には多くの人を呼び込めること再認識してほしいものだ。合掌

「あぁ、三州瓦の本拠地・聖地へきてしまった!」事前準備もせずに。

●全国の60数%を占める三州瓦、その聖地は高浜市だったのか?

 

駆け足もいいところで、半田市〜西尾市〜高浜市を通りすぎた感は、反省大だが。特に城跡・史跡後巡り〜美術館・博物館巡り、郷土祭り巡りに執着する私には、この地を駆け足で抜けるのは残念至極。と、言っていい格好をつけても実は、三州瓦の大生産拠点だったことを忘れて、あまりに立派な「かわら美術館」を道沿いに発見して慌てて立ち寄った次第・・・馬脚を現している。

 

 

●高浜市やきものの里「かわら美術館」地場産業の誇りであろう!

 

実は愛知県はやきものの産地で名だたる窯元や産地が列挙される。昨年は常滑市を走り、INAXさんの「世界のタイル博物館」や周辺公園にも感服した。今回は偶然では失礼だが、過去10数年も「淡路瓦」のメーカー様複数社と取引をして、常に三州瓦のすごさは身に染みていた。しかし諸般事情で縁遠くなることで、通過するときも三州瓦の本拠地というイメージが忘れ去られていたのだから現金なものである。ただ最大手のメーカーは半田市にあるが、いわゆるこの南三河は全体でそういう産業基盤を有しているのである。

確かに西尾市へ向かう道すがら多くの瓦メーカーさんをやり過ごした。

 

 

●「かわら美術館」は企画展の入れ替え日で、常設の産業説明の観覧で!

 

まず威容を誇る美術館の外観=国道傍に立つため引きができないので存在感はわかりづらいが、一旦、公園側&観音寺側から臨めばその威容が飛び込んでくる。コンサートホールのような趣であろうか?

また公園は飯伏瓦のモニュメントや造作が点在し、ある意味、超小型のガウディの造形を醸す。10数年お世話になった淡路も、そこかしこの公園や公共物でこうした瓦の造形が目を引いている点では、さすがに同じく聖地であろう。

 

屋内を撮影できたので間に合わせな画像で申し訳にあが、懇切丁寧に産業としての瓦製造の成り立ちや現状をよく示している点は理解いただけようかと。それぞれのサンプルや解説も大変読みやすい、見やすい博物館であった。

ただ美術館を銘打っているので、3回の展示室を見ると、名古屋大学レゴ部さんの展示が・・・いかに風雅がテーマとはいえ、レゴにうるさい我々親子にはちょっと興醒めかなぁ???ましては不調とはいえ「レゴランド」がOPENした名古屋の意地にかけても、ここは東大レゴ部に迫る展示がほしかったなどと外野的な感想。

 

まずは、本当に現地には失礼なくらい早駆けのレポートでした。5年に一度の全山車がそろう半田祭りが来週とは・・・残念至極。

ただ歴史や文化、産業が多彩である南三河の魅力だけは忘れませんから。

 

 

 

 

 

「地元愛」がつたわる吉良の殿さまと領民の想い。

●西尾は元々”吉良ノ荘”と呼ばれていた。そう、あの吉良家の拠点である!

 

歴史の残酷さは勝者、または判官びいきによって物語られることだ。歴史に興味がない方でも江戸時代の「忠臣蔵」を知らない人はないと思われる。艱難辛苦の末、周到なまでの計画で主君:浅野内匠頭の無念を晴らした、赤穂浪人たちの仇討事件である。

仇討されたのは、元幕府の要職:”高家”を任じられていた吉良上野介義央(きらこうずのすけよしなか)だった。その事件の概要はここでは省く・・・時の将軍:綱吉の裁断があまりに一方的という事で、赤穂藩士らが浪人となって後、幕府に対する反省を迫ったこととなるのである。庶民はじめ多くの武家でも、その行動を”快挙”として讃えたがため、吉良家はすっかり敵役となり、そのいわれが今日まで吉良の殿さまの悪評となってきた。

現地に来るといかにその後の領民が、その評価に悔しい思いをしているかが垣間見れるところがあちこちに。上野介が仇討で死去し、嫡男:佐兵衛義周は、守り切れずに自らも負傷したことで、武士道に適わずと流罪に。その死去をもって、一旦、吉良家は断絶となる。

 

 

●約10年後には遠縁の吉良家から義俊を迎えて再興となり幕末まで続く。

 

西尾市が旧吉良ノ荘と呼ばれただけに、今も吉良の地名は残る。特に菩提寺である華蔵寺境内の吉良家の墓や、周辺の道路などは”吉良ストリート”として美観・再整備されている。また寺の門前の駐車場にも上野介殿様の善政や遺徳をたたえる銅像や石碑が・・・境内にもいたわしさを嘆いて慰めた歌碑、看板の説明も入念である。「赤馬の吉良様」として赤毛の馬に乗り領地を視察する姿も、シンボリックな彫刻として、吉良ストリート内の小公園に設置されている。

確かに菩提寺もつつましい穏やかさであり、再興された吉良家も世間をおもんばかってか?華美さはどこにもない。世間とは難しいものである。

 

 

●「忠臣蔵」は双方に痛み分け、その後のことは話題にならない。

 

世間=現代までの「忠臣蔵」ファンでも、存外と浪士の遺族たちのその後に関心がある人は少ない。当時は仇討(=子が親のために討ち果たすこと)ではなく襲撃事件であったこと。幕府も偏った裁断を反省しつつも、かなり遺族には厳しい沙汰を出した。

15歳以上の遺児は伊豆大島への遠島、以下の遺児は15歳を待って遠島。恩赦が出るのに20年近い歳月を要した。その間死去したものや、許されても恵まれた仕官が叶うなど難しい問題は残った。

 

 

●刃傷沙汰の原因は今も不明、諸説は多い。

 

浅野内匠頭のこらえ性の無さや吝嗇な姿勢が、賄賂が当たり前の時代に上野介翁への欝憤となった?・・・上野介翁の病気による偶発的な感情の行き違い?・・・書画鑑定や茶器、衆道説などさまざまである。1つ面白いのは、吉良家も塩田を持ちながら、赤穂ほどの良質な塩田でなかったので、その技術指導を望んだが断られた?であろうか。

※添付の写真は、その塩田の様子を示したものである。

 

歴史は勝者の記録でもあるが、本当に見極めようとするなら現地を見ることでもあろうか?しかし現地は判官びいきかもしれないし

不明点は多い。だから面白い・・・偏った一般論だけで判断してはならないことだけは言えよう。

★池宮彰一郎氏の「四十七人の刺客」が映画化された「最後の忠臣蔵」杉田成道監督・・・は、そういう面で視聴に値する著書で映画であろう。

※余談ながら女優の桜庭ななみがとても可憐だったことを思い起こす。今も三菱地所のCMで、いかんなく魅力を発揮しているが。

 

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